VS時間停止グッズ

「やっぱ納得いかねぇ」



 放課後、地域伝承研究会の教室。

 怒り混じりのぶすくれた声が、部屋の中に小さく響いた。



「……まだ言ってんの?」



 それに応えたのは、窓際でアルコール臭のする謎の水を傾けていた少女――酒視心白だった。

 どこか表情に乏しい彼女は、しかし明らかに面倒臭いという顔でアルコール臭い溜息をひとつ。イライラと貧乏ゆすりを繰り返している幸若舞しおりに目を向ける。



「もういい加減トゲトゲすんのやめたげなよ。ダウナーだけどふつーに良いヤツじゃん、ヤシロちゃん」


「信じられるか! だって淫魔だぞ淫魔! 淫らで変態で性欲の強い魔と書いて淫魔だぞ!?」


「その字面だーいぶ主観入ってますけどー?」



 ギャンギャンと噛みつくしおりを適当にいなしつつ、心白は彼女が荒れる原因となっている少年をほんのちょっぴりだけ恨んだ。




 天成社――つい先日、とある事件の際に知り合った男子生徒だ。

 彼は心白達の親友である華宮葛を性的被害に遭う直前で救出した、いわば彼女達にとっての恩人とも言える存在である。


 ……しかしながら、彼の種族には大きな問題があった。

 催眠や催淫能力を自在に操り、異性と交わり吸精を行う習性を持つ『淫魔』。

 それが社の正体であったのだ。


 おまけにその力も強大で、葛達三人の力でもってしてもまともな勝負になるかどうか。

 そんなまさに女性にとっての天敵とも言える彼であるが……葛と心白の二人は、ごく自然にその存在を受け入れていた。


 社に恩を抱いている事や、その性格が(ヘタレで小心者が先に来るが)善良だという事もある。

 だがそれらよりも、彼の吸精に直接的な性行為の必要が無い事が何よりの理由だろう。


 葛の生み出す華の蜜を舐めるだけで腹を満たせてしまう彼は、淫魔でありながら女性にとってほぼ無害という非常に稀有な存在であったのだ。

 ……まぁ、葛にはある意味被害が出ているのだが。それはさておき。


 そして当初は多少なりとも気を張っていた葛と心白も、経過観察対象として接する内に警戒するのも無駄だと悟り、殆ど友人関係に等しい状態となっていた。


 特に葛が大きく絆されており、今では地域伝承研究会にも招き入れようと提案する程となっていたのだが――そこで全く流されていなかったのが、変わらず社に厳しい目を向け続けるしおりであった。





「なぁ、もっかいだけあの淫魔のウラ洗い直さね? やっぱこれまで一回もヤッてねぇとか嘘くせぇって」


「もー、何度やれば気が済むのさ。ヤシロちゃんの過去はもう完全マルマル裸にしちゃったでしょ」



 心白はうんざりとそう言うと、ふうと白い靄を吐き出した。


 とろりとした重さを持った、酒精――霊力を含んだエチルアルコールの吐息。

 それはしおりの目前まで流れると長方形に薄く伸び、幾つもの文章を映し出す。



『天成社。種族・自称淫魔。十六歳男性。

 孤児。生後間もなく神庭医院前に置き去られていたとの事で、中学校卒業までは施設暮らし。なんとひっそりぼくとオナチュー。

 現在は南歌倉男子寮に入居しており――……』



 そこに並んだ内容は、詳しく纏められた社の来歴であった。

 彼を疑うしおりの強い要望により、心白が手ずから調べ上げたものだ。


 既に何度も調べ直すよう頼まれており、その度に情報の精度は上がっている。

 最早これ以上に正確な天成社の履歴書は無いと心白は自負していた。



「小学校から今まで、学校以外の時間はずーっと蜜を探してウロウロしてるのが目撃されてる。証拠も出た。学校とかに残ってた写真もゾンビだったから、間違いなくフルタイム腹ペコ状態だったよ」


「ぐっ……くそ、でもよぉ」


「これで納得できないんなら、もう自分でイロイロやんなよね。ぼくはもう疑いなくなっちゃったからさ」



 心白は往生際悪く縋るしおりを遮り、酒精をひゅっと吸い戻す。

 そしてそれきり窓へと向き直り、外の景色を眺め始めた。これにて話は打ち切りだ。


 しおりは暫く唸っていたが、やがて諦めたのか乱暴に椅子へ腰かけ机に脚を投げ出した。

 しかしまだまだ不満は燻っているらしく、大きな舌打ちを何度も鳴らす。



「チッ……じゃあ今はどうだよ。あいつ何かクラスの奴らと出かけてんだろ? ついてった葛も連絡してこねぇし……」



 傾けた椅子で器用にバランスを取りつつ、スマホの画面を心配そうな表情で眺める。


 結局、しおりが社を疑う理由はそれなのだ。

 乱れた素行に反する純情と潔癖さを持っているという事もあるが、何より気にしているのは友人が変な事をされないかどうか。


 例え一度は友を救ってくれたとしても、淫魔は淫魔。

 距離を縮めた先で姦淫の憂き目に逢わされる可能性は十分にあり、ならば自分だけでも決して絆されてはいけない。そんな思考だ。


 心白はそんな彼女が好ましかった。

 ……好ましかったが、しかし、まぁ。若干面倒くさいなーとも思っていた。流石に。



「んもー……じゃあこっちから電話しなよ。ここでグチグチ言わんでさー」


「……もう何度もしちまってうるさいって電源切られた……」


「だぁー」



 ぐってり。もやー。

 窓枠にもたれかかる心白の口からまたも酒精が流れ出し、薄い楕円を形作る。


《酒鏡の一、目を回すまで呑むんじゃない》――気化した酒精を用い、遥か遠方の景色を映し出す遠見の術だ。

 発動するまでに距離相応の待機時間があるのが難点ではあるが、付近数㎞程度であればそう時間はかからない。


 そのまま五分ほど待っていると、楕円形の中に鮮明な映像が流れ始めた。

 アミューズメント施設の内部らしいそこには、体感ゲームを楽しんでいるらしき社達の姿があり――。




 *




「――そりゃっ!」



 がこん!

 社の投げたボールが点数版を跳ね飛ばし、その先の壁を強烈に叩く。

 びりびりと空気を伝わる衝撃に、観客の少年達が感嘆とも恐れともつかない声を発した。



「えぇ……おかしいだろ、この前までホラーマンだった奴の投げる球か……?」


「肩平気? 力入れ過ぎてポッキリとかやめろよ」


「やー、全然だいじょぶ。ただ、やっぱまだこの身体に慣れてない感じっすわ」


「人の身体乗っ取ったモンスターみたいなこと言うじゃん……」



 がやがやと社の下へ集まる彼らは、社の属する一年C組のクラスメイト達だ。

 互いにどこか固さを感じるものの、角は無く。友人になり立てといった印象を受けた。



(……少しずつ、クラスに馴染んでいるようですね)



 葛はそんな彼らの様子を少し離れた場所で眺めつつ、ほっと小さく微笑みを落とす。


 葛の咲かせたスイカズラの蜜により、社が本来の姿を取り戻してから早数日。

 彼のあまりの変わりように当初は困惑と混乱に包まれていたC組のクラスメイト達だったが、ようやく慣れ始めてきたようだった。


 ぎこちなくはあるものの会話を交わすようになり、最近ではこうしてグループでの遊びに誘われるようにもなった。ゾンビ時代の腫物扱いだった頃とは比べるべくも無し。



(まぁ、全てが全て本心からではないのでしょうが……)



 ふと見れば、誰の目にも社の動向を窺う様な光がある。好意や友情とは別の、義務感じみたものだ。


 つじつま合わせで『これまで特殊な病に苦しめられていたが、奇跡的に完治した』という設定を作ったため、配慮というか気遣いというか罪悪感というか、そのような空気があった。

 社もそれを感じているらしく、時折居心地が悪そうにもじもじとしている様子が見える。



(まったく、淫魔の力を使えばすぐにでも違和感を消して馴染めたでしょうに……)



 ヤダもん! 絶対使いたくないんだもん!! トトロ居るもん!!!

 そういって駄々を捏ねた社の姿を思い出し、呆れ混じりの苦笑が漏れる。


 とはいえ、その方が葛としても好ましい。ふと脳裏を過る黄ばんだブリーフに催した吐き気を堪え、彼女はそう考え直した。



「……で、さ。改めて聞きたいんだけど」



 そうしてゲーム景品の可愛いぬいぐるみを眺めて気分を切り替えていると、クラスメイトの一人がチラチラとこちらを眺めている事に気が付いた。

 とりあえず葛がぺこりとお辞儀をすれば、向こうも慌てて会釈をひとつ。



「あ、あれ、A組の華宮さんだよな……? 学校からずっと付いてきてお前見てるけど、知り合い?」


「ああうん……そスよね、やっぱ気になってるよね、そりゃね……」


「むしろここまでツッコミ我慢した事褒めてよね」



 何やらヒソヒソ話をしているが、どうしたのだろうか。

 耳を澄ませて集中するも、周囲の音がうるさくて聞こえない。



「や、なんていうか……俺の体調良くなったの、華宮さんの……家か? いや、個人? まぁ、その力があったからで、その関係で経過観察したいとかなんとか……」


「えぇ……繋がり意外過ぎるんだけど……」


「つか観察って、そのまんま観察って事……?」



 暫くそのまま話し込んでいた社達だったが、やがて何かしらの合意を得たのか揃って葛に目を向けた。

 そして先程葛が眺めていたぬいぐるみを誰ともなく指差して、



「次、クレーンゲームやるんですけど、よければ一緒に遊びます……?」



 葛の瞳に、わくわくの光が灯った。




 *




「ごらん、失われていた青春を取り戻そうとしているよ」


「……いや、葛さ……葛……あの、葛さぁ……」



 そんな一部始終を眺め、しおりは脱力した。

 ぐったりと椅子の背にもたれ、疲れた顔で細長い溜息を吐いている。


 どうやら今日の所は納得したらしい。心白もほっと息を吐き、術を解除し再び酒精を引っ込めた。

 そうして二人何をするでもなく、ただただ静かな時が過ぎ――。



「……葛はさぁ、分かんだよ」



 不意に、しおりがそう零す。



「助けられたし、あいつの華欲しがってるし。情が湧いちまうのも分かんなくはねぇ」


「カチカチだったのがちょっぴりヤワヤワになったよね、カズちゃん」


「……まぁ、若干すっとぼけてきた感じはあるけどよ。いやそこはどうでもいんだ」



 しおりがのっそり上体を起こし、謎の水を啜っていた心白を見た。

 その目には僅かな疑問の光が宿り、どこか不安げに揺らめいている。



「お前が分かんないんだよ。何か最初からアタリ弱めっつーか、警戒薄いっつーか……なぁ?」



 常に表情が乏しく飄々とした態度の心白だが、その実他人への警戒心は非常に強いものを持っている。

 特に男性相手ではそれが顕著に現れており、親し気な口調で話していても明確な一線を引き、常に一定の距離を置く傾向にあった。


 しかし社に対しては、その線を引いていないように見えた。

 むしろ自分から電話番号を渡すなど、距離を詰めようとしている印象すらある。


 それを指摘すると心白は一瞬謎の水を飲む手を止め、すぐ何事もないかのように飲み干した。



「……んー、やっぱ顔がね。知ってると思うけど、ぼくはイケメンが大好きだから……」


「嘘つけこの前アイドル散々こき下ろしてたろうが」


「じゃあ研究心。あそこまで特殊な淫魔って珍しいんだよ」


「じゃあってついてる時点で語るに落ちてんだよ」


「ほほほ」



 心白はじっとりとした半眼から顔を逸らし、また窓の外を眺め始める。

 だが今度はしおりも引くつもりは無いようで、頬杖を突き睨みの姿勢。我慢比べのゴングが鳴った。



「…………」


「…………」


「………………」


「………………」


「……………………」


「……………………」


「…………………………………………」


「…………………………………………、ニンジャー!」


「あってめっ」



 先に根を上げたのは心白の方だった。

 唐突に叫んだ彼女の口から大量の酒精が吐き出され、煙幕のようにその姿を覆い隠す。


 慌ててしおりが蹴り散らすも、そこは既にもぬけの殻。

 残った少量の酒精が「ぼくも遊びに行ってくるね」という文を作り、やがて窓の外へと流れて消えた。



「……だああああクソッ! やっぱ納得いかねー!」



 ねー。

 ねー。

 ねー……。


 後には一人。金髪を掻き毟るしおりの叫びが木霊した。







「別に言えないって訳じゃないんだけどねー……」



 学校付近の路地裏。

 制服に纏わり付くアルコール臭をパタパタと散らしつつ、心白はそう独り言ちる。


 己が社に多少好意的である事は事実である。

 正真正銘、自分の意思で行っていると自覚もしている事柄だ。


 ……しかし、その理由を赤裸々に語るのは気が進まない。少なくとも、こうして逃げ出す程度には嫌だった。



(んーでも、まさか今更になってとは思わなかったよね)



 そうして心白は路地裏をのろのろ歩き出しつつ、ぼんやりと過去を振り返る。

 それはつい数日前にようやく真実を察した、あまり思い出したくない類の記憶であった。




 ■




 現在より一年ほど前。

 高校受験の影が見え始めた頃の、とある暑い日の事だった。


 当時中学三年生であった心白は、学校の屋上にあるベンチに腰掛け、一人昼食をとっていた。

 カンカン照りの空の下は食事の場に適しているとは言えないが、屋内の涼しい場所は多くの生徒でごった返している。

 その整った容姿故に人目を惹きやすい心白にとっては、ジロジロと周囲の視線が突き刺さり非常に鬱陶しい場所だ。

 そして何より、彼女にとって暑さの問題などは無いも同然。ならば屋上の方がまだ何倍もマシだった。



「んー、でもやっぱ日焼けはしちゃうなー……」



 昼食の菓子パンを温い炭酸ジュースで流し込み、心白は恨めし気に空を見上げる。


 その身体には白い靄が――彼女の霊能たる酒精が纏わり、蚊帳のように覆っている。アルコールの気化熱を利用し、周囲の温度を下げているのだ。

 おかげで汗の一滴すら流す事なく居られるが……やはり日差しの強さだけはどうにもならなかった。


 とはいえ、今屋内に戻ったとしてもまだ人だらけ。暫くはここで時間を潰す他はない。

 心白は溜息と共に立ち上がり、ゴミを荷物に押し込みながら屋上端の日陰に移動。金網に背を預け、二本目の炭酸ジュースの蓋を開けた。




 酒視心白は『酒』の字を持つ家に生まれた、その名の通り酒の力を操る霊能力者である。

 そして『酒』の一族は皆、己の霊力とを混ぜ合わせた特殊な酒精を行使する。


 ある者は酒精に酔って怪異と喧嘩し。

 ある者は酒精を纏って神と唄う。


 呑めや、唄えや、騒ぎに躁狂さわげ――酒によって宴を開き、神や怪異へ捧げ鎮めるための力であった。


 心白の授かったものは、纏う力。

 酒精そのものを自在に操り、様々な術を成す霊能である。


 戦闘には葛の霊能以上に不向きではあるが、それを超えた応用範囲を誇る代物だ。

 心白の才覚も素晴らしいものがあったようで、彼女はこの歳にして一族でも一二を争う程の高い酒精操作技術を会得していた。


 ……もっとも、一族の中での評価はそれほど高くはない。

 それは年齢や戦闘能力の低さといったものが理由では無く、もっと根本的な事が原因だ。


 ――心白は、酒精の摂取があまり好きではなかったのである。




「あー……飲むのやだなー、これ」



 ジュースを飲み終え、一息ついた後。

 心白は空のペットボトルと入れ替えに、一本の瓶を嫌々ながらに取り出した。


 無色透明。しかし強いアルコール臭を発する謎の水。

 足元に置かれた荷物の中にはそれが幾本も用意されており、開封の時を待っていた。


 心白はこれを定期的に飲む事で酒精を蓄え、己の力と変えている。

 しかし彼女にとってそれは苦行以外の何物でもなく、進んで行いたいものではない。


 だって、マズいんだもの。だって、酔えないんだもの。


 心白は所謂『わく』と呼ばれる体質であり、幾ら飲もうが酒精に酔う事が殆ど出来ないのだ。

 故に、酒精のある飲み物とは単に味と匂いの変な水という認識でしかなく。摂取の必要性は理解しているが、それでもだいぶ遠慮したい。そんな感じ。


『酒』の一族とは、つまり酒豪酒乱の呑んべえ一族。

 そんな中において、心白の嗜好は極めて異質なものだった。



(ジュースと混ぜてもマズマズだし、ほんとやだなー……)



 ちゃぷちゃぷと瓶を持て余し、苦々しげにジト目で唸り。

 そのまま暫しの間睨み続け……やがてそっと荷物の中へと差し戻した。



(……ま、今日はいーや。脱水の原因にもなるとか聞いた気がするし、こんな炎天下で飲むのイクナイ。イザって時は霊具でカバーできるし、ムリしないムリしない)



 何のかんのと屁理屈を付け、瓶の代わりに三本目の炭酸ジュースを引っ張り出す。

 あんな謎の水より、普通のジュースの方がよっぽど美味しい。一族の誰かに聞かれれば激怒されそうな事を思いつつ、ぷしゅっと蓋を回した。



「はー、やっぱこっちだよ、こっち」



 そうしてラッパ飲みしつつ、何気なく金網の外。眼下に広がる校庭を眺める。


 この暑さだ。外に出ている生徒は少ないが、男子生徒が数人ほどドッジボールで遊んでいる姿が見える。

 まだ小学生気分の抜けていない一年生だろうか。心白は呆れと微笑ましさが混じった気持ちで、ぼんやりとそれを眺め――。



「……?」



 ふと、妙なものが目に付いた。


 校庭の隅。向かいの校舎のすぐ近くに、一人の男子生徒が立っていた。

 それだけならば特におかしな事ではないが、心白の目には彼が突然そこに現れたように見えたのだ。


 暑さで景色が歪んだだけか。

 すぐにそう思ったものの、次の瞬間にはその姿を消し、また別の場所に立っている……。

 明らかに見間違いの類では無く、瞬間移動が起こっていた。



(……霊能? 妖魔? 何にも感じないんだけど)



 意識を霊能者のそれに切り替え、身を乗り出して男子生徒を観察する。


 小太りで背中の丸まった少年だ。

 細かに瞬間移動を繰り返す彼を捉えるのは難かしかったが、何か道具を持っている事は辛うじて分かった。


 心白はもっとよく見極めるべく、目元に酒精を吐き出し望遠レンズ代わりにし、



「……え」



 ――次に少年が現れた時、その顔がこちらを向いていた。


 離れていてもよく分かる、どろりと濁った黒い瞳が心白を捉える。

 少年の方も目が合った事は分かったらしく、酷く気色の悪い笑みを作り――次の瞬間、また消えた。



(、ヤバ)



 咄嗟に動けたのは、ただの幸運でしかなかった。


 心白の体内に霊力が満ち、瞬時に防御の酒精を練り上げる。

 物理攻撃にも精神攻撃にもある程度は耐えうる盾の術、《酒纏の三、酒樽を被るな》。心白はそれをすぐに吐き出し、身に纏い――。



(――へ?)



 だが、その寸前に全てが止まった。


 人、物、空、風、音、光、熱、匂い。

 世界の全てがぴたりと停止し、彫刻のように固まっている。

 当然心白の身体も止まっており、自分の意思では指一本として動かす事が出来なかった。


 世界が、地球が、時間そのものが止まっている――。



(え、なに? なにこれ、どうなって……!?)



 ……そんな静寂の世界の中で、動きを止めない例外があった。

 それは心白の意識と、そしてもう一つ。



「――ドアの度に止め直さないとなんないのは面倒だな……」


(っ!?)



 一瞬前まで確かに校庭に居た筈の、不気味な少年。

 近付く足音も気配すらも無いまま、いつのまにか心白の背後に立っていた。




 *




 その少年は、時間を止められるストップウォッチを持っていた。


 いつ、どうしてそうなったのかは語らない。

 鬱々と学校生活を送る内、ひょんな事からそのストップウォッチを手に入れた。それ以外の背景など知る必要のない少年だ。


 そして彼は、そのストップウォッチを使って自らの鬱憤を晴らす事にした。

 そう、少年は鬱屈していた。学校生活は明るいものではなく、日常生活は晴れやかなものではなく、何と言っても受験が目前。何もかもが楽しくなかったのだ。


 だが、このストップウォッチがあれば。

 どんな事をしてもバレる事無く、思い描いた好き勝手が出来てしまう。ああ何と素晴らしい事だろう。


 そうなればやがて求め始めるのは、己の性欲を満たす事。

 つまりは時間が止まっている隙に、女性をいいように辱める事である。男子中学生の性欲は凄いのだ。


 そこでターゲットと定めたのが、学校でも度々噂になっていた小柄な美少女、酒視心白である。


 少年としては豊満な方が好みではあったが、それを差し引いても確かに可愛いとは思ってもいた少女だ。『卒業』の相手としては上等の部類だろう。

 少し探して見つからなければ、そこいらに居る豊満な女性に狙いを変える程度の興味ではあったのだが――彼は偶然にも、心白の姿を見つける事が出来た。出来てしまった。


 屋上に居るのは面倒だったが、野外プレイというのも心惹かれた。

 こちらを見下ろす心白に思わずニタリと笑みが漏れ、少年はストップウォッチを作動。時が止まっている内にえっちらおっちら屋上へと走った。


 途中、ドアの開閉のため一度時間停止を解いたものの、それも一瞬。

 辿り着いた屋上には未だ心白の姿があり、少年は興奮を滾らせつつ可憐な少女へと手を伸ばしたのだった。


 ……よもや、心白の意識だけが時間停止から護られていたとは、露程にも思う事は無く。





「すげぇ……すべっすべだな、肌。へへ」


(ぎゃーっ! へんたいー! 太もも触るなーっ!)



 無遠慮に白い太ももをなぞるその手つきに、心白の意識が嫌悪に叫ぶ。

 しかし肉体には何一つとして反映されず、抵抗は勿論鳥肌の一つも浮かばない。


 そんな肉体と意識の乖離がまた恐怖を呼び、心白を酷い混乱の渦へと叩き込む。



(何っ、何なの!? みんな止まってるのに、こいつだけ……! 違う、一応ぼくもで、だけど……いや、霊能? こいつの霊能をぼくの霊能が防いでる? 充満して、外に吐き出す前だったから、身体の中だけって……!?)



 だが、その中にあっても思考は回る。


 無論、詳細に真実を把握するには至らない。されど彼女の才覚は、己の霊能が何を成したのかをすぐさま正確に理解した。

 ……同時に、己の置かれた状況が如何に『まずい』ものであるかも。



(やばい、やばいやばいって。これ一個しくじったら今度こそ止まるやつじゃん。偶然転ぶの留まれただけで、こっから先の道が無いよ……!)



 例えば酒精を吐き出し、改めて術を発動しても、心白の身体が動く事は無いだろう。それどころか、今度こそ意識も止まってしまう事すらあり得る。


 この術はあくまで盾の術であり、既にされてしまった干渉を解除するものでは無いのだ。

 心白が意識だけでも止まらずにいられたのは、体内に酒精が充満したその瞬間だったからこそ。本当に奇跡的なタイミングによるものだった。


 その酒精を僅かでも吐き漏らせば、今ある盾の術はどうなるか。

 そんなもの、考えるべくも無い。



(幸い、息とかは大丈夫そうだけど……ていうか何で苦しくな、んぐむっ!?)


「くそ……キス、キスしてみてぇんだけどな……隙間が……」


(やめろやめろー! そんな人工呼吸いんないでーす!! 息できないけどだいじょぶでーす!! 首折れるー!)



 考えている内、少年の手が心白の唇を弄り始めた。

 それはぷにぷにと瑞々しく、カチカチにはなっていない。どうやら『色々と都合の良い止まり方』をしているようだ。



 そして力尽くで顔を傾けようとするのだが、心白は校庭を覗き込もうと金網に頭を付けたままの姿勢で固まっている。

 中々うまく傾ける事が出来ず、やがて諦めたのか手を離し……そのまま下方へと移動した。



「チッ、まぁいいや。じゃあ胸……うわ、ちっさ」


(子供のころから飲むもん呑んでたんだからしょーがないでしょ! 勝手に触ってそ、そんな……ひっ、うぐ)



 思考の端に嗚咽が混じるが、当然涙は流れず。


 軽薄な言葉で騒いではいるが、恐怖を誤魔化す強がりに過ぎない。

 衣服の隙間に滑り込む粘つく指にとうとうそれも剥げ始め、思考を千々に掻き乱す。



(なんで……なんでこんな、こんな知らない、変な奴に――、っ!)



 胸をまさぐっていた手が離れ、更にその下へと降りて行った。

 腹から腰、そしてスカートの中を這い進む。そして荒い息を繰り返す少年の指は、とうとうその場所へと至り――。



(――ッ!!)


「はぁっ、はっ……あれ? どこだ? ちいせぇからか……?」



 その瞬間、体内の酒精を下腹部に集中。

 身体が傷つかない程度の硬質を持たせ、異物の侵入を許さないよう栓とした。


 これで何とか被害は防げる――そう安堵しかけた時、視界が激しく明滅。ほんの一瞬意識が飛んだ。



(っ……うぐ、く……あ、だめだ、これ……!)



 体内の酒精を突然移動させた事で、ただでさえギリギリだった術の均衡が崩れたのだろう。


 明らかに思考速度が遅くなり、ともすれば止まりかけ。

 心白はそれを必死に繋ぎ止めようとするが――おもむろに酒精の栓へと押し当てられたその硬い感触に、動かない筈の血の気が引いた。



「ふひ、まぁいいや。濡らさなくても無理矢理入れりゃいけるだろ……!」


(う、うそ、やめ)



 大きく足を開かれ、ぐいぐいと押し上げられる。


 当然ながら異物は栓に阻まれているが、力を籠められる度に酒精が削れ、散っていく。

 そしてそれは、酒精に護られている意識も同様だ。



(あ、やだ、やだ……)


「オラッ、くそ、もう少しぃっ! ちょっとずつ行ってるぅ……!」



 もしこのまま意識が止まってしまえば、次に目が覚めた時己は純潔を失っているだろう。

 それどころか、身体の至る所が穢され切っているかもしれない。

 ……記憶にすら残されず、知らぬ内に。


 そのおぞましい、そして確実に訪れるであろう悪夢に、心白の心が罅割れる。



(やだぁ。こんなのじゃ、やだよぉ。ぼく、ぼくだって、いつか――)



 涙が落ちる。

 錯覚だ。例えそれが数刻後に現実となるものだとしても、今は。



「おらっ! いけぇっ――!」



 心白の瞳から意思の光が薄れ、止まった世界と同化して行く。

 そして唯一動くものとなった少年のそれが、勢いよく栓を突き破り――。






 ――時間停止モノはねぇ!! 99割ニセモノですカラァーーーーーッッッ!!!






 突然、どこからか素っ頓狂な叫び声が轟いた。



「はっ? っうお!?」



 同時に世界に罅が走り、停止した時間そのものを砕き去る。

 それは数多のガラス片として明確に存在し、現実世界に降り注ぐ。色も、質量も、音も無い、時のかけら達だ。


 もっとも、その光景を認識するのは二人しかいない。


 一人は少年。

 あり得ざる光景に狼狽え、咄嗟に両手で頭を庇う。ストップウォッチが手から離れ、何処かへと転がった。


 ……そして、もう一人は――。



「――み、未遂だし、死ねとまでは言わないよ……!」


「はえ?」



 怯える少年の背後から、小さな声がかけられた。

 怒りと恐怖の滲んだ、震える声だ。咄嗟に振り向けば、そこには乱れた衣服のままの心白が立っていた。


 何故か琥珀色の火吹き棒を咥え、ギラついた、そして涙に濡れた瞳で少年を睨みつけ、



「ただ――ゲロでぐちゃぐちゃになるほど酔っ払ええええええええええッ!!」


「なぁっ!? ぐ、お、ごぉ……!?」



 絶叫と共に、火吹き棒へと思い切り酒精が注ぎ込まれる。


 心白の霊具にして、『酒』の一族の象徴の一つでもある酒間雅杉を使用したものだ。

 それに吹き込まれた心白の酒精は加速度的に濃度と密度を増し、それこそ白い炎のように吐き出され、少年の全身を包み込む。


 目、口、鼻、そして露となったままの下半身――ありとあらゆる場所から酒精が体内に潜り込み、溶けて行く。

 最早何をしたとしても防ぎきれるものではない。少年の身体はあっという間にアルコール血中濃度を跳ね上げ、分解される間もなく脳の神経細胞を麻痺させた。



「うぉ、うぐおぇぇぇぇぇ……!」



 ――その症状の名は、急性アルコール中毒。


 心白の技術により巧みに酔い潰された少年は、その宣告の通り大量の吐瀉物を撒き散らしながら昏倒したのであった。





「……はぁぁぁぁ。こわかったー……!」



 全てが終わった後、心白は力なく座り込み、ぽろぽろと涙を零した。

 絶望では無く安堵によって泣ける。その事実が堪らなく嬉しく、また泣いた。



(……何だったんだろ、こいつ)



 そうして心行くまで泣き晴らした目が、吐瀉物塗れの少年に冷たい視線をじっとり向ける。


 制服を見る限りどうやら同学年のようだが、見覚えは全くない。

 もっとも、心白は自分のクラスの人間でさえまともに顔を覚えていない。見覚えなどあろう筈も無かったのだが。



(霊力……え、無いじゃん。じゃあ、あの全てを止めてた力って? それに最後の声って……?)



 分からない。


 心白は己が頭が悪くない方……というか天才の類だとこっそり自負しているが、さしものスーパー頭脳もハッキリとした答えは出せそうになかった。

 これ以上は考えるだけ無駄と、ひとまず思考を留め置き。



「あっ、そうだそうだそうだった」



 はたと気付き、慌てて己の荷物へ走る。

 そして先程飲まずに置いた謎の水の瓶を取り出すと、躊躇なく頭から被った。



「ひー、ヤダヤダ……!」



 唇、胸元、太もも、特に下腹部へ念入りに。

 ずぶ濡れになる程振りかけて、少年の触れた痕跡をアルコールの香りで消していく。



(あんな気持ち悪いの、どこにも残してやんないもんね)



 満足いくまで浴び終えた後、心白はおもむろに火吹き棒へと酒精を吐き出し、身体に纏う。そして霊力を込め、一斉に気化させた。



「消毒!!」



 ぼふん、と白い煙が立ち、濡れた身体が一気に乾く。液体の蒸発による殺菌だ。

 ……が、当然それによって、熱も瞬間的に奪われる訳で。



「あっ、しまっ、~~~~~~~~~~~ッ!!」



 酔っぱらいの少年が転がる屋上に、突然の冷たさに喘ぐ情けない声が木霊した。




 ■




 結局、件の少年はあの後すぐに停学になり、それきり学校に来る事は無かった。

 心白への強姦未遂が公になった訳ではない。アルコール中毒で救急搬送され、飲酒をしたと大問題になったためだ。


 念のために空の瓶を付近に転がしておいた事もあり、言い逃れも出来なかったらしい。

 有り体に言って証拠の捏造をしてしまった訳だが、心白に罪悪感は微塵も無く、逆に物凄く寛大な処置だったなと自画自賛していた。さもありなん。


 ……そして例の停止現象と、それを解いたと思しき存在。

 その二つについては、結局分からず仕舞いで終わってしまった。


 前者に関しては少年がストップウォッチを使って行っていたという事までは突き止めたのだが、肝心の実物が見つからない上、手に入れた経緯も本当に「ひょんな事」でありそれ以上の事はハッキリとせず。

 後者に関しては言うに及ばず。何一つとして掴めなかったのだ。


 ……心白がアルコール臭のする謎の水の常飲を始めたのは、それからだ。


 もし少年に襲われた時、もっと潤沢に酒精を蓄えられていたのなら、どうにか出来る手立てもあったかもしれない。

 そして次にまた同様の出来事が起こった場合、また都合よく助かるとも限らない。


 後にしおりとつるむようになり、葛も加えた仲間が出来ても、炭酸ジュースには戻れなかった。

 常に警戒し、備えておかなければ――そんな強迫観念と危機感が、心白の心の底にこびりついていたのだ。


 ……少なくとも、ほんの数日程前までは。





「……あ」



 ふと、我に返る。


 すると、歩いていた筈の路地裏の景色が、いつの間にやら街中へと変わっている。

 そして目の前にはアミューズメント施設があり、無意識の内に入場しようとしていたようだった。


 ……先程遠見の術で見た、社達が遊んでいる筈の場所。

 心白は暫く入口を眺めていたが、やがて自分の意思で歩き出す。何となく、そわそわとして。



(……お、発見)



 それなりに広く、混雑している施設だ。そう上手くは社達を見つける事は出来ないと思っていたが、幸運にも少し歩くだけで彼の姿は見つかった。


 彼はゲームコーナーの隅にあるベンチに腰掛け、こそこそとスイカズラの蜜を吸っていた。

 ……冷静に考えると意味不明な事をやっているが、本人の容姿が容姿だ。やたら絵になり、逆に違和感のない不思議な事になっていた。



「や、どんな感じ?」


「えっ……あハイ、どもス」



 話しかければ、サッと背後に蜜を隠す。

 やはり隠喩の意味を気にしているらしく、人前で蜜を吸う事をなるべく避けているらしい。

 誰も読まないよそんな裏……とは思うが、いちいち言わない心白である。



「楽しそうだから来ちゃった。他のヒトはー?」


「あー……あっちで色々。何か華宮さんが熱入っちゃってさ」



 社の指さす先には、真剣な表情でクレーンゲームに興じる葛と、それを応援するC組のクラスメイト達の姿があった。



「あ、そこそこ、その先っぽ引っかけるようにして……」


「こ、ここ? ここですか? どこ? アームのどっちで……あー!」



 最早社よりも自然に馴染んでいるのではなかろうか。それを見つめる二人の視線が、生暖かい温度を帯びる。



「まぁカズちゃん、こういうとこ縁無かったからねぇ。新鮮でテンション上がってんじゃない」


「……酒視さん達とは?」


「ゲーセンは不良の行く場所です!って中々ね。何か価値観古いんだよね、ヤシロちゃんの観察って名目なかったらここにだって一生来なかったんじゃない?」


「へぇ……」



 心白もベンチの端に腰掛け、葛の様子をぼんやり眺める。

 それきり何となしに会話が止まり、アーケードゲームの電子音が喧しく響く。



「……ぼくたちさ、中学校同じだったみたいね」



 ぽつり。

 あくまで何気ない口調で、心白がそう零した。



「え……そうなの?」


「うん。まぁぼくは人ごみとか避けてたから、ヤシロちゃんの事全然気づかなかったんだけどさ」


「ああ、なら俺も同じっすわ。その時まだアンデットだったから何も……」



 心白はそもそも同級生に興味が無く、社は興味を抱く余裕すらなかったのだ。

 互いが互いの存在を知らずとも、当然と言えば当然だった。



「あと遠足だの運動会だのもサボりまくっててさ、思い出ゼンゼン残ってないよねー。その様子じゃそっちも同じ?」


「そうね、そういう系は休んで林の中とかうろついてたと思う。参加しても迷惑かけるだけだしな……」


「悲しいなぁ……ああでも、ぼく一個だけ記憶残ってるよ――何か、時間止まったっぽい時の事」


「は?」



 ちら。

 ウキウキと社の様子を窺えば、彼はきょとんと呆けた表情を浮かべていた。



「あれにはちょっとビックリしちゃったよねー。周りいきなり止まるんだもの」


「えぇ……なにそれ……あーいや……あ? あれ、あった……ような……?」


「! ……へー、やっぱヤシロちゃんも覚えてるんだ」


「何となく……? え、ハラヘリ限界の時よく見る幻覚じゃなかったのあれ」



 嬉しそうに声色を明るくする心白だが、社はそれに気付かない。

 難しい顔で虚空を睨み、記憶を探るように小さく唸る。



「えーと……ああそうだ、あの時は中庭の花壇に蜜吸いに行く途中で」


「うんうん」


「でもいきなり周り全部止まって、ドアも開かなくて行けなくなっちゃって」


「ほいほい」


「そんで開いてた窓から落ちて校庭で這い回ってたら、他の生徒がみんな止まってて、そこでようやくあっこれ何かおかしいぞと」


「ほ、ほーほー……何階から落ちたの?」


「たぶん三階? そんでまぁ、ヤダーってなってたら戻ってた感じだったかな。たぶん」


「……そっかー。ぼくの方と大体同じだねぇ。ちなみにその時何か拾わなかった?」


「え? ……あぁ、そういえばストップウォッチ頭に落っこちて来たから、それ食ったね」


「……なんで……?」


「……脳みそ腐ってる奴の考える事だから……」



 気まずそうに腹を擦る社に、嘘を吐いている様子は無い。


 ……先の一件の際。葛から話を聞いたその時から、予感していた。察してもいた。


 心白は小さく俯くと、じわじわと喜色の滲み始めた口角を隠す。だが隠しきれず、笑みが落ちる。

 流石に社もその妙な様子に気付き、声をかけ――その直前、心白の声が遮った。

 即ち。



「――時間停止モノって、どう思う?」


「は? 99割ニセモノでしょあんなん」





 ――99割ニセモノですカラァーーーーーッッッ!!!





「――っ! だ~~~~~よね~~~~~~~~!!」


「アッヒョ」



 常に乏しかった心白の表情が華開く。

 そして堪らずぴょんと跳ね、社と肩が触れ合う程に擦り寄った。社は死んだ。



「えナニ……どしたノ……こわ……」


「いやぁ、やっぱりなーって話。だよねー、そうだよねー、ねー?」


「なにが……? てかなんでいきなりAVの話を……?」



 反射的に返したのはいいが、今更恥ずかしくなってきたのだろう。

 赤くなったり青くなったり忙しい顔色でそう聞き返せば、当の心白はぱちくりと目を瞬かせ、しかしすぐにニヤリと笑う。



「そんな話はしてないって。でもそうねー……AVってんじゃないけど、ヤシロちゃんのためにぼくが一肌脱いであげてもいいよ」


「アッ、結構です、ほんと。華宮さんの花で平気ですんでハイ」


「いやいや変な事じゃなくて、カズちゃんのと似たようなもんだよ。花の蜜を舐めるので吸精が成立するなら、ぼくのやつでも行けそうなのがあるってだけ」



 心白はそう言うと荷物の中から小さな瓶を取り出した。

 アルコール臭のする謎の水。彼女はそれの蓋を開けないまま、太ももと下腹部のくぼみの上で逆さまにした。



「――わかめ酒、ノンアルで。やったげるよ? わかめ無いけど」


「あっ、華宮さんが呼んでるや! オイラちょっくら行ってくるッピ!!」



 社は真っ赤な顔から滝のような汗を流しつつ、じたばたと逃げ去った。

 ぽつんと一人残された心白は、しかし楽しげな笑みのまま。葛の応援へ混ざる彼の姿を穏やかに眺め、持ったままの瓶を開け――。



「……おっと、そだそだ」



 ふと考え直し、荷物へ戻した。

 そして付近の自販機へと向かうと、炭酸ジュースのボタンをぽちり。


 ――もう、好きな方選んでもいいよね。

 心白は心底嬉しそうな表情で、ぷしゅっとジュースの蓋を回した。

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