第12話 混浴することによる非日常的会話の考察
どこにも行く気が失せた俺は荷物置き兼休憩に使えるように入浴券についてきた宿の部屋に戻っていた。浴衣のまま青い畳の上に転がっていると、雰囲気こそ違えどやっていることはいつもの週末と同じだった。
違うのは、マンガもゲームもないことと、今は隣に輝がいないことくらいだろうか。
山王遊技は国内ではパチンコの遊技台の販売や公営ギャンブルの専門誌の発行といったギャンブルに関する事業を手広くやっている企業だ。他にも世界中に向けてカジノ経営のノウハウ提供やコーディネートを行っている。
観光立国の目玉であるIR計画の中に含まれる国営カジノ計画には、俺の父親である
俺にはそれが信じられないほど気味が悪かった。
大学の学部も経営学部しか許されなかった。一年生のときは実家から通っていて、去年の成績上位者に与えられる奨学金をとったら一人暮らししていいという勝負に勝って、ようやく今年から一人暮らしを始められた。
そこに今は輝がいる。
あの家から逃げ出して自分だけの自由を手に入れた。だから勝手に入ってきた輝を追い出したかった。あの場所だけは俺だけが自由にしていい空間のはずだったから。でも今は想像していたより楽しいと思っている。
「寂しくなってくる、か」
美空先輩に言われたことを思い出す。あの家からようやく逃げ切れたと思っていたのに、実際には俺は少しも変わらないまま、大山巌の息子なのだ。
ぼんやりと部屋に転がって、スマホで掲示板なんかを眺めていたけど少しも気分は晴れなかった。また外に出ると、石崎みたいな奴に絡まれそうで温泉に行こうという気分にもならない。
「そういえば、ここに個室用の風呂があるんだっけ?」
小さなちゃぶ台の上に置かれた案内のパンフレットに手を伸ばす。ぱらぱらとめくってみると、縁側の先に脱衣所と露天風呂があるようだ。
「どこかに行く気分じゃないし、入ってみるか」
結局、あの風変わりな川の露天風呂もまったく楽しめるような状況じゃなかった。ここ数ヶ月忘れていられたことをバケツで頭からぶっかけられたような気分だった。
脱衣所はさっきの簡単な小屋とは違って、きれいな旅館らしい和風のたたずまいだった。浴衣を脱いでふと思い立って服を隠し外に出る。少し傾き始めた太陽の光を浴びていると、湯冷ましに日光浴も出来そうだ。白く濁った湯船は俺が3人横に寝転がっても大丈夫そうなくらいの広さで、部屋に備えつけられているのはもったいないと思える。
「はあぁ~」
肩まで浸かると同時に思わず溜息が漏れる。疲れが流れていくには今の気分はあまりにも重たすぎるけど、それでもさっきまでよりは少し気が軽くなった気がした。
岩陰にもたれかかるようにして体を浮かべる。空を見上げていると、脱衣所の方で音がした。他の客が入ってくるはずもない。一人しかいない可能性を考えて、俺はこっそりと岩陰で息を潜めた。
脱衣所から出てきたのは予想通り輝だった。一人だけのはずなのに、しっかりと胸元から大きなタオルを巻いていて、体のラインは隠れてしまっている。
「なんでタオル巻いてんだよ」
小声でツッコむ。俺がいることがわかっているみたいに輝は警戒するように周囲をキョロキョロと見回している。隠れるようにかけ湯を済ませると、ゆっくりと湯船の中に入ってきた。
じっと輝の姿を見る。
タオルを巻いたままの体は湯船の下で揺らめいていてよく見えない。しっとりと濡れた髪が首筋に張りついて
あと少し、そう思いながら体を岩陰から伸ばす。その時、濡れた湯船で手が滑って大きな水しぶきを上げながら倒れ込んだ。
「こーすけ?」
溺れないように顔を上げると、怪訝な声で輝が俺の顔を覗き込んでいた。体を守るように巻いていたタオルはさっきよりもきっちりと鎖骨のあたりまで巻き直されていて、小さな輝の体は見えないようにしっかりと守られている。
「何してるの?」
「なんか他のところだと落ち着かなくてさ。ここにも温泉はあるからさ」
言い訳を並べるけど、言っていること自体は嘘じゃない。また石崎に捕まりそうで外に出たくなかった。もちろんここで待っていれば輝が入ってくる可能性は考えていたけど。
「まぁ、それは僕もなんだけど。でもわざわざ岩陰で隠れて待ってたんじゃないの?」
「そんなわけないだろ。ほら、嫌なら出ていくよ」
がっちりとガードを固めた輝の性別を今から確認するのは無理だろう。だったら嫌がる輝と一緒に温泉に入っている意味はない。それにタオル一枚で湯船に浸かっている輝といるとなんとなく心臓が高鳴る気がする。さっきまで裸の女性と温泉に入っていたのに、その時よりも動揺していた。
輝なんて未だに男か女かわからないくらいのぺったんこの体で、ドキドキする理由なんてないはずなのに逃げ出したくなる。
湯船から出ようとすると、輝が器用に片手でタオルを押さえながら俺の手を空いた右手でつかんだ。
「別に入ってれば。ちょっとくらいならいてもいいよ」
「一緒は嫌だって言ってたじゃないか」
「ちょっとだけ。裸の付き合いってやつで仲良くなりたいんでしょ」
輝は少しだけ俺から距離をとった場所に座って肌をにごった湯で隠している。俺は逃げ出すわけにもいかないまま、輝の向かい側に居心地悪く座った。
「何か話してよ」
「えっと、温泉気持ちいいな」
「何それ。何か聞きたいこととかないの?」
「あるに決まってるだろ」
どこから来たんだ? 年齢は何歳だ? 学校には行ってないのか?
お前は、本当に男なのか?
聞きたいことなら山のようにある。でも、どれも聞いてしまったら輝がどこかに消えてしまうような気がする。追い出したいと思っているけど、行き先も告げずにどこかに消えてしまうのは許せない。
餌付けした野良猫みたいなもの。そう自分の中で言い訳する。でもそれはただの言い訳で、俺はもう輝のいる生活を当然のものとして受け入れ始めていた。
「一つだけなら聞いてもいいよ」
一つだけ。ためらいがちに輝は視線を逸らしながらそう言った。上気した頬は温泉の熱気で温められたせいか、桃色が白い肌にはっきりと浮かんでいる。
「一つだけならなんでも答えてあげる」
「嘘もつかないか?」
「つかないよ。でも聞かれたくないことはあるかな」
輝は少しうつむいて上目遣いに俺を見つめる。伸びてきた柔らかな手のひらが俺の顔に触れた。
たった一つだけ。それなら聞きたいことは。
「お前は、今の生活は楽しいか?」
ずっと不安だった。どこから来たのかわからないけど、知らない男の家でずっと過ごすことがいいこととは思えない。俺は、輝の同居人としての役割を果たせているのか。
口元から熱が湧き上がって全身に流れ込んでいくような気がする。
「えっと、僕は」
輝の唇がゆっくりと動きはじめると同時に、俺たちを包む湯気がもうもうと立ち上がっていった。
* * *
目を開けると、宿の布団の上に寝かされていた。少しはだけた浴衣に頭には濡れタオル。枕元に氷水が置かれている。
ほてった首筋を冷たいタオルで拭って起き上がると輝が駆けてきて、俺の体を布団に押しつけた。
「もう少し安静にしてて。湯あたりするなんて僕が来るまでどれだけ入ってたの?」
「湯あたり? 俺、倒れたのか」
あの全身を包むような湯気は錯覚だったらしい。視界が真っ白になっていったのは、俺だけだったようだ。
「泊まりにしてもらったから今日はそのまま寝てなよ」
「あぁ、悪い。助かった」
布団に体を預けて天井を見る。いろいろなチャンスを逃した気がして大きく溜息を吐いた。
「そうだ。質問の答え。聞けなかったんだけど」
「僕はちゃんと答えたよ。聞いてないのが悪い」
「仕方ないだろ、倒れたんだから」
「質問は一つだけでーす」
そう言って輝はもう何を聞いても答えてくれなかった。俺は答えを聞けなくてもやもやするような安心したような不思議な気持ちで、ふわふわとする頭を休めるために目を閉じた。
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