第五話 名隊入隊式1 全てのはじまり


「痛いーっ」


 目じりのあざをぎゅっと押されて、日向はぐいーっと楓の手を引く。


「遅い」


 門の前でずっと待っていてくれてたようで。

 日向が証明書をだすと、それを奪うようにひったくって、楓は背を向けて門の中に歩いていった。



「あ、待って」


 日向は追いかける前に、手首の御守りを見て、桜の木の下を振り返った。


 そこには、まだ日向を見ている司が立っていた。


 日向はニッと笑って、大きく手を振る。


「司ー! いってきまーすっ!」


「いってらっしゃい、日向」


 司が手を振り返してくれたことに、安堵と同時に、不意に大きな喪失感を覚えて。

 じんわりと、目頭が熱くなった。


 日向は慌ててそれを隠すように、無理やり気づかないように笑顔をつくると、人ごみに紛れてしまいような桜銀色の髪を見つけた。


 その背中は、いままで追いかけて隣を歩いてきた司の背中より大きくて。

 それなのに、一瞬でも眼を話したらパッと消えてしまいそうなほど不確かで、儚い印象があった。


 これから、日向が追いかけるのは、この背中だ。


 阿修羅を止められるほどの力を持ち、見たこともないほど美しい容姿に、人形のような無表情で、口が悪い、日向の保護者。



 日向はもう桜の木を振り返らない。


 目の前の背中だけを追いかける。




「楓!」


 これからは、「生きる」ために、楓に追いつこう。

 そして、いつか追い越して、自分の価値を証明するんだ。

 保護されるんじゃなくて、となりに立って、必要とされるような友人になるんだ。


「これから、よろしく!」


 楓のとなりに並んで、その横顔を見上げる。


 いつも見上げる司の横顔より少し高い位置にある楓の顔は、相変わらず無表情で、何を考えているのかわからない。


 一歩が大きい楓の速さに合わせて小走りでついていく。


 一週間前に戦学で出会ってから、楓は五番隊の編成で忙しかったらしく、会うことはなかった。


 日向には、一週間ぶりに会った楓の纏う雰囲気が、以前にも増して鋭くなっているように感じた。





 若草色の屋根に、金色の鯱が輝く天守閣の前についた。


 周りには、二十代後半から三十代くらいの大柄な男性たちがぞろぞろと、大きく開かれた扉の中に入っていく。


 楓は扉に向かわず、近くの木陰に進む。


 日向はそれについていく。




「楓、入らないの?」


 楓は木陰に入り、周りに人がいないのを確認して、日向を見下す。


「ここから、名隊式が始まったら、あんさんは正式にわたしの部下や。わたしは五番隊の副隊長で、年齢関係なく、五番隊以下の名隊員の上司となる」

 無表情の口から、これからの日向の態度について説明される。


「話し方には気ぃつけ、あんさんは五番隊員でも、あくまでわたしの部下で、おまけや。年齢、実力、経験、地位、どれをとってもあんさんは名隊員の最下位以下や」

 日向は、ごくりと唾を飲み込んだ。


「あんさんがどう扱われるか、現状じゃ想像がつかへん。正式な名隊員として認識されるかも怪しい。特に、一から四番隊員には絶対に粗相を行すな」


 朝日奈道場で年上にもため口を使ってきた。敬語や、上の人を敬うことに慣れていない。



「ぼく……敬語とか得意じゃない」


「ああ、この二週間でそれはよくわかっとる。あんさんからは敬意のけの字も感じられんかった」

 冷ややかに言われて、ムッと口をとがらせた。


「楓とは、友だちになりたいから気軽に接しただけだよ、やろうと思えば敬意だって示せるよ……たぶん」


 楓は、スッと感情を殺して日向を見下す。


「ここは、完璧な縦社会や、阿呆な真似したら、問答無用に消される。弱みを作るな、見せるな、だれも信用するな」

 冷ややかな声に、息を飲む。


「でも、みんな愛知国を守るために集まってるんでしょ?」

 楓は、ジッと日向を見て、目を伏せる。


「……皆が皆、あんさんのように理想を掲げとるわけやない、自分の身は自分で守れ」

 楓はそれ以上何も言わず、背を向けて扉に向かった。


「え、えーっと、つまり、敬意をもって、みんなに敬語を使って、それから、警戒をしながら……みんなと仲良くなればいいんだよね?」


「最後以外正解や、あと、任務中はわたしから離れるな」


 日向は楓の後ろにくっつくようにしてついていった。





 大きく開かれた扉をくぐると、天守閣の一階の大広間の光景に日向は息をのんだ。


 入隊式の開始三〇分前なのに、数え切れないほどの人であふれていた。


 朝日奈道場の倍ほどある巨大な会場に、がたいのいい男たちが並んでいる。


 左から右へいくほど人が並ぶ数が増えているのは、左から一番隊、二番隊と並んでいるからだろう。


 新入隊員から一番隊に所属できる人は一握りしかいない。


 大体は、十番隊以下から入隊し、その後の成績で昇格していく仕組みとなっている。




「あんさんは、あそこや」


 左から五番目を示され、楓を見上げる。


「楓……さんは?」

 楓は会場の正面を見る。

 前方には設置された横長の舞台がある。

 入隊式が始まったら、それぞれの部隊長と服部隊長があそこに横並びになるのだろう。



「わざわざ、案内してくれてたんだね……ですね。ありがとうございました」

 苦笑いで楓にお礼を言うと、楓は何も言わず舞台の左、下手の扉のある方へ歩いていった。


「はぁー……これからやってけるかな」


 まず、敬語が危ない、と呟きながら五番隊の列へ向かう。

 五番隊には二人の青年が二列で隣り合わせに並んでいた。


 一桁の部隊には、それぞれ数人しか並んでおらず、十番隊から急に人数が増えている。



 ガタイの良い、悪く言えばむさくるしい中年男性が多い中、五番隊に並んでいる二人は比較的若かった。


 声をかけていいのか分からず、そっと後ろに並ぶ。


 一人は、日向の頭一つ分高い、司と同じくらいの背丈の青年で、藍色のさらさらの髪があご下まで伸びている。細身の青年だった。

 ごつくて威圧感のある男ばかりの中、細身の青年がいることに日向は親近感を抱いた。


 もう一人は、日向の頭二つ分以上ある大きな青年だった。

 後ろ姿しか見えないが、無駄な筋肉のない鍛えられた身体をしていた。


 関西州から流行してきた染料で髪を金色に染めているのがわかった。

 金色の短髪の両耳の上を少し剃り上げている部分が薄茶色の髪をしているから、地毛は薄茶色なのだろう。


 そして、日向が目をうばわれたのは、青年の後ろ首から、袖をまくった腕まで描かれている幾何学模様の刺青だ。

 きっとシャツの下にも刺青があるんだろうな。

 刺青を生で見るのは初めてだった。


 黒い三角や四角、小さな丸などが、花火を描くように円を描いている。身体に花が咲いているようで、日向はつい見入ってしまった。


 これって、体を洗っても落ちないんだよね?


 なぜか、その刺青が、その模様が、日向の心を捉えて離さなかった。

 無意識のうちに惹きつけられるように腕を伸ばす。


 日向はそろっと、青年の腕に描かれている三角の小さな模様に触れた。


「ん?」


「あ」

 本当に無意識だった。


 大きな青年が振り返り、視線をさまよわせて、手元を見た時、小さな日向を見つけて目を見開いた。


 初対面の人の刺青を触るって、だめだよね? これ、失礼だよね?


 楓に注意喚起されたばかりなのに、と、日向の心臓がドクドクと音をたてる。



「あ、ご、ごめんなさい、えっと、すごく綺麗だから、その、つい」

 慌てて手を引っ込めて、冷や汗をかきながらなんとか笑顔をつくって青年を見上げる。


 首が痛くなるくらい背が高い。そして、でかい。


 健康的な肌の青年は目鼻立ちがしっかりとして、堀が深く、中部州ではあまり見ない顔つきだった。


 薄茶色の眉毛に、べっこう飴のようなきれいな淡い茶色の瞳をしている。


 口元に二つと耳に大量の黒いピアスをはめているのに、ひっと息をのんだ。


 しかし、いかつい顔を想像していた日向は、少し眠たそうな気だるげな雰囲気の青年を見て少しだけ安堵する。


「ん」


 少し低い声で、一言で返事をすると、青年はまた前に向き直った。


 日向には怒っているようには見えなかったので、無口な人なのだ、と結論付けて一歩引いて並びなおす。



 すると、きょろきょろと周りを確認して、もう一人の細身の藍色の髪の青年が一歩下がって日向の隣に並んだ。


「ねえ、きみ、戦学制だよね?」

 覗き込むように小さな声でささやかれたその目はきらきらと輝いている。


「え、うん……じゃなくて、はい!」

 こくこくとうなずいて青年を見上げる。


 少し白い肌に、髪と同じ藍色の優しそうな瞳に少し安心する。


「ふふ、やっぱり」

 爽やかな好青年で、理知的なのに、唇の下にあるほくろが、少しつやっぽさを出している。


 きれいな人だな、と日向は青年を見て思った。


 楓みたいな現実ばなれした綺麗さじゃなくて、なんか、現実的で、優しい感じが落ちつく。

 日向は心の中で青年を褒め称えながらも、警戒をしないと、と言い聞かせて青年を真剣な面持ちで見上げた。



「えっと、どこかで会いしましたか?」


 そう問えば、青年は少し考えるように斜め上を向くと、すぐにうなずいた。


「戦学の食堂で、きみの肩にお盆をぶつけちゃったんだけど、覚えてるかな?」


 一週間前に、司とご飯を食べていた時だ、と思いだす。


「あ、覚えてます。すごい優しそうな人だなって思ったので。戦学制が他にもいて嬉しいです」

 笑顔で返すと、嬉しそうに青年はうなずいた。


「おれも嬉しいよ。小さくてかわいくて、調べ尽くしたいなって思ってたから」


「ん?」


 爽やかな笑顔から、よくわからない言葉が聞こえてきて小首をかしげるけど、青年はなんにもなかったかのように続ける。


「おれは沖奈爽知おきなそうし、気軽に沖奈おきなって呼んでくれると嬉しい。戦学の五年制なんだけど、きみは……確か二年制だよね?」


「え、なんで知ってるんですか?」


「んふふ、興味のある者は調べるでしょ?」


 あれ、やっぱり、ちょっとおかしい? と警戒心を高めながらもこわばった笑顔をつくる。


「いぇ、えーっと、そうですね、あはは……ぼ、ぼくは二年制の朝日奈日向です」


「うん、知ってる」


 日向の言葉に、前に立っていた刺青の青年が少し振り返る。


「え、お前、何歳?」

 そう低い声で聞かれて、日向は少し緊張しながら答えた。


「十四歳です」

 青年は目を見張って、眉を寄せると、あごに手をあてた。


「え、場所、間違えてないか?」


 あまりにも驚いたのだろう彫りの深い顔をしかめた。


「大丈夫です、ぼくもちゃんと理由があってここにいるので」

 詳しくは自分からは話さないけど、と心の中で呟いて、日向は青年を見上げた。


「あ、そうか、すまない……おれは、四守しもり はやとだ。隼でいい、よろしく」


 隼は眉を寄せて困った表情のまま、日向と沖奈を見比べて、頭をかいた。


「おれは十九だ……なんつーか、あれだな。若い方だと思ってたけど、お前ら見ると一気に老けた気がするわ」


 刺青やピアスをつけている威圧感はあまりなく、隼は静かな話し方をする人で、日向は少し肩の力を抜いた。


「ぼくは、早く大人になりたいですよ」


 そう言って笑うと、沖奈と隼はふっと笑った。


「日向、って呼んでいいかい? 三つしか変わらないんだ、敬語は必要ないよ」

 沖奈が言うと、隼もうなずいた。


「ああ、おれも敬語は、使うのも使われるのも苦手だ。どうせ仕事は新人なんだし、好きに話せ」


 日向はその言葉にふぅーっと息を吐いた。


「助かるよ、ぼく、本当に敬語苦手なんだ。これからよろしくね、沖奈おきなはやと!」


 ニカッと笑うと、沖奈は嬉しそうに微笑んだ。



「やっぱり、日向と同じ部隊になれるように、五番隊長に直談判してよかった」


 ニコッと爽やかに恐ろしいことを言う沖奈に、日向は目を見張る。


「え、え? ぼくと一緒になるのを直談判したの?」


「うん、だって、こんなかわいくて、小さいのに、あのバケモノを真っ二つにできるなんて、興味深すぎるでしょう?」


 爽やかな笑顔に、日向の背筋にゾゾッと悪寒が走った。


「え、それ、何で知って……」


「何の話だ?」


 顔を青くする日向に、話についていけていない隼が首をかしげる。


「日向はね――うぐっ」

 沖奈の胸元のシャツをつかみ、勢いよく引いて、その発言を止める。



「あ、なに? 秘密にしてるの?」


 きょとんと、胸元の手と、必死に自分を見上げて睨む日向を見て、クスッと嬉しそうに目を細めた沖奈は、日向の頭に手をおく。


「どうせ、すぐに広まるのに、かわいいね」


 ゾッとした。興味深い観察対象を見るような眼。


 沖奈は、その手を日向の首元に伸ばし、もう片方の手で、手首の御守りをなでた。



「これから、じっくりたくさん日向のこと教えてね」


 にこりと笑った沖奈にゾクゾクッと嫌な予感しかしなくて、日向はヒッと声をあげて沖奈の手を振り払った。


 変態だ。

 こいつは危ない。


 本能が警戒音を鳴らした。



「お、おい……あんま気持ち悪いことするなよ?」

 隼は完全に引いていて、沖奈と日向から一歩離れた。


 ぼくからも離れないでよ!


 日向は心で叫んで、一歩隼の近くに寄った。



「お、沖奈の知りたいことはよくわからないけどっ ふ、普通に仲良くしてくれたら嬉しい」

 うわずった声で、隼に隠れるようにそう告げると、沖奈は満足そうにうなずいた。


「うん、たくさん仲良くしよう」


 楓、いきなり問題が起きそうだよ。



 何度目かの叫び声を上げた時、背後の扉が閉じたのを感じた。


「只今より、第六十八回『名古屋専属戦闘部隊』入隊式を行う」


 名隊員の声に、日向たちは前を向いて背筋を伸ばした。


 ここからだ、ここから、はじまるんだ。




「各隊長、副隊長入場!」


 日向は舞台の上に上がる三〇人の各隊長と副隊長を見つめた。


 黒髪や茶色の髪の中、桜銀色の髪が照明によって美しく輝く。




「愛知国首相、入場!」




 その声に、会場全体に緊張がはしった。














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