第5話 メリー・メアーの火冠 5

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 それはくすんだ青色をした年代物のゴミ収集車で、私が近づくとエンジンに火が入った。ミキサーの回転部分がうなりだす。運転席は無人。これが私の〈扉〉である。


 少年は恐ろしげに覗きこんでいる。

 長年ゴミを圧縮し続けたせいで、回転板の角の部分だけ金属が研がれて刃物のように光っていた。

「これが? ここから現実に帰るんですか? 扉? ここから?」

 その通り。このミキサーが私の〈扉〉だ。


 ただし、これは私の〈扉〉である。他の人間が使って戻れる保証はない。試したことはないが難しいと思う。帰るなら自分の〈扉〉を使うべきだ。ただし、それがどんな形をしているかは分からない。

 厄介なことに〈ホール〉へ来たばかりの瞬間は、意識が混濁していて、大抵の客人が自分の〈扉〉を憶えていない。現実と夢の境目というものは見つけにくいものらしい。それは普通の夢と同様だ。


 私は何度も来ているので自分の〈扉〉を知っているが、最初は頑張って思い出すか、自分で探す必要がある。とはいえ〈扉〉の姿は、自分の無意識を反映したもののはずで、客人たちは心の奥ではその存在を知っているはずなのだ。あとは気づくだけである。


 憶えているか、と尋ねると彼は「憶えていない」といった。

 ならば見つけるしかない。心当たりはないかと聞くと、彼は記憶を反芻し始めた。

「僕は、卒業式が終わって、家に帰る気にならなくて。でも友達といると逆に辛くて。それから――ああ……いいえ、気がついたら海岸沿いを歩いていました」

 ならば、その道を辿ってみるのもいいだろう。

「ここに居続けた者はどうなりますか? その悪夢になってしまった人達は、どこにいるのでしょうか? 元に――人間性を取り戻す方法はないのですか」

 記憶を辿っているかに見えた彼は、やがてこういった。まだ〈ホール〉に未練があるのだろう。


 夢に取り殺された者なら何人か知っている。みな、私が次にやって来た時にはいなくなっていた。

 どのように消えたのかは分からないが、それが〈ホール〉の機能のためであることは何となく分かっている。

 どうやら〈ホール〉には自己保存の性質があるらしいのだ。


 散らかしたホテルは、次に来たときには綺麗になっているし、焼いた車も元に戻る。同じように、悪夢も掃除されてしまうのだろう。だから〈ホール〉が人の悪夢でいっぱいになることはない。

「そう……ですか」

 それを訊くと少年は座りこんでしまった。

 家が辛いのですか。ここになってようやく、私は彼へそう尋ねた。


「卒業式だったんです――」

 少年は、長いあいだ靴のつま先を見つめていたが、やがてそう切り出した。

「友達は進学します。でも僕は家業を継ぐことに決まっていました。人を雇えればいいんですけど、父は具器用な人で、人を使うのが苦手で、それに地元の組合やなんかと揉めて、うまくいかないようで。僕が仕事を手伝うしかなかったのです。それに、おばあちゃんの面倒もみないといけないし。歳を取ってからというもの、おばあちゃんは外の人に会うのを嫌がるのです」


 それだけです、と彼は首を振った。もっと切羽詰まった話だと思ったでしょ? そういって少年は鼻をすすりはじめた。

 誰かが嫌がらせをしてくるのですか、と私は訊いた。少年は首を振った。ただこじれているだけなのだという。


 ただ、何となく下に見られていて、すべてが何となく後回しにされる。組合長さんも悪人ではない、でも、歓迎してくれることはない。


「それだけです。それだけなんですが、でも苦しいんです。明日や明後日や、これから続く同じ毎日のことを考えると。それに、その日々を受け入れてしまった自分が、すごく嫌だ。帰ったら、僕はきっと潰れてしまいまうでしょう」


 少年はそういい、でも今度は泣かなかった。というより泣こうとして泣けないらしい。

「嘘です。潰れてしまいはしないでしょう。いつか慣れていくに違いない。でも、それが一番恐ろしい。いっそあんな家――」

 そこまでいって、彼は押し黙った。

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