第三十一話 決断(1)
そして、その日はやってきた。
物々しい雰囲気に包まれていた切り株亭の一角。そこは奇しくも、この街に来て初めてウィルに連れられてきた席と同じであった。
その席に座っていると、入り口が開いて彼らがやってきた。
ビリアンだ。意気揚々と嬉しそうに気持ちの悪い笑顔を浮かべている。彼の背後には、婚約者のエレオノール、そして――ウィルがいた。
「立会人を引き受けてくれて、感謝するよ。騎士団の……」
「ウィルです」
「そう、ウィル殿。貴方も災難でしたね」
同情するよ、とビリアンが親しげにウィルの肩を叩く。
ビリアンはこの場の立会人として、騎士団のウィルを呼んだようだ。
「でも安心したまえ。私は君を訴えたりなどしない。なにせ君は、『騙されて』後見人にさせられてしまった、つまり被害者なのだから」
「……………………」
肩を叩かれたウィルは特に反応を見せはしなかった。同様に、私を目にしてもなにも言わなかった。
当然だろう。あの日、私がみんなに頼ることを拒んだ時、その関係は終わりを迎えたのだ。
「今後は困ったことがあれば言うといい。さ、今日という日を共に深く胸に刻みつけようじゃないか」
ビリアンが私の前へと座る。勝利を確信しているのだろう。
その背後に立つエレオノールが申し訳なさそうな憐れむような、複雑な表情を私に投げかけてくる。でも、それに応える余力は私にはなかった。
「さて、時間も惜しい。さっさと本題に入ろう」
彼の言う本題とはもう分かりきっている。
占い小屋の利権を渡すか、それとも法廷で争うか。
答えは、もう決めていた。
「君の判断を聞こうじゃないか、マリー」
「フゥ……」
大きく息を吐く。
それは諦めでは無い、決意で身を固めるためだ。
私はビリアンを真っ直ぐ見つめる。
そして――
「……どうしようもないわね」
ため息交じりに告げた。
その瞬間、ビリアンの口元は待っていましたと言わんばかりに、徐々につり上がっていく。
「権利を渡す、ということだな」
「……………………」
「いい判断だ、フフ、フフフ、フハハハハハ!」
切り株亭に気持ちの悪い笑い声が響き渡る。
屋敷にいた時はよく聞かされたものだったけれど、ここまで不快だったとは思いもしなかった。今日はお店に他のお客さんがいなかったのは、幸いだ。
そんな周囲を気にもせず、ビリアンは持っていた鞄からそそくさと書類を取り出す。
占い小屋の権利を委譲する、その委任状だ。
書類には既に必要なことは全て書いてあり、後は私がサインするだけ。これにサインすれば、私の占い小屋は正式にヴェールヌイ家の、つまりはビリアンの物となる。
「まあ安心したまえ。権利は手にしたら婚約は正式に破棄してやるし、君の面倒だってちゃーんとみてやるさ」
「………………」
「一生、な」
高々とビリアンが笑うなか、私はペンを取る。
悔しいが、今はこうするしかない。たとえ占い小屋を渡したとしても、私が一生彼にこき使われることになっても、きっといつか、いつかきっと……。
いいことだって、あるさ……。
「さ、手早く行こう」
「あー、ちょっといいか?」
そんな時、店の奥から呼び声がした。
「ん? なんだ店主?」
呼びかけたのは、切り株亭のマスターだ。
「占い小屋の権利はアンタの物、ってことでいいのか?」
「? ああ、そうだ。なんだ文句でもあるのか」
「いやいや、そんなわけないさ。むしろこっちは清々してるくらいだ」
「清々している?」
「その娘ね、ある日フラッと内の店に来てから、金が無いのを理由にずっとツケで飲み食いしやがって」
私が、ツケで食事……?
たしかに、最初の頃はご厚意に甘えてはいたけれど……。
「ほう……」
「占い小屋で一儲けしてからもそうよ」
同じように、キリエちゃんが声を上げる。
「そのうちそのうちって、一向にツケを払わないんだもの。うちの店も困ってたの」
「それはそれは、お気の毒に」
ビリアンは芝居がかった言葉で、大げさに同情をみせていた。
それはいつものことだ、もう見飽きたくらいに。
でも、なぜだろう。
ビリアン以上に、マスターもキリエちゃんも、妙に芝居じみた話し方をするのだろうか?
「分かって頂けますか、旦那」
「もちろんだとも……フン、タダ飯喰らいとは、お前もずいぶん浅ましい女だな」
二人がウンウン頷く。
「全くですよ……ということで、うちのツケの支払い、よろしくお願い致しますね」
「……は?」
突然切り出された一言に、ビリアンが、すっとんきょんな声を上げていた。
「ど、どういうことだ?」
「どういうこともなにも、占い小屋の権利は旦那が持って、あの子もアンタの管理下になるんだろ? それなら、旦那にはうちの店のツケを払ってもらうのは当然でしょ」
「いや、それは……」
「まさかヴェールヌイ家ともあろう御方が、ツケを踏み倒すなんて浅ましいこと、しませんよねぇ」
「っ……」
マスターが突き出すツケの請求書。それをビリアンは乱暴に受け取るが、その内容を目にして驚きの声を上げた。
「おい、ちょっと待て。なんだこれは!?」
「なにとは?」
「値段だよ値段! 一品一品、高級レストラン並の値段で、しかもその総額! これじゃあ馬車の一台も買えるぞ」
「そうですか? よくは分りませんが他所は他所、うちはうちの値段なんでね、文句言われても困りますよ」
「クッ……」
苛立ちをぶつけるようにビリアンは請求書をくしゃくしゃにする。
しかし、すぐに落ち着きを取り戻した。
「ま、まあいい……この程度の金額、いくらでも払ってやる。どうせこれからいくらでも金は入ってくるんだからな」
彼は再び、私へと向かい直す。
「さあマリー。さっさとそこにサインを」
「失礼しまーす」
と、再びビリアンを呼びかける声がした。
見れば、店の入り口から二人の男女が入ってくる。
その姿に……あれ、見覚えがある。たしか、以前私の占い小屋に来た人達だ。
「どうも、商業ギルドの者です」
確か名前は、太っちょの男性がロータスさんと、受付嬢のような綺麗な美人さんが、シルビアさんだ。
「占い小屋の件で、お伺い致しました。どうやら、話は決まったようですね」
「今度はなんだ?」
二人は私達のテーブルへやってくると、ロータスさんが話を切り出す。
「……困りますねマリーさん。マリーさんはヴェールヌイ家の一員ということで、提出された書類も虚偽の内容があるそうじゃないですか」
私に向けられた哀れみの目線に、ビリアンが敏感に反応する。
「フフッ……そうだよなぁ、そうだよなぁ!」
「ヴェールヌイ家の方も、分かって頂けます? うちも他の商人達の手前、やっぱり信用が第一なんですよ。でも、こういうことをされると……ギルドの名前に傷がついちゃうんですよね」
「あーあー。自分の店だけでは無く、ギルドにも迷惑をかけるとは、とんだ迷惑女だな!」
「ええ、ホントホント」
頷くロータスさんとシルビアさん。
一度しかあったことのない彼等だけれど、やっぱり変だ。
彼等もなんでこんな芝居っぽい態度なのだろう。
「つきましてはビリアン様」
「ん?」
「登録の虚偽報告の罰則として、違反金の支払いをお願いします」
「はぁ!?」
再び、驚きの声を上げるビリアンが、ロータスさんへと詰め寄る。
「な、なんで私が!?」
「そ、それは……」
「いや、当然ですよ」
ロータスさんの後ろから、シルビアさんが割って入ってきた。
「今後、貴方が全面的に占い小屋の権利を手にするというのなら、当然お店の責任はヴェールヌイ家が負うものとなります。となれば所属している我がギルドの規定は守って頂くのは当然です」
「なっ」
「まさかヴェールヌイ家ともあろう著名な家が、ギルドの規定を守らない、なんて迷惑なこと、しませんよね?」
「くっ……」
ビリアンは再び、突き出された書類を乱暴に受け取る。そしてそこに書かれた金額に再び腹を立てた。
「おい、なんだこの金額!?」
「違反金ですからね」
「だからってこの額、家一つ買える値段だぞ!?」
「ギルドの取り決めなので、文句はギルドの方にお願いします。我々下の人間では、どうしようもないので」
「クッ……コイツら!」
そうしてまたしても、受け取った書類をくしゃくしゃに。
その後ろで、シルビアさんと目が合った。彼女は、なぜか可愛らしくウィンクを送ってきたのだ。
「ええい、次から次に……お前もさっさとサインしないか!」
一体、なにが起こっているのだろう?
マスターもキリエちゃんもだけど、たった一度占っただけのロータスさんやシルビアさんまで。
これは、まるで……。
「お邪魔するよ」
と、またしても、店の入り口が開きビリアンを呼びかける。
そこにいたのは、騎士団の外套を羽織った、ダンディな渋い男性。
「ええい、またか!?」
「お忙しい中、失礼。私はこの街の騎士団を預かる、ドレイク・デリオレットという者だ」
団長さんだ。どうして、団長さんまで!?
落ち着き払った仕草で軽く会釈をする団長さん。でもビリアンは彼の名前を聞いて目を丸くしていた。
「で、デリオレット家……!? ど、どういった、ご用件で……」
「これはこれは、ヴェールヌイ家のビリアン殿。私も一度お会いしたいと思っていた次第です」
「そう、なのですか……?」
デリオレット家の家名に驚くビリアンも、さすがに対応が及び腰になっていた。
「ええ。うちの副隊長のウィルが、その占い小屋の後見人に仕立て上げられてしまいまして……この度はご迷惑をおかけしたようで、申し訳ありません」
と、深々と頭を下げる団長さん。
「い、いえ……そちらもお気の毒に」
「実はお恥ずかしい話ですが私も彼女に、その……騙されてしまいまして」
「騙され、た……?」
「ウィルが後見人になったと聞いたので、安心して私の持つ土地の一部を貸したのですが……まさか身元を隠していて、しかも、横領をしていただなんて!」
「あぁ……ああ、ああ! そうでしたか、そうでしたか!」
「ええ……おかげで我がデリオレット家も恥をかかされたものです」
「いやー心中お察ししますよ」
共に被害を受けた者。その共通点が、ビリアンを再び歓喜に震わせる。
「まったく、騎士団の団長殿まで騙すとは、とんだ卑劣な女だな」
「いや全くですよ」
「ハッハッハ!」
笑い合う二人。
しかし、やはり彼もまたそれを突きつけた。。
「つきましては、ビリアン殿」
「ん?」
「貸していた土地代の支払い、よろしくお願いします」
「はぁ!? な、なんで私が!?」
「おや、占い小屋を手にしたのでしょう? それならばこれまでの土地代は貴方が払って頂きませんと」
「お、お前もか!?」
「こちらが請求書です」
そうして突き出されたのは場所代の請求書。
さすがにこれを乱暴には扱えず、ビリアンも渋々ながら丁寧に受け取ると。
「あ、あの……これ」
「おや、なにかおかしなところが?」
「いやこれ……周辺の価格の十倍近い値段なのですが、さすがに間違ってますよね……」
団長さんは堂々とした態度で返事を返した。
「それはもちろん我がデリオレット家の所有する土地です。それだけで周囲の地価とは違う、高貴な値段にもなりますとも」
「なっ……!?」
「まさかヴェールヌイ家ともあろう著名な家が、土地代を払わない、などという卑劣なこと、しはすまい?」
一体、どういうことなの?
マスターも、キリエちゃんも。
一度しか会ったことのないロータスさんもシルビアさんもそうだし、それに団長さんまで。
みんな、なんでここに……。
「き、キサマ等……!」
ついに我慢の限界が来たようだ。
ビリアンが体を震わせ、怒りの声を上げる。
「なんなんだ一体。どいつもこいつも、ふっかけてきおって!?」
「当然だ」
声を上げたのは、ウィルだ。
彼は、切り株亭に集まってくれたみんなの前に立ち、ビリアンに告げる。
「ここにいる人々は皆、マリーにお世話になった人達だ。言うなれば、突きつけられたそれらは、彼女への信頼の証だ」
「信頼の、証ぃ?」
「彼女が培い立ち上げた占い小屋の権利を主張するのならば、貴方には、この全てを相手にしてもらうことにある。その覚悟はおありか?」
ウィルの後ろで、皆がビリアンに視線を注ぐ。
マスターが、腕を組んだままぶすっと。
キリエちゃんが、子供っぽくイーッと口を大きく横に開いて。
ロータスさんが、オドオドとしながらも、隣のシルビアさんに小突かれ頑張って睨み付ける。
団長さんも、表情には出さないが、威圧感を放ちながら。
「み、みんな……」
もしかして……考えられないことだけど、まさか、まさか……
私の、ため……?
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