第9話 メリー・メアーの尾骨 2
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〈ホール〉は無人であまりに静かなので、人のたてる物音はすぐにわかる。
ヒールと革靴の足音が近づいて来、潮風に整髪料と香水のにおいがまじった。
「どうなってるのよ。いつのまにか明るくなってるし」
「これはもうダメなんじゃないですかね……」
今回の客人は、若い女性と、同年輩の男の二人組みだった。
どうやら仕事の途中で居眠りでもして、こちらへ迷いこんで来たものらしいことが、格好と雰囲気から分かった。
早足に歩いていた彼らは私が顔を出すと驚いたようだった。初めまして。迷いこんできたのですね。
「うわっ」
「えっ!」
一瞬の目配せ。結果、女性の方が声をかけてきた。こちらが仕事の先輩なのだ。
「ごめんなさい。その、一瞬目が妙になったみたいで、君が変な風に見えてしまって」
彼女らに私がどういう恐ろしいものに見えたのかは知らない。〈ホール〉ではたまにあることだ。
単純にバカンス中の私の格好が明け透けすぎた、というせいもあったかもしれない。
「えっと何くんかわからないけど……格好からして男の子だよね、違っていたらゴメンだけど、ご家族の方とか――」
他に人を探しているのなら無駄ですよと私は遮っていった。
それから私は自分の事を軽く説明して、バカンスに来ています。あなたちと同じ客ですよ、といった。
私のことはまあ〈かんむり〉とでもお呼び下さい。
「はあ……カンムリくん」
さん、でお願いします。というと二人は「カンムリさん」と苦笑いして名刺を渡してくれた。女性と男は同じ会社に勤める先輩後輩らしい。
仕事中の二人は立て続けに質問をぶつけてきた。
「それで、今これは何かやってる最中なのかな?」
「例えば住民総出の催しだとか、何かの風習だとか、そういう……そもそも――何いってるのかって、思われるかもしれないけど、私たち、そもそもここがどこか分かっていなくて――」
「あの、あのここの人ら伝染病でみんな隔離されたとか、そういうのじゃないですよね?」
こちらは後輩君。先輩の女性が失礼でしょう、とたしなめた。
どちらでもありませんよ、と私はいった。
そもそも無人ですから。ずっと。どこまで行っても。
当然ふたりは信じなかった。この辺の説明は客人に会うたび難儀する。
「でも、だってここに来るまで見た建物とか手入れがされてたし。車も停まってるじゃない。道路とかも、無人だともっと荒れるものなんじゃないの?」
わかります。そうでしょうとも、と私。
客人たちは苛ついた様子を見せはじめた。
女性はらちがあかないと悟ったのだろう、後輩へ指示を飛ばし始めた
「ごめんね、私たち急いでいるから――田島くん、ホテルで電話をかりましょう。端末からだと誰からも返事がない。どうなってるの? 電波障害って感じでもなさそうなのだけど」
「あっはい」
女性はリゾートホテルへ入っていった。
タジマくんもいいなりになって着いて行く。
私は焚き火をして待った。
しばらくすると二人は憔悴とした顔で引き返してきた。
あらゆる手段を試して、ここが無人無辺の世界だと認めないわけにはいかなくなったのだろう。
「誰もいない……ネットにつながっても変な返事しか来ないし、あの気の狂ったニュースサイト何なんだよ……」
「わけ分からない……なんで問題ばっかり起こるの……!」
女性は頭を抱えてしまう。
お仕事のスケジュールを心配なさってるのなら問題ありませんよ。と私はいった。〈ホール〉と現実では時間の流れが違うのです。
落ち着いてもらうため、まずはポジティブな情報を与えてやるべきだと考えたのだ。彼女を苦しめているのが仕事の問題だというのなら。
「あなた、さっきから何を――」
女性が言い終える前に、私は例の〈烏賊の如き何か〉を持ち上げて、彼らに見せてやる。
その人型の口へ、恐怖に満ちた凝視が集まった。
烏賊君の人間型の歯には、私のお腹を噛んだ際の血が、細い糸のように絡んでいた。
烏賊君は私の口の動きをなぞって、名状しがたい声で告げる。
〈ここは悪夢と踊る世界なのです〉
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