第26話 再会(1)
「紫の火竜は、自爆する」
一瞬空気が凍った。
フェリクスがゆっくりとこめかみに指をあてる。
「自爆……えぇ……」
「フェリクス。満身創痍って、どこまで行った」
「言葉通りです。翼は弓でずたずたになって、足もおぼつきません。ただ、目の輝きだけが力強くなっているように見えました」
「……そう、そろそろだね。古代種の魔力量なら、宮廷はもちろん、王都中にまで余波が及ぶ恐れがある」
「ヒルデさん、今から竜の周辺に結界を張れませんか。爆発を抑えるような」
「無理だね。そんな御大層な結界、詠唱にどれだけ時間がかかるやら」
ヒルデベルトは大広間の人気のない隅に近づくと、魔法の杖を使って、てこの原理で床板を引っぺがした。
「ヒルデさん……?」
「戦いは中断。騎士も全員この学校から出すよう指示して」
ヒルデベルトは床下に手を伸ばす。
中には魔法陣が描かれた大きな石板があり、様々な石が配置されていた。
ヒルデベルトは石の組み合わせを変えていく。
「この学校の校門に、結界を張れる機能があることは知ってるでしょ」
「はい。でもあれは学校を守るためのもので、起動するにも五人の魔法使いが……」
「学校を守る機能を、逆に竜の爆発を閉じ込めるように使う。僕一人で起動できるよう、今調整する」
「そんな調整、今できることですか……」
「七十秒で結界を展開する。それまでに、学校の中の人を全員逃がして」
ヒルデベルトはあくまで淡々と言いながら、作業を続ける。
「待ってください、ヒルデさん。あなた、爆発に巻き込まれて死にますよ。ちゃんと分かってますか」
「それが被害を最小限に抑える方法でしょ。迷わないで、政治科だろお前」
フェリクスは一瞬頭を巡らせると、すぐに通信機の向こうのギルベルトに向かって指示をだした。
後悔も自己嫌悪も、全部終わってからするものである。
間もなく、学校中にギルベルトの声が放送された。
「その竜は自爆する。すぐに、爆発を抑えるための結界を張る。全員五十秒以内に校門外へ退避。――怪我人はあきらめろ。各自、命を優先」
それだけで、放送は終わった。
ヒルデベルトが言った。
「ちょっと、そこに床に魔法陣描いている子いるでしょ、無理やり引きずっていってよ」
「――分かりました」
フェリクスがコルネリアに近づくと、肩に手を置く。
「君、行くよ」
「完成した、魔法陣……」
そのとき、コルネリアが呟いた。
コルネリアは輝く瞳でフェリクスを見て、きょとんとしてからヒルデベルトを探す。
先ほどまでのやり取りを、全く聞いていなかったらしい。
「ヒルデさん……?」
コルネリアが作業を始めているヒルデベルトを見つけて、声をかける。
ヒルデベルトは作業をしながら言った。
「コルネリア、魔法陣は生きてればかけるから、残念ながらそれはあきらめよう」
「えっ」
「あのね、僕らは同じ魔法使いでも、方向性が全く違うからさ。僕の分まで魔術を研究して、なんて言えないよね」
そしてヒルデベルトはコルネリアの方を一瞬見て、にぱっと笑った。
「君は、どうか君らしく生きて。好きなものを、捨てないで」
コルネリアは紫色の目を見開いた。何かを言おうとして、手を伸ばした。
その時、フェリクスがコルネリアを担ぎ上げた。
「アンネちゃんと、クラウディアさん! くそ、奴らは何をしている」
フェリクスは必至で辺りを見回し、見つけた。
二人は何故か入り口に棒立ちになったまま、こちらを凝視して何かをささやき合っている。
フェリクスは、思わず罵声を吐いた。
「あと四十秒だ、走れ馬鹿――」
***
その頃、放送室で通信をしていたギルベルトは、鉄砲玉のように部屋から駆け出していた。
クラウディアは逃げきれたか。
聡明だが、時々自分の身をあまりにも気にしないところがあるから心配だ。
探しに行こうかと一瞬考えて、ギルベルトは首を振る。
無理をせず、命を大事にとクラウディア本人から言われたのだ。
ここで死んでしまえば、クラウディアにあわす顔がない。
そして校舎から躍り出た時、ギルベルトは木陰に二人の騎士を見つけた。
――二人とも、ひどい火傷をしている。火竜の攻撃をもろに食らったようだ。
一人は意識を失い、もう一人はあきらめたように空を眺めている。
――怪我人はあきらめろ。各自、命を優先――
先ほど放った、自分の言葉を思い出した。
すぐに、どうすべきか判断はついた。
――だが、ギルベルトは怪我人に駆け寄った。
「しっかりしてください、この人は俺が背負います。あなたは走るんです」
「は? 無理だ、俺は足をやられた。校門まで走れない」
「では塀を超えます。あなたは俺の肩につかまって、無理やりにでも動いてください」
「何を言っているんだ。間に合うわけがないだろ」
「間に合わせるんです」
叫びながらも、ギルベルトにはわかっていた。
そんなことをしていては、間に合うはずがない。
わかっていたから、放送室ではああ言えたのに。
ギルベルトは一般棟の校舎をにらみつけると、うめいた。
「畜生……!」
***
アンネマリーとクラウディアは、硬直していた。
誰の声も聞こえなかったし、あらゆる状況を忘れていた。
――なぜなら、大広間の床に堂々と描かれた魔法陣を見てしまったからである。
古風な文字があらわすのは、騎士、恐ろしい火竜、善行の喜び、戦い、檻、そして執着。
その魔法陣は、二人には以下のように読めた。
――昔々、ある所に強く美しい騎士様がいました。
騎士様は王様の命を受けて、ある竜を討伐しに行きます。
ですが、悪竜だと言われていたそれは、確かに見目こそ醜悪でしたが、人や動物に善行を施すことを好む、心優しい竜でした。
彼らはお互いに、一目で恋に落ちたのです。
ですが、騎士様が何度説明しても、人々は竜を怖がります。
騎士様が何度説得しても、王様は竜を退治するという意思を変えません。
竜は言います。
「俺を退治しろ。人間は魔物を殺し、魔物は人間を殺す。それが宿命だ。だが、俺は人間を殺したくない。……殺されるなら、お前がいい。頼むよ」
騎士様は、竜を殺したくありません。
でも、騎士様が殺さなければ、他の騎士が竜を殺しにやってきます。
やがて、苦しむ騎士様の愛はねじ曲がった執着になりました。
この竜は、自分だけのものだ。
冥府のもとになどやらない。
もちろん、他の騎士に殺されるなど、まっぴらごめんだ。
「お前を殺す。目を閉じてくれ」
騎士様は言いました。
竜は言う通りにしました。
騎士様は、竜の足の筋を、翼を切り落としました。竜は苦しみに呻きました。
騎士様は、竜を檻に閉じ込めました。
そうしてしまえば、竜はもう何もできません。
騎士様は、王様から暇をもらいました。
そして、二人が出会った場所に、竜の檻を隠しました。
竜は泣きました。
「俺は、こんなふうに生きながらえても、何もうれしくない。殺してくれ――」
ですが、騎士様は笑って言いました。
「だめだよ、君を冥府の王のものにするなんて。だって、君はようやく僕だけのものになったのだから」
そういう騎士の目には、妖しい執着の光が宿っていました。
完
《結構、いくところまでいっちゃってるわね……》
クラウディアはうなりながら言った。
《製作者の今後が心配になる作品ですよ、これは……》
アンネマリーも額に手を当てて呟く。
《だけど……》
《ええ……》
二人は顔を見合わせた後、悔しそうに壁に頭を打ち付けた。
《セクシ――……!》
――そう思わせるだけの力が、その魔法陣にはあった。
頭の中で出所を探してさまよい、そうしている間にも熟成された萌えという名の多層世界が、ようやく完成された形で表出されたかのように見えた。
二人は思った。
ネリの仕業だ。間違いなくネリの仕業だ。
《何ていうか、こう、身分の差ならぬ、種族の差っていいわね。馬の時もそうだったけれど、魔物になるとより幻想的になるっていうか……》
クラウディアが早口で言う。
《あと、この病的な執着って最高ですね。病むほどに愛しているって、なんかこう、いい……!》
アンネマリーも力強く言う。
《ただ欲を言えば、もう少し火竜の描写が丁寧だったらいいわね。容姿とか、しぐさとか。もっと具体性のある描写をすれば、この魔法陣はさらに光るわ》
クラウディアが難しい顔で分析する。
《無理ですって姉さま、火竜に出会える機会なんて、まずありえない――》
二人ははっとして、黙り込んだ。
――一拍後、二人は臓腑にいきわたるほど息を吸いこんで、叫んだ。
《ネリ、見て――! 受けがいるわよ――――!》
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