親愛なる記者の備忘録

駄犬

とある事故

 これは他者の目を介して情報の伝達を図るような、客観性や公正なる事実の列挙とは異なり、あくまでも個人的な主観に基づいた後腐れや後悔、やり残した事への精査である。私の職業を書き起こすならば、こうだろう。俗悪な記事のタイトルを量産し、一寸先に蔓延る闇に指を立てるような取るに足らない物書き風情。名無し同然の品性に欠ける駄文を書き続けたせいか、妙に卑屈な言い回しが散見する。もはや手癖であった。


「止まらぬ税の搾取。民主主義がもたらした愚民の剪定」


 このようなどっちつかずな皮肉は、主張の板挟みにあい、誰からも賛同を得られずに埋もれていく。明くる日も明くる日も、他人が卸す情報の拡散を睨んで、含蓄がないタイトルと、水で薄めたような中身を生産し続ける。私が求めてやまない情報など一つも転がっていなかった。だが、正午に起きたある一つの事故が、私の錆びついた好奇心を呼び起こす。


「ご覧ください。今から約一時間前に、道路が陥没し、複数人の被害者が出たとの事」


 上空から向けられるカメラの視線の先には、救急車や消防車、警察車両などの公的機関が押し寄せ、現場の収拾にあたっている様子が映された。肝心の陥没の様子はブルーシートで覆われていて、盗み見る事が叶わない。道路全体を隠すほどの入念な情報の遮断は、私をそぞろにパソコンの前に向かわせた。


「白昼の住宅街で起きた未曾有の崩落。その背後に暗躍する奇怪な存在」


 取材もろくにしないまま、憶測を頼りに打ち込んだ文章は、もはや創作の域に足を突っ込んでいる。私は迷いなく上記の文字をこの世から排斥した。情報は早ければ早いほどいいと言う訳じゃない。手を加えず、頭すら働かせずに即席の記事を作れば、事実とは異なるものが入り込み、その雑食性に揶揄される「ネット記者」という有象無象の存在へと降格する。多少、時間が掛かっても、情報の精査に目を皿にし、不純物を取り除いて聴衆へ届ける。それが本来あるべき姿だろう。しかし、無闇矢鱈に外を出歩いて何の手掛かりもなく時間を潰すのは馬鹿げていて、事故現場に出向く前に同業者の力を借りるのもまた一つの手段だ。


「高谷だ。陥没のニュース見てるか?」


「ああ、見てるよ」


「お前の所に被害者の容体や、搬送先の病院の情報は上がってきているか?」


「容体は分からない。病院なら分かるね」


 情報が動けば金も動く。これは切って切り離せない摂理であり、等価交換だ。


「幾らだ」


「おいおい。こんな少し調べれば直ぐ分かる事に金を払うのか? お前は本当に記者として三流だな」


 労を惜しんで手早く都合の良いように情報を求めれば、同業者から盛大に謗られ、立場はまさに格落ちの様相を呈す。箸にも棒にもかからない物書き風情である事を今一度自覚し直して、身の振り方を改める。


「ハハッ、君の言う通りだね。なら、無償で教えてくれるかな? 取材という体で」


 卑屈な謙りも今の気分に丁度いい。ただ、少し時間が経った時、脳裏に掠める程度の自責は免れられないだろう。


「棚川東病院」

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