第112話 切れぬ糸

 ニール兄さんにお姫様抱っこで運んでもらい、あの男と斬り合うマクシミリアンさんを壁にして近づく。


 そして有効範囲内に入った瞬間、私は聖域の奇跡を発動した。


「えっ!? あ、あああああああああああああ!」


 するとあの男はまるで獣のようなすさまじい叫び声を上げた。剣を落とし、両手で抱えた頭を必死にブンブンと振り回している。


「あ、が、ああああああ!」


 よろよろとふらつき、そのまま聖域の外へと出ていった。私は魔力の消耗を避けるため、聖域の奇跡の展開をやめる。


「あっ、がっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 男は滝のような汗をかいており、先ほどまでと違ってずいぶんと疲れた感じになっている。


 どういう理屈なのかは分からないが、やはりこの男には聖域の奇跡が有効なようだ。


「さあ、姫様。ショーズィ殿の説得を!」

「はい。ショーズィさん、ですね?」

「うっ、ぐっ、あ……ホリー、さん……」


 それにショーズィさんの瞳には少しだけ光が戻っているような気がする。


「私は物心ついたときからずっと魔族と一緒に暮らしてきました。だから私が魔族と一緒に暮らすのが当たり前のことで、ここには私の大切な人たちがいます」

「あ、う……」

「私は私の意志でここにいるんです。ショーズィさんや人族の人たちがどう思っているのかは知りませんが、私はあなたたちの助けを必要としていません。幼馴染たちと仲のいい人たちと、故郷で幸せに暮らしています。だからどうか私の、いえ、私たちの幸せを壊すようなことはやめてください。戦争なんて、殺し合いなんて、悲しいだけじゃないですか」

「う……」

「ショーズィさん、お願いします。どうかもうこんなことはやめてください」

「ホリー……さ……ごめ……」


 大量の汗をかいているショーズィさんが謝ろうとしたそのときだった。ショーズィさんの着ている鎧の下から赤い光が漏れてくる。


 するとショーズィさんはがっくりとうなだれ、そして顔を上げると先ほどまでのうつろな瞳で私をじっと見てきた。


「俺は! ホリーさんを救うんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ショーズィさんは自分を中心にして突風を吹かせた。


「ひゃっ!?」

「ホリー!」

「姫様!? ショーズィ殿! 姫様をお救いすると言っておきながら何をしているのじゃ!」

「師匠? ああ、魔族に操られたなんて可哀想に……ん?」


 ショーズィさんは私の前に立つニール兄さんを見てニタリと口元をゆがめた。


 虚ろなままの瞳と相まって、私の背筋に悪寒が走る。


「そうか。お前がホリーさんを狂わせたんだな。そうだよ。ホリーさんを救うには……くひ、くひひひひ」


 私はあまりに異常なその言葉に、その思考回路に底知れぬ恐ろしさを感じた。


「な、何を言っているんだ! ホリーのどこがおかしいって言うんだ!」

「魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す。魔族、殺す」


 恐ろしいことをぶつぶつと繰り返しつぶやきながらショーズィさんは、いや、ショーズィは剣を拾うと真っすぐにニール兄さんへとその切っ先を向けた。


「ホリー、逃げろ。こいつは無理だ」

「でも!」

「私も同意見だ。こんなおかしな奴のためにホリー先生をこれ以上危険な目に遭わせる必要はない。こんな危険な思想を持つ男を逃がせば将来に大きな禍根を残す」

「オリアナさんまで……」

「姫様、お逃げくだされ」

「……」


 ちゃんと説得できなかったのは悔しいが、こうなってしまったなら仕方がないのかもしれない。


 しかし私が逃げる前にショーズィが動いた。ニール兄さんを殺そうと斬りかかったが、それはマクシミリアンさんによって防がれる。


「ショーズィ殿!」

「俺は! ホリーさんを! 助けるんだぁぁぁぁぁぁぁ!」


 体全体がオーラのようなもので包まれ、マクシミリアンさんとニール兄さんがまとめて吹き飛ばされた。


「ニール兄さん! マクシミリアンさん!」


 私がそちらに気を取られていると、いつの間にかショーズィは私の目の前までやってきていた。


「させるか!」

「邪魔を! するなぁぁぁぁぁぁぁ!」


 ショーズィはオリアナさんに向けて力任せに剣を振った。それをオリアナさんは受け止めるが、大きく弾き飛ばされてしまう。


「ホリーさん、俺が助けてあげるから。もう大丈夫だから」


 虚ろな瞳で薄ら笑いを浮かべながらそんなことを言ってきた。ショーズィは助けようとしているのだろうが、私にとってそれは恐怖でしかない。


 あまりの恐ろしさに私は思わず体を固くする。しかしショーズィは私の背後に回り、あっという間に私をお姫様抱っこした。


「ひっ!?」


 鳥肌が立ち、嫌悪感が込み上げてくる。


「聖女を救出した! みんな! 退却だ!」


 ショーズィは周りに人族の兵士など誰一人いないにもかかわらず、大声でそう叫んだのだった。

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