第8話「お父様に告げ口しますよ?」



 ライリーがフルーク王国を訪れてから十日が経った日、キャロルたちは城下にある街を訪れていた。

 キャロルたちが街に来るのは非公式だ。騒ぎにならないように、キャロルとアルフィは軽く変装をし、ライリーも普段の軍服を脱ぎ、良家の息子のような服装をしている。


 キャロルはライリーのエスコートで馬車に乗り、兄と三人で街へ向かった。

 馬車の中からでも、街の活気を感じられて楽しかった。普段は天気の心配やその他の不運に見舞われないかと不安で、外の様子を眺める余裕はなかった。


 店が並ぶ賑やかな通りに出ると、馬車から降りて実際に街中を歩ていいと言われ、キャロルの気分がぐんと上がった。

 馬車から降りて日傘をさし、ぐるりと周りを見回すと、城の中では考えられないくらいたくさんの人がいて、その誰もが皆活き活きとしているようだった。


「人がたくさん……!」

「キャロルは街に出るのが初めてだったね。私はこっそり出ているから慣れたものだけど」


 ケロッとした顔でとんでもないことを言った兄にキャロルは半眼になった。

 そのことはキャロルも知らなかった。なんて羨ましいのだろう。


「……お兄様、お父様に告げ口しますよ?」


 だからつい、意地悪なことを言ってしまう。

 そんなキャロルに兄はニヤリと笑う。


「どうぞご自由に。父上が私が街に下りていることはご存じだからね」

「お兄様ばっかりずるいわ。今度、街に出るときはお土産を買ってきてくださいね?」

「ははは。わかったよ」


 そんな兄妹の会話を黙って聞いていたライリーは微笑ましい顔をしていた。


「本当に仲の良いご兄妹だ」

「いや、お恥ずかしい。どうしても妹には甘くなってしまって」

「とても微笑ましくて良いと思いますよ、私は」


 ニコニコと言ったライリーにキャロルは神妙な顔をする。ライリーとその兄が上手くいっていないのを先日聞いたばかりだから、余計にどんな顔をすればいいのかわからなかった。


「そんな顔をしなくても平気だぞ、私は」


 いつの間にか傍に来ていたライリーがこっそり、そう耳打つ。

 驚いてライリーを見ると、いつもの温かい笑顔を浮かべていた。


「キャロルは優しいな。だが、私のことは本当に気にしなくていい。私自身気にしていないし、あなたたち兄妹と一緒に会話をしていると、私もその一員になれた気がして嬉しいんだ」

「……本当に?」

「本当だ」


 ライリーの目を覗き込んだが、嘘をついているようには見えなかった。


「わかりました。信じます」

「うん」


 嬉しそうなライリーにキャロルも笑みを返すと、兄から声をかけられ、二人並んで兄のもとへ行く。

 それから兄は街の名所を案内してくれた。週に二回の新鮮な野菜や果実の並ぶ市場や、露店。職人たちが手がける専門店の並ぶ通り、大衆食堂のある中央広場、そして王国一大きな聖堂。


「見事な建物ですね……」


 感嘆してライリーは呟く。


「この聖堂はもう五百年も前に建てられたものだそうで、当時の最新技術を駆使して建造されたそうです。今となっては失われた技術も使われているのだとか。細々とした改修や補強はしているのですが、あのステンドグラスだけは一度壊れたら絶対に再現できないと言われています」

「歴史のある建物なのですね……我が国にもここまで凝られた建築物は存在しません。国の特徴が出ていますね。フルーク王国の建築物はどれも見事です」

「ライリー殿にお褒めいただけて光栄です」


 そんな二人の会話を聞きながら、キャロルは聖堂内に入った。入ってすぐに広い空間に繋がる。聖母像と見事なステンドグラスが太陽の光に照らされ、とても神々しい。


 うっとりとその光景に魅入っていると、ライリーが隣に並ぶ。


「本当に素晴らしいな……」

「ええ。わたし、このような場所があるのを知りませんでした。……いえ、正確には知識としては知っていたのですけれど、ここまで素晴らしい場所だとは思っていませんでした」

「実際に見るのと、書面上や人伝に聞くのでは違うからなあ」


 ライリーの言葉にキャロルは頷く。本当にその通りだ。


「ここで結婚式を挙げたらとても素晴らしい思い出になるだろうな」

「そうですね」


 ここでたくさんの夫婦が誕生しているのだろう。

 聞いた話によれば、商家の結婚式で使われることが多いようだ。


「私たちの結婚式もここで挙げようか」

「そうです…………え?」


 うっかり頷こうとしてしまったが、今のライリーの言葉は聞き逃したらまずいものだった気がする。

 驚いて横にいるライリーを見上げると、いたずらっ子のような顔をしていた。


「キャロルの花嫁姿は綺麗だろうなあ」

「え……あ……え?」


 顔を赤くして動揺するキャロルにライリーは笑う。

 しかし、言葉を訂正することはしなかった。


「アルフィ殿が外で待っておられる。そろそろ行こう」

「は、はい……」


 差し出された手を取る。

 キャロルよりも大きくて、ゴツゴツとした手。兄や父とも違う手だ。


(これは……戦う人の手だわ)


 剣だこらしきものが出きているようで、あちこちの指の皮が厚い。これは常に剣を手に持ち、鍛えている人の手だ。


(ライリーは命をかけて戦う軍人……頭ではわかっていたけれど、ちゃんとは理解していなかった……)


 ライリーの手は国を守る手だ。そして同時に──誰かの命を奪ってきた手でもあるのだろう。

 隣国は争いが絶えない国だから。


「キャロル……?」


 じっと手を見つめるキャロルを訝しむようにライリーが見つめ、ハッとする。

 慌てて笑顔を作り、「なんでもありませんわ。お兄様のところへ行きましょう」と答える。

 それにライリーは不思議そうな顔をしながらも、頷いて歩き出す。


 二人並んで歩いていくと、外で待っていた兄がおや、という顔をしたあと、ニヤニヤと笑う。

 なにか言いたそうな兄を無視し、馬車に乗り込んだ。ライリーは苦笑しながらキャロルの次に乗り、兄は最後に乗る。

 馬車が動き出しても兄はニヤニヤとしたままで、キャロルはジト目になる。


「……なにかおっしゃりたいことがございまして、お兄様?」

「いやぁ、キャロルもすっかり大人になったなあと思ってね」

「どういう意味ですの?」


 フフフとただ笑うだけで答えない兄をギロリと睨む。そんな兄妹にライリーが苦笑したとき、突然馬車が停まった。


「おや……なんだろう。まだ目的地には着かないはずだけど……」

「──アルフィ殿」


 外に出て様子を見に行こうとした兄を、ライリーが止める。兄が訝しげにライリーを見ると、彼はいつになく怖い顔をしていた。


「ライリー……?」


 キャロルが名を呼ぶと、ライリーはしっと口の前に人差し指を立てた。


「なにか問題が……?」


 小声で尋ねた兄の声が硬い。

 ライリーは馬車の外の様子を気にしながら頷いた。


「はい。この馬車は何者かに包囲されています」

「……そうですか。では、護衛の者はもうすでに使いものにならないと考えた方が良いですね」

「そうですね。少なくとも応戦することは難しい状況ではあるのでしょう。馬車の外から少し前までは戦闘音が聞こえていたが、今は聞こえない」


 ふむ、と兄は腕を組む。

 そんな兄にライリーは「私が出ます」と静かに告げた。


「アルフィ殿とキャロルはこの場に残ってください」

「で、ですが……!」


 たった一人で外に行くのはあまりにも危険だ。

 敵が何人いるのかもわからないのに、ライリーたった一人で立ち向かうのは無謀なことに思う。


「私なら大丈夫だ。なにせ『幸運に愛された王子』だからな」


 そう言って明るく笑ったあと、ライリーは慎重に馬車から出て行った。


「お兄様、いいのですか……!?」


 うちの国でライリーに万が一のことがあったら大変なことになる。下手をしたらそれを理由に攻め込まれる可能性だってあるのだ。

 インフォーリア王国の現国王は好戦的な方ではないけれど、なにかしらの責任を問われることは必須だ。

 ライリーが強運の持ち主だからといって、『絶対大丈夫』という保証はどこにもない。


「いいも悪いも……私に戦闘経験はないし、下手に動けばそれこそ大変なことになる可能性がある。この場合はライリー殿にお任せするのが一番確実だろう」

「でも、ライリーになにかあったら……!」

「……キャロル。ライリー殿は軍人だ」


 助けに行こうと主張するキャロルに言い聞かせるように兄が言う。


「そんなことは存じております」

「いや、おまえはわかっていない。ライリー殿は数々の修羅場を生き抜いただ。今、この場合は彼に任せるのが一番安全なんだ。なに、ライリー殿だって無茶はしないさ。彼は自分の立場をよくわかっておられる」

「でも……」


 なおも食い下がるキャロルに、逆に兄は不審な顔をした。


「キャロルはなぜそんなに不安そうなんだ? ライリー殿はそんなに信用できないか?」

「そうではありません。ただ……ライリーは腕に自信がないとおっしゃっていたから……」


 そう言ったキャロルに、兄は目を見開く。


「誰がそんなことを?」

「ライリー本人です」

「ライリー殿が……あの方は変なところで自己評価が低いのだから……」


 ため息をついた兄にキャロルは首を傾げる。


「ライリーは嘘をついていたの……?」

「嘘ではないと思うよ、彼の中ではね。ただ……ライリー殿がお強くないと言うのなら、ほとんどの軍人は戦力外ということになってしまうね」

「え……?」

「ライリー殿は確かに剣の腕前も銃火器の取り扱いも国で一番ではないかもしれない。しかし、どちらも確実に


 それはとてもすごいことではないのだろうか。

 なのになぜライリーは自分はたいしたことはないのだと言ったのだろう。


(いえ……ただ運が良いだけで民から英雄扱いなんてされるわけがないわ。それに見合った実力があるからこそ慕われる……そんなこと、少し考えればわかることなのに)


 ライリーに騙された、とは思わない。

 きっとそれに考えが及ばなかったのは、そう思い込んだ方が気持ちが楽だったからだ。

 だって、強運であるうえに優秀だなんて、狡いではないか。神様はなぜそんなにも彼ばかり優遇するのだと文句を言いたくなる。

 そんなキャロルの中のやっかみが、少し考えればすぐにわかるようなことでさえも見逃したのだ。


「キャロル、今はライリー殿を信じてさしあげなさい。彼なら大丈夫だと、信じるんだ」

「お兄様……」


 キャロルは兄の言葉にこくりと首を縦に振った。

 ライリーは実力があるうえに、幸運に愛されている。だから大丈夫だと、自分に言い聞かせる。


 それからしばらくして、静かに馬車のドアが開かれた。緊張して身を固くしたキャロルとアルフィだったが、やってきた人物の顔を見て体から力を抜く。


「アルフィ殿下、キャロル姫、もう大丈夫です」


 そう言って笑ったのは、ライリーの副官であるベンだった。彼もキャロルたちと一緒に来ていたのだ。

 もっとも、一緒に行動はしていない。他の護衛と一緒に少し離れて付いてきていた。


「ベンか……状況は?」

「はっ。護衛に当たっていたこちらの騎士五名が戦闘不能状態ですが、命に別状はありません。他の護衛たちも軽傷程度で済みました。馭者の者は咄嗟に逃げて無事です」

「そうか……それはなによりだ。それで、襲撃者たちはどうなった?」

「数が多かっただけで、それほど練度のある者たちではありませんでしたので、全員ライリー殿下によって捕らえられました」


 そう言ったあと、ベンは口を再び開いたがすぐにそれを閉ざしてしまう。

 それに兄が目敏く気づき、「なにか問題が?」と問いかけた。

 ベンは悩むように視線を彷徨わせ、再び口を開いたとき、ライリーも顔を出した。


 見たところ、ライリーに大きな怪我はなさそうだ。そのことにキャロルはほっとする。


 ライリーは兄とベンの様子を見たあと、ベンに「おまえは現場に戻れ」と命じた。


「しかし、殿下……」

「大丈夫、心配するな。それに、このことは私からきちんと説明するべきだ」


 ベンは心配そうな顔をしたまま、わかりましたと一礼して去っていく。

 それをライリーはチラリと一瞥したあと、兄に向かい合った。


「ライリー殿、なにかあったのですか?」

「いえ、襲撃者は無事捕らえ、安全の確保はできたのでご安心ください。ただ……今回の襲撃の件でお二人にはお詫びを申し上げなくてはなりません」

「どういう意味ですか?」


 静かに問いかけた兄をライリーは真っ直ぐに見つめた。


「アルフィ殿はご存じかと思いますが、我が国では兄を次期国王にするべきという派閥と、私を国王にするべきだという派閥があり、水面下で熾烈な争いを繰り広げております。どうやら今回の襲撃も、兄を国王に担ごうとする一派の一部が暴走し起こしたことのようなのです」


 ライリーの言葉にキャロルは目を見開く。

 つまり、この襲撃はライリーを狙ったものであったということだ。練度が低かったのは、ライリーの命がとれたらそれはそれでいいし、失敗したとしてもライリーの名に傷がつけばそれでいいと思ってのことだろう。


 外交問題に発展し、戦になったとしても、フルーク王国程度は簡単に支配下におけるという自信があるのだろう。

 とはいえ、愚策だとは思うけれど。


「なるほど……愚かだな」


 皮肉げに笑った兄に、ライリーは恐縮したように「ごもっともです」と頷く。


「こちらへ来てまで私の命を狙ってくるとは予想外でした。私一人のときならまだしも、アルフィ殿やキャロルが一緒のときに襲ってくるとは……そこまで愚かではないだろうと高を括っていた私の落ち度です」


 申し訳ありませんでした、と頭を下げるライリーを兄はなんとも言えない顔で見つめた。


「……とにもかくにも、一度城へ戻った方が良さそうですね」

「はい。エーブラム陛下にもご報告をしなくては」


 そう言ってライリーは目を伏せたあと、キャロルを見た。


「すまない……せっかくの外出を台無しにしてしまって」


 申し訳なさそうなライリーにキャロルは首を横に振る。


「いいえ。ライリーがご無事でなによりでした」

「ありがとう」


 ライリーは少しだけ表情を緩めたあと、自分は襲撃者を連れていかねばならないからと、去っていく。

 そんなライリーを、キャロルは心配しながら見送った。


「ライリー殿も大変だな……」

「はい……」


 強運であるからと言って、幸せな環境に身を置けるわけではないのだと、キャロルは実感した。

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