第22話 騎士団合同演習会(7)
あれ、と言って、フェリクスは今気づいたようにアメルン伯爵に笑いかけた。
「アメルン伯爵、お久しぶりです。連れを案内しようとしてくれていたんですね。ありがとうございます」
そして人懐っこい笑みを浮かべながら、ごく自然にアメルン伯爵からアンネマリーを引きはがす。
アンネマリーの腕から、伯爵の手が離れた。
「じゃあ、彼女は僕が預かりますね。そろそろ騎士の個人戦の時間でしょうか。良い演習会を」
アメルン伯爵はしばらく驚いたようにフェリクスを見ていたが、やがて皮肉気に笑った。
「驚きました、フェリクス君。君はもっと華やかな女性を侍らせているものとばかり」
「いやいやー、そんなぁ」
フェリクスは軽やかに笑う。
「伯爵こそ、ダンスの素晴らしい方達と親しんでいらっしゃるようですね。いやぁ、素敵なことです。僕にはとてもとても」
アメルン伯爵は一瞬忌々しげな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「学生さんはたくさん仲の良い人をつくると良いですよ。お連れ様と会えたようで、何よりです。僕はこれで」
そう言うと、踵を返した。
最後の一瞬、アンネマリーに「助けてやろうと思ったのに、恩知らずが」とささやいていった。
「……じゃあ、あっちに空き教室あるから。座った方がいい」
去って行くアメルン伯爵を無表情で眺めながら、フェリクスは言った。
アンネマリーが真っ青を通り越して真っ白な顔色をしているから、座ろうというのだろう。
「……なんであの人は退散したんですか。ダンスの素晴らしい方とは」
「ああ、踊り子を囲い込んでるって噂を聞いたもんだから。当てずっぽうだったけど、意外と効いたな」
フェリクスは何でもないことのように言う。
「とりあえず、いったん座ろうぜー。俺はあちこち回ったうえに、変な奴を相手にして疲れた」
そうしてフェリクスに引きずられるようにして、アンネマリーは教室に入った。
「で、あれって前の……っていうか来世の父親だろ。なんで対峙してたのさ。なんかあった?」
アンネマリーを座らせた後、フェリクスが反対側に椅子を置きながら言う。
「いえ、本当に偶然です。たまたま会って、それで……」
「ふーん、それで目をつけられたと。アンネちゃん、いかにも都合よさそうだもんねー」
フェリクスがいつもの調子で言う。
「ていうか、なんであんなところにいたの。田舎の騎士たちの気安いいちゃいちゃを見に来たとか? 彼らなら、今から都会見物に行くって町に行っちゃったから、もういないよ」
アンネマリーは感嘆した。こいつはいちいちアンネマリーの趣味にケチをつけるくせに、どうしてやたらと自分の趣味の方向性を熟知しているのであろう。
「フェリクスさんは? なんでこんなところにいたんですか」
「なーに? 俺が自分の学校にいちゃまずい?」
「そういうわけじゃないですけど……」
アンネマリーは自分の指をせわしなく組み直していたが、やがて小さな声で聞いた。
「何で、助けてくれたんですか」
フェリクスは、アンネマリーが知る限りでは臆病な人間である。
だから、幼い頃は一番の友人だった。
だが、フェリクスは立派な奴なのだ。
内心怯えているにもかかわらず、果敢に人とかかわり、網目のような防御線を張りながら情報を集める。
宰相の補佐もしているくらいだ。
アンネマリーにはそんなことはできない。
アンネマリーは人が怖い。
いつでも誰かの陰に隠れて、目立たないように、誰の目にもうるさく映らないようにふるまう。
「貞淑」と呼ばれても、そのことが負い目のアンネマリーには嫌味にしか聞こえない。
フェリクスは勇敢な奴なのだ。
だから、最初は確かに同じ壁のもとにひっそりと身を隠していた子供のくせに、いつの間にかフェリクスは日向を闊歩する身分となり、アンネマリーは日陰の雑草の脇に隠れる小石となった。
なのに、フェリクスはわざわざアンネマリーにちょっかいをかけに来る。
アンネマリーには、彼にはもっと有意義な生活習慣があると思わずにはいられない。
それは例えば彼が傷つかないための防御線を張る時間だったり、社交界と言う戦場をくぐるための下準備の時間であったり、ゆっくり休息を取る時間である。
アンネマリーは、彼に自分を大切にしてほしいのである。
かつての友を応援しないわけがない。
関わったって一分の得もないアンネマリーなど気にせず、彼は心地よくベッドで休むべきなのである。
「じゃあ、アンネちゃんは何であの時、助けてくれたの」
フェリクスは、頬杖を突きながら言った。
「あの時?」
「えっと、変声機で追っかけ事件」
「ああ」
アンネマリーは答えた。
「そりゃあ、友達だからです」
それを聞いて、フェリクスは安堵のような、諦念のような微妙な目をして言った。
「じゃあ俺も、友達だから助けた」
ほわりとアンネマリーの胸に暖かいものが広がった。アンネマリーは俯いて、目が潤んだのを隠しながら言った。
「お、お前よぉ」
「うんうん」
「そんなに立派になっちまっても、私を友達だと思ってくれんのかよぉ」
「当然だろ。俺はそんなはくじょーな男じゃないよ」
「うん。私たちゃぁ、何十年たっても、何百年たっても友達だぁ」
「……そうね」
アンネマリーはずびっと鼻をすすりながら言った。
「さっきは、結構やばかったです」
そして、深々と頭を下げた。
「助けてくれて、本当にありがとうございます」
「いえいえ、どういたしましてー」
――助けてやろうと思ったのに、恩知らずが――
頭をあげようとして、アンネマリーはぴたりと動きを止めた。
「助けてやろうと思ったのに、恩知らずが……」
「え、何?」
「そう、アメルン伯爵に言われたんです。去り際に」
「え、困らせてた方だよね、アメルン伯爵……」
フェリクスは眉をひそめる。
「何それ、その人大丈夫?」
「少し待ってください。何か、引っかかるんです」
――わざわざ助けてやったのに、この恩知らずが――
頭にガンガンと警鐘が鳴る。
「わざわざ助けてやったのに、この恩知らずが?」
「何それ」
「いや、聞いたことがあるんです、あの人がそう言ったのを……」
――「令嬢の鑑」だなんだと、まわりにちやほやされて、鼻にかけて。こんな女だと知っていれば、僕は――
アンネマリーは頭を押さえながら立ち上がった。
「昔、お母様といっしょに蹴られたことがあるんです」
フェリクスは黙って唇をかむ。
アンネマリーはそのことには気づかずに、頭を押さえたまま混乱する。
「その時に……え、なんで? 『助けてやった』って、何のこと」
頭に警鐘が鳴る。
背後にお母様が立っていた。
目に見えたわけではない。
ただ、感じ取った。
アポロニア嬢だけど、アポロニア嬢ではない。
古くて所々つぎの当たった粗末な服を着た、額に傷の残っている「アポロニアお母様」だ。
彼女は言った。
動きなさい、アン。放置しては、いけない。
「あの人まだ、いますかね」
「え、あの人ってアメルン伯爵のこと。ちょっと何考えてるの」
フェリクスの叫びも聞かず、アンネマリーは走り出した。
フェリクスには一度説明すべきだ。
分かっている。
だがどうしても止まれない。
アンネマリーは教室を飛び出して、渡り廊下を走り抜け、アメルン伯爵が消えた方向に突っ走る。
あの男を探す。
走っているうちから、体中から血の気が引いていく。
手先がかたかたと震え出す。
こんな状態で、まさに先ほど無様にも動けなくなった相手にもう一度会いに行く。
あまりにも無謀すぎて、自分でもどうかしているとしか思えない。
そもそも、会って何を聞きだすのかすらまとまっていない。
だが、どうしても止まれない。
こういう時は、どれほど怖かろうが放置してはいけないと、どうにも曲げられないほど固く信じているのだ。
アンネマリーの根幹は、来世の「アン」であった時代から、「止まるな」と叫び続けている。
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