絵に描いたような不審者

「そうですか」


 今日は、「蓮井廉」から話を聞けただけでも御の字だろう。帰路につこうと踵を返し、後ろ髪引かれる思いとは一線を引くつもりで颯爽と歩き出そうとしたところ、私はある一人の女性に目を奪われた。帽子を目深に被り、コンビニ袋を片腕に下げて俯き加減に歩く。何の変哲もない町の風景であったが、穴の開くほど、まじまじと凝視する。そうすれば、件のアパートの正面玄関に向かう導線を目の当たりにした。


「これだ……」


 私は、物陰に身を寄せて、しずしずと時間が流れるのを待つ事にした。街灯がぽつりぽつりと点き出して、空が暗くなり始める。学生服やスーツなどに袖を通す人々が家路を足早に進む姿を横目に、私はアパートから決して目を離さない。一人の人間を監視しようとする姿は、社会的な立場によって変化する。今の私は確実に卑しく、人に話しかけられれば、その気受けを良くする手段を持たない。


「……」


 携帯電話という暇に味方する心強い側近を片手に、勁草の根をコンクリートの地面に下ろしてから一時間程度だろうか。初めの頃より集中力が落ちてきて、視線も散漫になってきた頃、再びあの女性が正面玄関から姿を現した。まるで見初めたような心のざわめきをあやなしつつ、やおら歩き出す。


 足音の存在を嫌い、街灯の灯りすら嫌えば、偏愛を体現するストーカーそのものだったが、後ろめたさに気後れするような心持ちとは既に縁を切っている。ジャーナリスト精神と呼ばれる高尚な後ろ盾を振りかざすつもりはなく、私は只、この好奇心がどう満たされるかに於いて、気を払い行動する。それは即ち、女性が抱く恐怖心を度外視し、自己中心的な考えをもとに事にあたる、非難を受けて当然の立ち回りであった。


 女性が進む曲がり角の先は、まさに閑静な住宅街に相応しい人気のなさが看取でき、嬉々として歩を進めた。そして、突飛な声掛けに至る。


「あのー、すみません」


 この世ならざる者を見たかのような面持ちで私を睨みつけ、声を失する様は恐怖と形容して差し支えないだろう。あらゆる手を尽くしても、好感へと覆りそうにないが、形式に則って、以下の所作を拵える。


「私、こういう者で」


 厚顔無恥にも身分を証明する名刺を差し出した。「柳香織」の気持ちからすれば、些かも猜疑心を解く助けにならないだろう。私だってそう思う。


「ああ、そうですか」


 この通り、名刺を受け取らずに前に歩き出した。はっきりいって、「柳香織」を説得する材料は皆無だ。これ以上、執拗に付き纏えば警察沙汰に発展しかねない。


「柳香織さんのお友達ですよね?」


 ただ一言欲しいのだ。


「……」


「私はあの事故の被害者二名から既に話を聞いているのですが、不可思議な事が多いんですよね」


 私をそこらに吹く風と変わらぬ扱いをしていた女性が、聞き捨てならない言葉の返しに服を引っ掛けたように立ち止まった。


「どういう意味ですか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る