第14話
「良い加減、しゃべったらどうだ?」
オレは向かいの席に座る小柄な男に言った。元の顔がどうだったか思い出せないレベルで、顔が歪んでしまっている。彼は相変わらずソッポを向いて、黙り込んでいる。
「口を割らないなら、割るまで付き合うだけだがな」
本当は追加で乱暴したかったが、今は周りの目があって手を出しにくい。傷だらけの彼を伴って入店を許してくれただけでもありがたいのに、騒ぎを起こせば、あっという間に寒空の中へ放り出されるだろう。
弱い暖房、大きな窓の側ということもあり、屋外にいるのとそれほど変わらない体感だが、吹きっさらしの中で膝を突き合わせた話し合いをするよりは、幾分もマシだ。おまけに、オレはホットのブレンドコーヒー、彼はホットのミルクティーにもありついている。彼の紅茶は運ばれてきた時から、一度も手を付けられていない。ずっと黙りこんでいる彼に付き合っていると、あっという間に一杯目を飲み干してしまう。オレは給仕を呼び、お代わりを注文した。次のコーヒーが運ばれて来る間に、お冷やで口を湿らせる。
「せっかくの紅茶も、冷めてるぞ」
彼は大人しそうな目をこちらに向け、「口の中も切れてるんで」と静かに言った。だったら最初から、アイスを頼めば良いものを。繊細な優男風に見えるが、細かなこだわりやマイルールが、山ほどあるのだろう。
マトモな勤め人らしいさっぱりとしたヘアスタイルに、グレーが濃い目のボタンダウンシャツ。下はベージュのチノパンで、上着は黒のブルゾン。それなりに稼ぎはありそうだが、上から下までハイブランドでは無さそうだ。
縞田と言い、コイツと言い、社会生活を送っている連中は、一見地味で人畜無害を装っているように見える。中身も基本的には、外見に沿った人格だろう。その手の仕事やいざと言うタイミングでのみ、裡に秘めた力を引き出すようだ。
お代わりを運んできた給仕は、オレに少々ビビりながら、カップを置いて行った。側から見れば、彼の方が優良な一般市民、オレの方が反社会的な取り立て屋という構図だろうか。もっとも、オレの方から彼に金、アタッシェケースを突き返している最中なのだが。
大の大人が二人して、飲み物だけで延々と長居しているのもだんだん、気まずくなってきた。閉店にはまだ余裕があるが、追い出されるまで完黙という可能性も十二分にある。そっちがそのつもりなら、別にそれでも構わない。
目の前の彼は、一瞬こちらを向いて文句を述べたきり、延々とそっぽを向き、窓の外を眺め続けている。オレはコーヒーを飲み干すと、伝票を掴んで立ち上がった。椅子を引く音で、彼の視線がこちらに向いた。
「とにかくソレは返したからな」
オレは彼を見下ろして言った。
「妻と娘に手を出すようなら、今度こそ本気で潰すと伝えておいてくれ」
彼を一人その場に残し会計に向かおうとすると、彼は途端に慌て始めた。自分の荷物をまとめたり、足元のアタッシェケースを拾って立ち上がるのを、最後まで見守ってやる道理もない。オレは彼をほっぽって会計を終え、店の外に出た。隣接する公園を抜け、ひとまず駅へ向かおう。
「ちょ、ちょっと待って」
店から出てきた彼は、児童らで賑やかな夕方の公園を横切って、オレを追いかけてきた。オレは、「なんだ、今更」と首だけで振り返った。
「金は返した。アンタらとオレの間にはもう、何の因縁もない」
「でも」
「でも?」
必死に食い下がる彼に、オレは思わず足を止めた。彼に向き直ると、彼は一瞬「ひっ」と声を上げ、距離を取って身構えた。オレは大袈裟だなと思いつつ、出会い頭に何をやったかを思い起こすと、それも致し方ないと思い至った。
こうして向き合うと、背丈こそ小さいが、横幅や身体の厚みはそこそこある。小柄で重量のあるパワーファイターといった印象だ。さっきは不意打ちだったから上手くやれたが、向き合って同じことをやると結果は違うかもしれない。構えも自然で、付け入る隙が見当たらない。
「アンタには、働いてもらわなきゃ困る」
「働く?」
彼らに付き合って働くとしたら、野久保かロジャーか。オレはどちらのネタも、とっかかりすら見つけられていない。無理難題を押し付けられる理由でもあった金は、突き返したばかり。困ると言われても、付き合う理由がない。
「動いて欲しけりゃ、困る奴が言いに来い。アンタらの、一番上がな」
末端と思われる彼を突き放したところで、上層部の方針は変わるまい。ここでオレが離れれば、目の前の彼も彼で困るのだろう。縞田と似たような表情を浮かべ、こちらを見ている。
「それか、オレが直接聴きに行こう。アジトをゲロってくれれば、片をつけてくる」
オレは、「どうだ?」と念を押した。
「アンタの名前は、絶対出さない。安心しろ」
彼は、オレの言葉を信用していないらしい。挨拶を交わす前に、アタッシェケースで殴りかかるという不意打ちを繰り出しておいて、「安心しろ」は飲み込めまい。娘が通う学校の前で張り込み、付け狙っていたコイツも悪い。不意打ちからの殴打はやり過ぎた気もするが、それで臍を曲げられて交渉不成立は、向こうに非があるとオレは思う。
さっきの店でソッポを向かず、さっさと口を割っていれば、寒い中での立ち話なんてしなくてよかったのに、彼は相変わらずモジモジと答えない。
「アンタの懸念も潰してくるって言ってるんだ。さっさと言えよ」
「む、無理だよ。いくらアンタでも、奴には敵わない」
奴ーー、例の小僧か。
決して弱くは無さそうな目の前の彼は、声と肩を震わせながら言った。その顔には、明らかに怯えが見える。奴の弟と共に造られた、彼らの最後期作は、それほど完成度が高いのか。だがーー
「聞き分けのないクソガキには、誰かが拳骨の一発でも入れて、躾けてやらないとな」
「しつけ、ですか……」
彼は乾いた笑みを浮かべた。相手がどれだけ兵器として強かろうと、悪ガキは悪ガキとして、強く当たらなければならない。今時体罰なんて非難轟々だろうが、そんなのはオレの知ったことではない。
「どうだ、しゃべる気になったか?」
オレが改めて水を向けると、彼はポケットから二つ折りの財布を取り出し、そこから一枚のカードを抜き取った。薄いそのカードは、府立図書館の利用者カードだった。久木薗薫と名前が書かれたカードの裏には、東大阪の本館と、中之島の分館の案内も添えられていた。
オレはそのカードを受け取り、「こっちか?」と住所を指した。久木薗は首を振った。オレはカードを返し、「ありがとう、助かった」と伝えた。彼は財布にカードを戻す。
話が済んだオレは、彼に「じゃあな」と告げ、駅の方へ身体を向けた。用は済んだにも関わらず、彼は「ちょっと」と声を掛けてきた。オレが「何だ?」と振り返ると、彼は自分が握りしめていたアタッシェケースを、オレに突き出した。
今からボスへ会いに行こうと言うのに、彼がこれを持つ意味はない。オレは「スマン」と彼に詫び、彼からズッシリ重いアタッシェケースを返してもらった。往路で手を離れると思っていた荷物を、復路もオレが運搬することになるとは。
勘弁してくれと思いつつ、そろそろ始まる学生たちの帰宅ラッシュに紛れて、上手い具合に目立たず、乗り切りたい。オレにアタッシェケースを渡すと、久木薗は足早に公園を後にした。彼もこのまま駅へ向かうと思っていたが、どうやらこちらに住まいや勤務先があるようだ。オレは背中を丸めて遠ざかる彼を見送って、数時間前に出たばかりの駅へ向かって足を動かした。
梅田へ出てから、中之島か。閉館時刻の午後八時には、余裕で間に合う。オレはアタッシェケースが目立たぬように抱え、ホームへ滑り込んできた急行電車に乗り込んだ。
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