第19話『目の前に居る天使な学者をどう止めようか』

「森夏、今日はありがとう」

「いいの、天空くんのためだもん」


 この感謝の言葉は、勉強を事細かく教えてもらったことに対してのものだけど、追加事項も含まれている。

 というのも、勉強の合間に森夏がスマホで読めなかった漢字の説明をしてくれた時だった。僕は、単純に疑問に思ったのだ。


 どうしてそんなに文字を入力するのが早いのか、を。


 連絡手段としてスマホを所持して入るのだが、如何せん使用方法がいまいちわからない。

 以前、アプリでの連絡先を交換して、休日のあれだったのだが……。


「じゃあ、送ってみるね」

「おう、どんとこい」


 森夏がスマホの画面を、両手指を高速で動かす。

 すると、すぐに僕のスマホから軽快な音が鳴った。

 視線を落とすと、通知が来ている。


『やっほー。もしもし、私は私、美勝森夏とは私のことだよ』


 な、なんだと! この一瞬の間に、ここまでの文字を打ったというのか!?

 文武両道だけでは足らず、こんな最先端技術まで身に付けているというのか。

 美勝森夏、なんて恐ろしい子。


「バッチリ届いてる」

「じゃあ、今度は天空くんがやり方を真似して何か送ってみてよ」

「お、おう」


 ふふふ、俺も内に秘める本気というものを出すとしようじゃないか。


 ――五分経過。


 森夏のスマホから通知音が鳴る。


『こんにちは』


 どうだみたか、僕が本気を出せばざっとこんなもんだ。


「うん、これで大丈夫だね。後は練習練習。連絡といっても、今まで通りに重要なことじゃなくて、気軽に送ってくれて大丈夫だからね」

「わかった」


 泣きそう。

 せめて、せめて一言だけでも小馬鹿にしてくれたら致命傷で済んだのに。

 そんな、初心者だから仕方ないよ。みたいな感じでスルーされると、オーバーキルがすぎる。

 今はその優しさが一番辛い……。


 家に帰ったら猛練習しよう、と決意を胸に秘める。

 だってこれ冷静に考えたら、いつでも癒しを求められるじゃないか。

 返ってくるのは無機質な文字かも知れないが、そこは想像力を働かせればいいんだ。

 思春期の男子の妄想力は凄まじいんだぞ。

 

 一旦スマホはポケットへ。

 

「森夏は、放課後とか休日って何をしているんだ?」

「――ほとんど家にいるよ」


 ん、今の間は……気のせいか。


「そうなんだ。てっきり、友人とカフェに行って~とかかと思った」

「全然そんなことはないよ。そんな――……まあ、いつかはやってみたいかもね」


 ん? なるほど、未経験ってことか。

 つまり、これはデートを誘われ待ちっていう、そういう!?


「森夏、もしよかったら、明日にでも街案内を頼めたりしないか」


 どうだ、我ながらサラっと誘えたのではないだろうか。


「あー……うん、ごめんね。それはせっかくだし、お友達ができたら頼んでみて」

「あ、ああ。わかった」


 おっと、これはやんわりとお断りされました。

 こーれは脈なしですか、誘い方がマズかったですか、僕の勇気を返してもらっても良いですか。

 責任を森夏に押し付けるのは間違っているだろうが、この出会いにラッキーを求めるのは間違っているだろうか。


「逆に質問するけど、天空くんは休日に何をしているの?」


 おおっと、それはそうか。

 僕としたことが少しばかり不用意だった。質問したのだから、同じ類の質問を返されるごとぐらい容易に想像できるだろうに。


「まあ、僕も特にこれと言って何もしていないよ。趣味があるわけでもないし、今の通り電子機器には疎い。あえていうならば、妹達との戯れだろうか。後、ついでにアルバイト的なこともしているかな」

「へぇ~、天空くん転校してきてまだ日が浅いのにアルバイト始めたんだね。凄いよ、私は一度もやったことがないから、素直に尊敬しちゃうな」


 正しくは、"元々していた"だが。


「どんな――」


 興味津々に前のめりになり始めたが、途中で我に返っては咳払いをして元の位置に戻った。


「ダメだね。プライバシーなことは深入りしちゃダメだよね。伊地さんの件で学んだはずなのに、もう一度同じ過ちを犯すところだった。ごめんね」

「まあそこまで気にするな。誰にだって間違いがある、だって人間だもの。てか、別に結局のところは言葉に出していないし、途中で気づいたのならいいんじゃないかな」

「ありがとう」


 森夏は少し目線を下げていた。

 そこから、何かを思い出したようにハッと顔を上げる。


「そうだ。さっき、妹さんが居るって言ったよね」

「間違いなく言ったな」

「なんだかね、伊地さんのこともあったからか、兄妹ってどんな感じなのかなって思うようになってね。私、一人っ子だし」

「なるほどな。兄妹はどうかって訊かれると、何とも言えないんだけど……物凄く良い、かな」

「まあそうだよね。こういうのって、隣の芝生は青く見えるというやつなんだと思う。でも、天空くんの妹さんかぁ。あれ、気のせいじゃなかったら妹達・・って言ってた?」

「あー、そうだな。妹達は双子なんだ」

「へぇー!」


 これは役得というやつなんだろう。

 森夏はそれはもう僕に顔を近づけて、興味津々。好奇心に駆られた学者のよう。


「それでそれで、やっぱり双子ちゃんってやることなすことが似てるって本当なの? 好きな食べ物が一緒とか、選ぶ物が一緒だとか、とかとかとか!」

「大体のやることは似てると言えば似てる、かな。でも、違うものを選ぶことは全然ある。そこはまあ、常に一緒の場所に居て生活していれば、好みが似てしまうのも仕方がないって感じかな。食べ物は、どうだろう、意識したことがないな。選ぶ物は、結構な差があるかもしれない。なんというか、性格や口調は完全に別々って感じ」


 僕はここまで他人に懇切丁寧に説明したのは初めてだ。

 ペラペラと家族の情報を他人に渡してしまっていいのだろうか、という問いに対しては耳を塞ぐ。

 森夏には恩があるっていうのもあるけれど、この学者さんはこれらの情報を聴かないと体を引いてくれないと判断したからだ。


 予想通り、森夏は満足して元の位置に戻ってくれた。

 ほんのりと髪の残り香が、鼻から全身に染み渡る。


「なるほどなるほど、そういうのって物語の中だけなのかなって思っていたけれど、あることはあるしないことはないんだね。そうだよね、双子ちゃんだったとしても、一人一人がちゃんとした人間だもんね」

「そんなに難しく考えなくても良いと思うぞ。森夏が自分で導き出せている通り、誰だって人間だからな」

「変なこと聞いちゃってごめんね」

「これぐらいなら全然お構いなく」

「それにしても、いいなあ。天空くんの妹ちゃん達かぁ、どんな感じなんだろう」

「どうだろうな、普通じゃないか? 普通の女子高生だよ」

「え、一個下なの!? あっ」


 今度は自制してくれたらしく、立ち上がる前に留まっている。


「だからまあ、何かのタイミングで会えたりするんじゃないか?」

「これからの楽しみができました」

「それはようござんした。じゃあそろそろ良い時間になってきたし、解散にしようぜ」

「そうだね」


 晴天栄える青空から、茜色に染まり始める夕方を視界に捉え、頃合いだと判断。

 気づけば僕達以外に誰も居なくなった教室に別れを告げ、教室を後にした。




 改札を出た、時計台前。

 そこには少年が一人、体を思い切り伸ばす。

 長時間の移動により凝り固まった体をほぐし終え、息を大きく吸って吐く。


「やっと着いたか。ここがあいつのいる街、か」


 その少年は、初めて目にするここへ期待と憐みの意を込め、夕陽に視線を向けた。

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