本編2
第25話「わたしも視察に……?」
「──不運な王女とあの強運な王子が婚約?」
臣下からの情報に男──いや、まだ少年のような面立ちをした彼は目を見張る。
そして、「彼の姫が……」と呟いて俯いた。
「それも近日、我が国と隣接する砦に二人揃って視察をするという噂もございます。殿下、これは千載一遇の機会なのではありませぬか?」
「そうだな……」
殿下と呼ばれた少年は少し悩んだすえ、決意を宿した瞳をして臣下に告げる。
「──行くぞ、隣国インフォーリアへ」
臣下たちはその言葉に頭を垂れた。
☆
「チェックメイト」
何度目かの宣言にキャロルはため息をついて肩を落とす。
「……アデルバート様には歯がたちません……」
これで10戦10敗だ。
ライリーとの対戦でももう少し勝てるのに、アデルバートにはまったく勝てない。
どんな手を考えても見抜かれて手を打たれる。もはやアデルバートに勝つ自分を想像すらできない。完敗だ。
「チェスの腕前は私が唯一誇れるものだからな」
なんの感慨もなく、アデルバートはそう言った。
「ご冗談を。アデルバート様はとても優秀な方だと兄から伺っております。それに、ライリーからも」
「……世辞だろうが、その言葉はありがたく受け取っておこう。……本当に私が優秀なら良かったんだがな……」
最後は小さな声だったが、キャロルは辛うじて聞き取れた。
ライリーもだが、この兄弟はどうしてこう自己評価が低いのだろうかと不思議に思う。
ただ謙虚なだけなのかと思っていたけれど、ここまで来ると異常だとすら思えてしまう。
アデルバートの優秀さは他国にも届くほどのものだ。現国王に代わって施した政策は着実に成果をあげている。その成果の一つが鉄道を敷いたことだ。
もともとほんの僅かな区間にしかなかった鉄道を都心部から地方へと繋げた。
まだまだ工事は続いているそうだが、それでも鉄道が敷かれた地域の物流面では数多の利益を生み出し、街は活気に満ちている。
また、鉄道を繋げるための人手を多く雇ったことで地方から出稼ぎに来る者も多く、地方に住む者たちの収入が増え、そのお陰で餓死者も減ったという。
現国王の補助を始めてからの僅か十年にも満たない期間でこれだけの成果をあげたのだ。これを優秀と言わないのなら、神から祝福でも授からない限り優秀な人物なんて現れないだろう。
「まあ、そんなことはさておき……キャロル姫、ライリーが視察に行くことは聞いているだろうか?」
「はい、伺っております」
確か、隣国に近い砦に行くと言っていた。そこは一年まで侵攻を繰り返していた好戦的な国だった。しかし、今は国内での内乱や混乱が連発しており、侵攻どころではなくなっているらしい。
ライリーは軍に属してすぐにその侵攻を阻止するために前線に送られた。そこで成果をあげ、国の英雄と呼ばれようになったのだ。
その砦はライリーが指揮する部隊が常駐しており、定期的に赴いているのだとか。
「その視察に姫もついて行ってみてはどうだろうか」
「わたしも視察に……?」
アデルバートからの提案に目を見開く。
正直に言えば、しばらくライリーと会えなくなるのは不安ではあった。でも、仕事で出かけるライリーについて行きたいと我儘を言うのは阻かれて、一人でも頑張ろうと自分に言い聞かせていたところだった。
「わたしがついて行ったら、お仕事の邪魔になりませんか……?」
「それは大丈夫だろう。隣国も
アデルバートは一見冷たそうに見えるけれど、思慮深い人だ。そんな彼が大丈夫だと太鼓判を押すくらいだから、本当に大丈夫なのだろう。
まだアデルバートと会ってから数ヶ月しか経っていないけれど、それがわかるくらいにはアデルバートの人なりをキャロルなりに理解しているつもりだ。
「そういうことでしたら、ぜひわたしも同行させてくださいませ。わたしもこの国のことをもっと知りたいです」
「では、そのように手配をしよう」
アデルバートの表情が微かに和らぐ。
一見わからないアデルバートの表情の変化にも気づけるようになったことを感慨深く思う。
初めて会ったときはこの人とはわかりあえないかもしれないと思ったのが、かなり昔のことのよう。そう感じることがとても不思議だった。
「ありがとうございます、お
そう返すと、アデルバートは虚をつかれた顔をした。そしてフンと顔を反らす。
「……別にあなたのためじゃない。私は現状を踏まえて、そうした方がこの国の利になると判断しただけだ」
そう言うアデルバートの顔は少し赤い。しかし、表情は険しくなっていて、怒らせてしまったように見える。
だけど、今のキャロルにはただアデルバートが照れているだけだと確信していた。
素直ではないなとキャロルは内心苦笑する。アデルバートの妻であるジェシカいわく、それが『可愛い』らしいのだけれど。
(『お義兄様』と呼んだことに文句を言わないのは、嫌ではなかったということで良いのかしら)
まあ、文句を言わないのだからいいのだろうとキャロルは判断し、アデルバートを怒らせらないように素直に「はい」と頷いておく。
「詳しいことはあとでアレに聞くといい。事前に姫が同行する前提で視察の日程を組めと伝えてある」
アデルバートはそう言うと、反らしていた顔を戻した。
「……あなたが今後暮らすことになるこの国のことを、これを機により近く感じ、知ってほしい。姫もこの国の一部となるのだから」
「はい。この機により学ばさせていただきます」
しっかりと頷いてみせたキャロルに、アデルバートも満足そうに頷いた。
その日の夜、キャロルはライリーに会ったときにアデルバートとの話をした。
「あの、ライリー。わたしも視察に同行してもいいと許可をいただきました」
「ああ、兄上から聞いている。視察の話が出てときにキャロルも同行するかもしれないとは聞いていたが……まさか本当だったとはなあ」
「……わたし、やはりお邪魔ではないでしょうか?」
不安になって、俯いてしまう。
膝の上に握られた拳にはいつの間にか力が入っていた。
キャロルは不運で有名だ。実際にその通りだし、キャロル自身もそれは自覚していて、できるだけ周りに迷惑をかけないように心がけて生活している。
……とはいえ、キャロルの不運は防ぎようがない場合も多いので、毎日のようにちょっとした騒ぎが起きているのだけど。
ぎゅっと握ったキャロルの拳をライリーの大きな手がそっと包む。
「邪魔だなんて、とんでもない。私もキャロルがついてきてくれたらいいなあと思っていたくらいだ。ベンも『キャロル姫がご一緒されるならば殿下が張り切って仕事をしてくれそうなので大変ありがたいです』と言っていたし」
それはそれでどうなのだろうか、と思ってしまう。
普段のライリーの仕事ぶりをキャロルは知らないのでなんとも言えないけれど、ベンが苦労しているんだろうなということはなんとなく察してしまう。
「それに、キャロルにこの国をもっと知ってもらいたいからな。いい機会だと思っている。キャロルの国とは違った良さが我が国にはある。それを実際に見て感じてもらいたいんだ」
「……はい、わたしもこの国のことをもっと知りたいです」
「うん。まあ、平和とは言い難いのが現状だが……この国はいい国だ。キャロルも好きになってくれると嬉しい」
はい、と頷いたキャロルにライリーはお日様みたいな温かい笑顔を向けた。
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