Act.6 後悔の念(アンナ)

 うなる轟音と熱風。かなでの渾身こんしんの一撃は、アンナと玲果によって動きを封じられていたムカデの頭部に突き刺さり、もたげた首をそのまま地面まで焼き切った。ムカデの巨体がゆらりと揺れて、力尽きるように地に倒れる。集まっていた小型魔物たちは散り散りになって消えていった。


「……や、やったの?」


 みやこは確かめるようにそう口にしたが、味方の状況もかなり良くなかった。

 大技を放ったかなでは、魔力尽きて斧を放り出したまま地面に大の字に倒れている。アンナと玲果も這いつくばるようにしながら、荒い息をついている。瑞希はムカデの攻撃をまともに受けて少し離れたところで気を失っている。

 まさに満身創痍まんしんそうい。薄氷の上の勝利だった。



「か、勝った! 勝ったよぉ! みんな生き残ったんだ……」


 とはいえ勝ちは勝ちだ。神田班は出現した魔物のほとんどを殲滅し、凄まじい戦果を上げた。ミス・ジェイドや、魔物の逸走を食い止めてくれていた3年生チームのおかげもあるが、今は素直に喜んでもいいだろう。

 そう考えたみやこが班員を労おうとした時、ふと頭上に影がさした。


 不思議に思ったみやこが天を仰ぐと、何かが太陽を背にしてこちらに急降下してくるのが見えた。


「──っ!」


 それに気づいたのかアンナと玲果が息を飲む。だが、魔力を消費しすぎたのか、すぐには動けなさそうだった。


(なにあれ……見たこともない、魔物?)


 太陽を背にしているせいでその容姿はよく見えないが、全身がピリピリするようなこの感覚は間違いなく魔物と対している時の感覚だった。

 大きさは中型魔物サイズはあるだろうか。羽を広げ、かなりの速度でまっすぐみやこの方へ襲いかかってくる。


(回避は間に合わない。盾で防ぐしか……防げるの?)


 みやこは大盾を構え、残りの魔力をありったけ全身からかき集めて込める。正直あの魔物がカマキリやムカデのような攻撃力を誇っているのであれば防ぐのがやっとでとても反撃などできなさそうだった。


「……くっ!」



 みやこが下唇を噛んだ時、ふと魔物とは別の何かが空中を横切った。──と同時に頭の上を魔物が通り過ぎていく。その時、初めてみやこは魔物の全貌を把握した。

 それは、体長5メートルほどの巨大なトンボ型の魔物であり、背中には1人の少女が乗っており、長剣でトンボの脳天を突き刺している。


(あの瞬間に魔物に飛び乗って剣を突き刺したというの……? なんて動体視力と身体能力……)


 そうしているうちに、少女はトンボの脳天から剣を引き抜き、左右の手に握った長剣で挟むようにしてトンボの首を落とした。そして、息付く間もなく胸の辺りを突き刺し、手早く魔核を取り出す。歴戦のみやこですら呆気に取られるほどの早業だった。

 呆然とするみやこをチラッと一瞥いちべつする少女。だが、すぐに興味を失ったようで、墜落するトンボの背を踏み、黒い長髪のポニーテールをはためかせながら前方の森の中に消えていった。


 みやこは彼女に見覚えがあった。確か同じ3年生の……。


「──風祭かぜまつり 莉奈りな


 その名前を呟くと、みやこはペタンと地面にへたりこんだのだった。



 ❀.*・゜



 魔物殲滅の報を受けて、程なくして医療班が現場に到着し、アンナ達は治療を受けることができた。

 幸いなことに皆大きな怪我はなく、彼女たちが訴えていた症状はほとんどが魔力の消耗によるもののようだった。


 今回の襲撃は前線から離れていた地点でということもあり、遅れて現着した防衛科の生徒も合流して詳しい調査が行われることになった。アンナたちも、応急処置を受けるや否や調査に加わることにしたのだが、他でもないアンナのたっての希望ということもあり、まずは魔物の襲撃を受けた集落を訪れることにした。



「……そんなっ!」

「……」


 集落は見る影もなかった。畑は荒らされ、家という家はことごとく魔物に踏み潰されて瓦礫がれきと化している。なぎ倒された電柱から垂れた電線からは時折火花が散り、地元の消防などで構成されたレスキュー隊が瓦礫をかき分けて生存者を探すものの、見つかるのは死体ばかりだった。


 アンナは悔しそうに顔を歪めた。もしあの時自分が真っ先に集落に駆けつけていれば、この中の何人かは助けられたかもしれない。だが、それでは魔物の殲滅はできず、逸走した魔物が更なる被害をもたらすことも考えられる。必要な犠牲だったとも言えるが、アンナにはそう割り切ることはできなかった。


「わたくしが……わたくしにもっと力があれば……」

「仕方ないよ。アンナはよくやった。わたしたちもベストを尽くした。だから、自分を責めちゃだめ」


 班長の瑞希がアンナの肩に手を載せながら慰める。が、彼女も目元にうっすらと涙を浮かべていた。見回すと、かなでもみやこも玲果も皆同じような表情をしている。

 悔しいのは皆同じなのだ。と思った途端、アンナの中で何かが音を立てて切れた。


「──っ! ……うっ」


 彼女は涙を流して泣いた。勇者の末裔として、人々を救うという使命を負いながらも、また要らぬ犠牲を生んでしまった。集落が危ないとわかっていたにもかかわらず、救うことが出来なかった。最善の手を打った結果がこんな結末だったということに対するやりきれない思い。そして、思い出されるのはあの小田原挟撃戦での敗走だった。


「わ、わたくしはなんのために魔導士になったのでしょうか……戦っても、戦っても、犠牲は増え続けるばかりですわ……こんな、こんな残酷なことってあるでしょうか!」

「でも、かなたちが戦わないともっと犠牲が増えることになる。悲しいけど、力を持っているかなたちがやるしかないんだって思ってる」

「かなでさん……」


 かなではなんともいえない悲痛な表情をしていた。そういえば2年前の小田原挟撃戦で、かなでは姉妹スールの姉を亡くしたのだという。きっとアンナよりも辛い思いをしたのだろう。アンナは言葉が出なくなった。自分が何を言っても軽くなってしまうような気がしたのだ。


「大丈夫。今は神田班のみんながいるから。……それに1年生も入ってくるしねっ」

「あっ、そういえば明日だっけ入学式ー?」

「今年はどんなモルモット……失礼。実験対象が入ってくるのか、楽しみだなぁ」

「玲果、それ言い直せてないからね!」


 結局、皆重苦しい話題を避けるように会話を逸らした。アンナやかなでにとってはそれで救われたようなところはあったが、結局自分たちがどうするべきなのか。なんのために戦えばいいのか、うやむやになったままだ。



 ふと、アンナは視界の隅に見慣れた制服を捉えた。征華女子魔導高専のものだった。

 その制服を身につけた人物は、目の前のブルーシートに包まれた遺体を前に呆然とした様子でたたずんでいる。学年章から、明日入学する予定の1年生だと分かった。


「……あの、大丈夫ですの?」

「アンナ、そっとしといてあげなって」

「いえ、でも、放っておけませんわ!」


 かなでの制止を振り切って、アンナは1年生の元に駆け寄った。彼女はアンナの存在に気づくと、射抜くような視線で睨みつけてきた。アンナは少したじろいだ。


「……何の用だ?」

「大切な方でしたの?」

「──両親だ」

「そうでしたの……」


 1年生は短く答える。そして露骨に不快そうな表情をした。


「……冷やかしかよ?」

「い、いいえ。そういうわけでは……」


 アンナに詰め寄った1年生は、アンナの両肩を掴む。慌てて瑞希たちが止めに入ろうとしたが、それをアンナが制した。


「あんたら、3年生だろ? 強いんじゃねぇのかよ! なんで集落を助けてくれなかった!」

「それは……」

「もっと早く来てくれたら、両親は助かったかもしれないのにどうして……!」


 堪えきれないとばかりに感情を爆発させながら、激しくアンナの肩を揺さぶる1年生の剣幕に、アンナは何も返せなかった。ただ、されるがままに揺さぶられ、1年生が下を向いて涙を流し始めると、一言「ごめんなさい」と呟いた。


「……なんであんたが謝るんだよ」

「ごめんなさい……」


 1年生は大きくため息をついた。


「オレたちの代わりに魔物どもを討伐してくれてる3年生にこんなこと言っても仕方ないよな。……悪かったな」

「いえ、辛い気持ちは少しはわかりますわ」

「戦ってくれてありがとな」


 それだけ言うと、1年生は足早にその場を立ち去った。あるいはアンナたちに涙を見られたくなかったのかもしれない。


「なぁにあの1年。あれが上級生に対する態度ー?」

「まぁまぁ、両親を失って気が立ってるんでしょう」

「にしてもあの歳でいきなり1人きりなんて……誰か支えてあげられる人がいればいいけど……」


 玲果が口を尖らせれば、瑞希がなだめ、みやこが心配そうに眉をひそめる。

 アンナは1年生を追いかけることもできずに、ただその背中を見送っていた。


(まっすぐで強い。でも危なっかしい……あの子、どこか気になりますわね……)


 地面に視線を落とし、ふぅと息をつくと、アンナはブルーシートに包まれた遺体に向かって手を合わせた。日本人が死者に対してよくする仕草を真似したのだ。


「さあ、一通り調べ終えたら帰ってシャワーでも浴びたい気分ですわね」

「だねー。その後は教官に呼び出されてみっちりミーティングがあるかなぁ」

「明日入学式だってのに忙しいね全く」


 努めて明るい口調で冗談交じりに言葉を交わしながら、アンナ達は帰路につく。



 ──これが、アンナ=カトリーン・フェルトマイアーと井川佐紀が初めてまともに顔を合わせた瞬間だった。

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