第19話「とっても可愛い人でしょう?」⑤


「サンダース公爵令嬢、あなたを呼び出したのは他でもない。我が弟のことだ。あなた方姉弟は弟のことを聞いて回っているという話が私の耳に入った」


 まっすぐにジェシカを見て言ったアデルバートに、ジェシカの背筋が自然と伸びる。

 きちんと聞かなくてはならない。もうこの人からしかライリーのことを聞く術はないのだ。


「……その通りでございます、殿下。わたくしはライリーと手紙のやりとりをしていたのですが、ここ半年ほどライリーから連絡がなく、なにかあったのではないかと心配になってわたくしたちなりにライリーの近況を知ろうとしていたのです」

「……まあ、そんなところだろうな。そう思うのも無理はない。だが……これからはそれも控えることだ」

「え……? それはどういう意味でしょうか?」

「そのままの意味だ」


 アデルバートはメイドに自分のティーカップにお茶を注いでもらい、メイドたちを部屋から下がらせる。

 そしてそのお茶を口に含み、再び口を開く。


「しばらくの間、弟があなたに手紙を出すことはない。なぜなら──ライリーは軍事学校へ入学したからだ」

「……軍事、学校……?」

「そうだ。あなたも知っているだろうが、弟は『強運の呪い』にかけられている」

「『強運の呪い』……それは呪いなのですか?」


 ライリーの強運は呪いなどではなく、むしろ神様からの祝福だとジェシカは思っていた。

 しかし、アデルバートは首を横に振る。


「あれは呪いだ。強運であることと引き換えに、不幸を強いられるのだから」

「不幸……」

「強運であるがゆえに、人に崇められる。だが反対に、強運ゆえに人に疎まれ、やがて孤独になる──あれはそんな呪いなんだ」

「そんな……!」


 ジェシカの知るライリーは、確かに幸福とは言い難い状況だった。

 それでも、ライリーはいつも笑っていた。だから、ライリーが不幸であるなんて、ジェシカは考えもしなかったのだ。


「話が逸れたな。なんであれ、弟が強運であることには違いない。そして、それに目をつけた陛下が弟を軍に入れ、国を守る防波堤にすることにした。しかし、軍に入るには王族といえどもある程度の訓練や知識が必要になる。そのためにまずは軍事学校に入学させたんだ」

「そ、それではまるで陛下は──!」


 ──ライリーの死を望んでいるようではないか。


 その言葉は寸前で呑み込んだはずだが、アデルバートにはわかったらしい。

 彼は皮肉げな笑みを浮かべた。


「あなたの考えた通り──陛下は弟のことを煩わしく思っておられる。それこそ、弟がどうなろうと構わないらしい」


(嘘だわ……だって、ライリーは陛下の……)


 ──実子であるのに。

 そう思ったのと同時に、幼い頃のライリーの姿が浮かんだ。


 ジェシカがライリーを訪ねると、ライリーは一人で部屋にいることが多かった。ライリーが母親である王妃と母子らしく話をしているところを見たことがない。ましてや、ライリーから父親の話を聞いたことすらないことに気づき、ジェシカは愕然とした。


(ライリーは……実のご両親と上手くいっていなかった……? でも、ライリーは寂しいなんて一度も言ったことがない。……違う。一人でいることが当たり前だったから、寂しいと感じることがなかった……?)


「どうしてライリーは……」

「これが『呪い』だ。……いや、弟が、陛下に疎まれているのは、私が原因だな」

「それはどういうことですか?」

「そのままの意味だ。私は昔から体が弱く、陛下の跡を継ぐのは難しいと考える者が多い。それに比べ、弟は健康で、なおかつあの強運だ。私よりも弟に王位を、と考える者が出るのは当たり前なことだが、陛下はそれが気に入らないらしい。だから、弟を疎むのさ」

「それで……」


 陛下はアデルバートに王位を譲りたい。しかし、臣下たちからはライリーを推す声が多い。だからライリーを疎む──なるほど、確かに陛下にとってライリーは邪魔な存在だ。

 だけど……。


「……王家の方が軍に属することは、ままあることでしょうけれど、軍事学校にまで通わせるなんて聞いたことがありません」

「そうだな。王家の者が軍に属したとしても、普通はお飾りの役職に就くだけだ。しかし、弟は役職を与えられ、前線で戦うことを強いられる。国の象徴として」

「そんな危険な場所に王子を送り込むなんて……!」

「国のことを考えればありえない。ましてや私は病弱として知られているのに、わざわざ命を危険に晒す場所に行かせるなど……正気の沙汰ではない」

「殿下……」


 吐き捨てるように言ったアデルバートの瞳には、確かに憎しみの炎が宿っていた。

 暗く輝く翡翠の瞳がジェシカを写す。


「あなたが弟のことを気にかけていると噂になり、それが陛下の耳に入れば、あなたの父上であるサンダース公爵の立場も危うくなるかもしれない。だから、弟のことを探るのはもうやめるんだ」

「……そう、ですね。わかりました。ご忠告ありがとうございます」


 こうしてライリーの近況がわかっただけで十分だ。

 ライリーの立場が非常に危ういことが心配ではあるけれど、こればかりはジェシカにどうにかできそうもない。


「……」


 素直に引き下がったジェシカに、アデルバートは憮然とした顔をして、眉間の皺を深くした。

 なにか気に触ることを言っただろうかとジェシカが自分の言葉を思い返していると、アデルバートが口を開く。


「……あなたが心から弟のことを案じていることを見込んで、相談がある」

「わたくしに相談、ですか?」

「ああ。私は弟こそ王に相応しいと思っている。だがしかし、この現状では弟が王位に就くどころか、その命さえ危うい。まあ、強運があるからなんとかなるだろうが……とにかく、弟を国王にするためには、協力者が必要だ。サンダース公爵令嬢、あなたのお父上ほどの力があれば、弟を王にするための大きな力になる。そのための橋渡しをあなたに頼みたい」

「それは……」


 ジェシカの父は王家とは近く離れずの距離を保ち、中立というスタンスでいる。

 近い将来に王位継承争いが起こったとしても、父はどちらにもつかず、ただ見守るだけだろう。


(確かにお父様がライリーの味方になってくだされば心強いけれど……)


 果たして父が、アデルバートとジェシカが説得して、今のスタンスを変えるかと聞かれれば、首を傾げざるをえない。

 父は自分の信念は曲げない人だ。


「殿下は……それでよろしいのですか?」

「国のことを考えれば、弟が王になる方がいいに決まっている。それに私は……」


 アデルバートはなにかを言いかけて口を噤む。

 それを不思議に思いつつも、ジェシカは頷いた。


「わかりました。父と殿下を繋ぐ橋渡しのお役目は引き受けます。ですが、父を説得するのは骨が折れるかと……」

「それをなんとかするのが私の役目だ。それ以外にも、あなたにはなにかと協力してもらいたいことがあるが、未婚の男女が理由なく一緒にいると外聞が悪い。そこで、本題なんだが……私と婚約をしてくれないだろうか?」

「…………はい?」


 サラリととんでもないことを言われた気がする。

 目を丸くするジェシカからアデルバートは目を逸らし、さらに眉間の皺を深めた。


「勘違いしないでほしいが、これはすべて弟のために必要なことだ。婚約をしていれば、あなたと二人で会っていたところで咎められることはないだろう?」


 少し早口になったアデルバートを、ジェシカはじっと見つめる。微かにだけど、耳が赤くなっているような気がする。


(もしかして……照れていらっしゃる?)


 ジェシカの脳裏に幼い頃のアデルバートの姿が浮かぶ。本当は嬉しいくせに、必死にそれを隠していた意地っ張りなアデルバートの姿が。


(なにかしら……こう……ムズムズするわ……なんというか……もっと虐めたくなるような……)


 もっとアデルバートを困らせたい。

 王子に対してそんな不敬なことを思ってしまう。


「……確かに、殿下とわたくしが婚約をしていた方がなにかと都合がいいですね。それこそ、父とも会いやすくなるでしょうし」

「そうだろう?」


 少しホッとした様子のアデルバートにジェシカはにこりと微笑む。


「ですが、婚約のお話はわたくし一人で決められることではございませんので、お返事はいたしかねます」

「それはそうだな。あなたのお父上にその旨を伝えてもいいだろうか?」

「はい。恐れながら、わたくしは殿下のことは同志のように感じておりましたので、殿下との婚約に異存はございません」

「それはよかった」


 すまし顔で答えたアデルバートにジェシカはさらに笑みを深めた。


「ところで、殿下。わたくし、幼い頃から婚約者となられた方にお願いしたいことがありますの」

「……お願いしたいこと……?」


 警戒するような顔をしたアデルバートに、ジェシカは頷く。


「たいしたお願いではありませんわ。ただ……愛称で呼び合いたいな、と」

「……は……?」

「殿下とわたくしはまだ婚約はしておりませんけれど、婚約者となれたときには、わたくしのささやかな夢を叶えていただけないでしょうか?」


 照れ屋なアデルバートのことだから、きっと困って眉間の皺を深くするのだろうな、とジェシカは予測した。

 案の定、アデルバートは眉間の皺を深くさせた。


 ちなみに、ジェシカの言ったことは嘘ではない。

 嘘ではないのだけど、どちらかといえば婚約者にしてほしいこと、というよりも恋人にしてほしいことという方が正しい。


(殿下はなんてお答えになるかしら?)


 期待を込めてアデルバートの返事を待っていると、アデルバートはしばらく考え込んだあと、小さく「……か、考えておく」と答えたのだった。



 

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