第3話 トクベツ


今日も一人、夜の河川敷を歩く。10月も中旬、聴こえる虫の音は鈴虫だろうか。私は虫にも詳しくない。橘遥に会ったあの日から、私の散歩コースは固定されていた。だが、あの日以来橘遥に会うことはなかった。もちろん学校では顔を合わせることもある。ただ、交わす言葉は挨拶ぐらいなもので、個人的に話をすることは全くなかった。自分でも思う。私は馬鹿だ。話したいなら話しかければ良い。友達になりたいのなら尚更だ。だけどそんな簡単なことを私は出来ずに、こうして毎晩、「必然たる偶然」を求めて歩いている。きっと学校で話しかけても彼女は嫌な顔一つしないだろう。むしろ笑顔で私との会話を受け入れてくれるに違いない。なのになぜ…。自問する。そして身勝手な自分の考えにたどり着く。私はそれが嫌なのだ。他のクラスメイトと同じように接せられるのが。他の子と同じ様に彼女を取り巻く人間の一人になることが。偶然ここで会ったことを、彼女自身にも特別なことであって欲しいと思っている。

「…特別」

私は橘遥との出会いを特別だと考えているのか…突然胸がざわつく。それではまるで谷さんの言葉が…。私は頭を振って考えを振り払う。これは考えるべきことじゃない。馬鹿馬鹿しい。

「あーアホらし!」

 声に出して言ってみる。私は少し考えすぎなのだろう。昔からそうだった。ただただ考え続けて、行動に移せないタイプの人間だ。最良と最悪、どちらかと言うと後者に思考は転がりがちだ。しかも大抵はそのどちらでも無いことが良くある。嫌われているんじゃないか…嫌なことが起こるんじゃないか…そうやって考えて一歩が踏み出せずにいる。けど思い切って踏み込んだ時は案外大したことはなかったりする。きっと今回もそうだ。ただ少し珍しく、自分から友達になりたい人間を見つけただけだ。だから心がちょっとだけビックリしているだけ。それだけのこと。そう思うと自分が本当に愚かしい人間だと感じ、笑みが溢れた。

「ふふ、ほんとアホらし! バッカみたい!」

 夜の河川敷、人気はない。独り言を言っても訝しがる人間はいない。この自分だけの空間に突如現れた橘遥は確かに特別かもしれない。妙に気になっていた子だから余計に。

「明日、話しかけてみればいいか」

心に決めると、私はまた暗闇に向かって歩き出した。



だがそううまくはいかない。分かっていました。一人でいる時私は気が大きくなるのだろうか。

前日の決意はどこへやら。話しかけるタイミングを見計らっているうちに昼休みになってしまった。自分としたことが…いや、私らしい。なんと情けない。もはや腹立たしい。正直話しかけるタイミングはいくらでもあった。休み時間、橘遥は大抵一人だった。授業のノートをまとめていたり、本を読んだりして過ごしている。それが私をさらに苛立たせる。何故、彼女は一人なんだ。テスト期間中にすり寄ってきた奴らは何をしている。でも話しかけないのは私も同じじゃないか! 私の馬鹿…! そしてまたも情けなく保健室で谷さんと昼食を共にしていた。

「あんたほんとにどうしちゃったの? そこ、シワんなるよ?」

 谷さんに指を差され言われた。どうやら私は眉間にシワを寄せて難しい顔をしていたらしい。

「谷さん」

「何」

「…友達ってどう作ればいいの?」

「今更? ていうかあんたやっぱり友達いないのか…」

 やっぱりだと?? そこは聞き流すとして、誤解がある。

「友達は普通にいるよ。多分…。そうじゃなくてさ。新しく作るには。どうしたらいいか」

「普通に話してるうちに自然となってくもんじゃない?」

「それが難しい時は?」

「え。それが難しいって…あんた難しいこと訊くね」

「三十路でも分からない事あるのか…」

 少し反撃に出てみた。

「おい」

「う〜ん…困ったなぁ…」

 私はわざとらしく頭を抱えた。谷さんは膨れっ面をしていたが、暫くして笑顔になった。

「ははは、それなら方法は一つかあるな」

「何!?」

 私は期待を持って谷さんを見た。

「『友達になってください!』って言う」

私は落胆した。がっくり肩を落とす。

「それが出来たらこんな話しないでしょ…」

「いやいや! 案外嬉しいもんだと思うよ? 『あーこの人私と友達になりたいんだ』って一発で分かるし」

「ないわ…」

「…それにね」

谷さんは珍しく、ほんのちょっぴり真面目な顔をした。

「真剣な想いをちゃんと伝えられれば、その気持ちに真剣に応えようって思うのが人間だよ?」

私は少しだけドキリとした。そうかもしれない。仮に逆の立場でそう言われたら、それが例え嫌いな人間であっても、真剣に向き合おうとするかも知れない。でも…。

「………私には出来ないよ…」

私は俯いて言う。

「んー、そっか…。まぁ、気長にやんな。まだまだ若いんだから」

谷さんは手を伸ばすと私の頭をポンと優しく叩いた。



「じゃあねーバイバーイ」

放課後、最後まで残っていたクラスメイト二人を見送って、私は一人になった。なんとなく、帰る気が起きずに、ダラダラと教室に留まってしまった。時間は16時半。もう日が落ちきろうとしている。日中はまだ少し暖かいが夜は冷える。そろそろコートを出しても良いかもしれない。日暮れの教室というのは酷く物悲しい。外を見れば校庭で部活に励む生徒が沢山いるのだが、こうして椅子に座っていると、それも見えない。遠くの音楽室から漏れ聞こえる吹奏楽部のホルンだか、トランペットだかの音が耳に届く。私は管楽器にも明るくない。窓から空を見上げると、もう星が出ていた。それをボーッと眺める。おそらくあれは金星だろう。

谷さんの言葉を思い返す。あの言葉には確かな説得力があった。真剣な想いには真剣に応えるのが人間か…。この17年の人生で私は誰かにそうやって真剣に向き合った事があっただろうか。多分…恐らく…きっとない。東京に越してきて、田舎の友達と別れた。最初は連絡を取り合う友人も何人かいた。それが一人、また一人と数が減っていき、今では誰一人いない。私もそれで良いと思っていた。そういう希薄な人間関係が今の学校生活でも続いているのだと思う。

それを、私は今、変えようとしているのだと思う。変えようとして奔走している。迷走の方が近いだろうか。でも確かに変えようとしている。何かが変わることが嫌いだったはずの私は何処に行ったのだろう。自分でも本当は変えたかったのか…?

『ガラ』と、ドアの開く音を思考は中断した。そちらを向くと橘遥が立っていた。

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