第44話 メリー・メアーの花迷宮 5

5


「例えばご近所の海辺にさぁ~打ちあげられてる脳ミソ見つけた時って拾っていいもんなのかな?」

 砂浜に脳髄がひとつ、野ざらしになっている。

 他のパーツはひとつも、血の一滴すら見つからなかった。

 我々はこの脳をどうするべきか迷った。

「もしかしてこれが〈扉〉だったり?」

 詞浪さんがいった。私もその可能性はあると思う。

 その時、あなたが後ろから手を伸ばして、野ざらしの脳に触れた。とたん、脳の中心へ向かって空間が底なし沼のように沈んで、我々は三人ともそのなかへ飲みこまれていった。


 ■■■


 気づくと住宅街にいた。

 服はまだ濡れたままで、詞浪さんの膝小僧には砂がついている。

「で? ここどこ? 外じゃないよね?」

 それは見たこともない街の夕景色で、一目迷宮ではない。

 家はどこも無人だった。

 民家と小さなビルの間に稲荷の社があって、その鳥居の影が道路へ長く落ちている。

 狐の社の前には、さっきの脳髄がお供えされていた。どうやら、我々はまだ迷宮の中にいるようだ。

 詞浪さんがいう。

「じゃあ探索する? それとも、その脳ミソに入ったらまた砂浜にワープするのかな? 戻ってみる?」

 我々は〈扉〉を探さなくてはならない。

 それは恐らく迷宮の中にある。我々は進むしかないだろう。


 話し合っている途中、私は視界の中に動くものをとらえた。一瞬、景色のどこに変化が起こったのか解らなかったが、遅れて気づいた。

 十字路にあるカーブミラーの中を、ランドセルの後ろ姿が走り去っていくところだった。

 とりあえず我々は追うことにした。


 住宅街は入り組んでいて、ゴミ捨て場のようなところが実は路地だったりする。

 パン屋のガレージなのか公道なのか解らない道を進みながら、あなたは「ここは僕が昔住んでいた町のようです」といった。あの鳥居の逢った場所も知っているという。


「子供小路という可愛いのか怖いのか解らない名前で呼ばれていました。夕方、四時四十四分に鳥居を潜ると、この路地から出られなくなるという怪談が流行っていたのです。それが事実だった、というわけではないのでしょうが、一度この辺で迷子になって大層恐ろしかった記憶があります。社の横の道を右に曲がっても左に曲がっても、何故か社の前に戻ってきてしまう。あれは夢だったのでしょうか。そもそも四時四十四分に鳥居を潜ると迷子になるという怪談を誰から聞いたのか思い出せないのです。四時四十四分に鳥居を潜ったとき誰かから聞いたような気もしますし。反対に、実は僕がいいだした怪談なのかも知れません。四時四十四分に鳥居を潜った後で道に迷い、その事を友達に話して、それが噂になったとも考えられます」

「話長え~。それで結局どうするの?」

 と詞浪さん。

「この先に矢張り恐ろしい思いをした場所があって――」

 あなたが何かいいかけたとき、無人の町の中に大きな唸り声が響いた。

 地鳴りに似ているが、もっと生物的なリズムがあった。

「おっ。なんだ~?」

 辺りを見渡して、音の出所を探っていると、我々はやや離れたところにある、夕陽に赤く照らされた集合団地の壁面に、極めて大きな人型の影が映るのを見た。


 私は、最初の迷宮の頃にあなたのいった言葉を思い出す。

 クレタ島のラビリンスの話である。迷宮は〈恐ろしいもの〉を閉じこめるためにある。

 つまりあの影がその怪物というわけだ。

 影の動きが止まった。夕陽のせいで我々からは影としか見えないが、向こうからは私たちを視認できたらしい。ジェットエンジンみたいな鳴き声を上げると、こちらへ走ってくる。

 牛頭人身。二階建ての家ほどの背丈があった。大きいだけあって素晴らしい速度で我々の前まで迫った。会話の通じる相手には見えない。


「来た来た。ヒヒヒ。ぶっ殺す」

 これまでの鬱憤を晴らすかのように詞浪さんは動いた。

 塀から民家一階の屋根、さらに二階の屋根の上へと駆け上り。そこから更にジャンプ。

 振りかぶった彼女の手から蔓で束ねられた西瓜が、百個以上も現れる。

 それはちょうど西瓜で作られた巨大なハンマーと化し、落下も相まって、瞬間数トンにも及ぶ打撃を〈恐ろしいもの〉の頭へ叩きこんだ。

 牛頭が砕け、西瓜とそうでないものが一帯に飛び散った。

 〈恐ろしいもの〉は潰されたカエルのようになって地面へくずおれる。

 倒れる際、腕が当たって民家のひとつが半壊状態に陥った。

「どやっ」

 と輝くような笑顔の詞浪さん。

 しかし、その背後ではすでに飛び散った牛頭の破片が尺取り虫のように蠢いて、身体の方へ集合しようとしていた。恐らくこのまま復活するのだろう。

「きっしょ。身体の方も潰しとく?」

 恐らく無駄でしょうと私はいった。ここは迷宮の中で、私たちは生け贄なのだ。

 迷宮を解くほか逃げ道はない。

「こっちへ」

 その時、あなたがひとつの一軒家を指さした。


 ■■■


 我々はその家の中へ入っていった。

「さっきの子供はたぶん、ここに逃げこんだのでしょう」

 とあなたはいう。

 外からでは普通だったが、民家の中は廊下が曲がりくねって迷宮化していた。

「また迷路だよ」

 詞浪さんはいったが、今回はシンプルな迷宮だった。

 我々は渦巻き型にぐるぐる廻って唐突に押し入れに辿り着く。

「ああやっぱり」

 押し入れを開けると、暗がりの中にぽつんと鶏頭の花、いや人の脳髄が置き去りにされている。

 これがあると解っていたのですかと訊くと、あなたは「ここに隠れていたことがあるのです」と答えた。

「逃げていったあの子供は、小学生の頃の僕に違いないのです」

 あなたは自身の過去を説明した。


 ■■■


 この辺りは、小学校低学年の頃住んでいた街並みのレプリカに違いない、とあなたはいう。

 あなたは当時、誘拐されたことがあった。

 近所の男に誘われてゲームなどをして遊んだのだが、遅くなって帰ろうとすると、男は怖い顔をして駄目だという。怖くなったあなたは、男の隙を見て、押し入れに隠れた。玄関を開けると音で気づかれると思ったし、とにかく怖くて男から遠ざかりたかったのだ。

 結局、隠れている間に男は捕まったらしい。


「自分では誘拐されたとは理解していませんでした。とにかく〈恐ろしいもの〉から遠ざかりたくて押し入れに隠れ続けました。当時の私には男も怖かったし、家の外に出て男と追いかけっこをするのも恐ろしかったのです。それで押し入れの中です。後で聞いた話を総合すると、男は僕が見えなくなったので外へ探しに出たそうです。そう。確かそうだった……。それで僕を探していた警官に見つかり、挙動不審ということで連行されたのでした。その後引っ越したので、男がどうなったのかは知りません。というより誘拐されたことを、僕は最近まで忘れていました」


 あなたはともかくこの民家の中で〈恐ろしいもの〉を体験したのだ。そういう話だ。それからあなたは次のような推測を口にした。


「ここは僕の記憶でできた迷宮なのです。多分、浜で脳に触れたときから。町なみに覚えがありますし、僕の思い出と関係した場所に迷宮が発生している。僕の記憶の迷宮の奥には、このように脳があって、この脳の中へ入ることで別の迷宮へ移動できるのです。この脳は多分過去の僕の脳なのです。そして脳の中を通った先では、僕の記憶を材料にした記憶の脳迷宮があり、その記憶の脳迷宮の中には、記憶の中の僕の脳があり、その脳の中へ入ると、また別の記憶の脳迷宮へ飛ぶことができるのです」

 あなたの発言はいつも複雑だ。

「中だの入っただの繰り返しでややこしいよ。要するに脳ミソを探したら次の迷宮へワープできるってことでしょ。帰るための〈扉〉が見つかれば一番早いけど、とにかく脳ミソを探せば先へ進めるわけだ」

 詞浪さんがいう。

 私はあの逃げていった子供はどうしたのだろうと考えていた。

 この脳髄があの子だということか。そうでないとしたら、子供は次の迷宮へ逃げ去ってしまったのだと考えるべきだ。過去とは違って、ここにはワープ装置があるのだから。


 外から怪物の鳴き声と地響きが近づいて来た。

 あれからは逃げるしかない。

 あなたは私たちを脳の方へ促す。

「脳迷宮へ入るしかないのです。迷宮にいるかぎり怪物は追ってくるでしょうが、それでとりあえずは距離を稼げる。脳迷宮の中の脳迷宮へ、その更に脳迷宮へと、そのように迷宮が入れ子状になっているのか、それとも脳迷宮から、別の場所の脳迷宮へと移動しているのかは不明で――」

「ああ、もういい! 他に選択肢ないじゃん!」

 家の破壊される音が響く。

 我々は脳の中に飛びこんだ。

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