第16話:姫君のご褒美


 その日も、王都ソールグレイは薄曇りの良い天気だった。

 先日起こった、異邦の魔術師の襲撃騒ぎ。

 まだ微かな混乱を残してはいるが、人々は普段通りの生活を営んでいた。

 “銀の杯”亭もいつもと同じ……いや常とは異なる、熱を帯びた活気に満ちていた。

 多くの酔漢たちが、心底愉快げに口にしているのは――。


「いやぁ、凄かったなぁ《忌み姫》様! 俺はな、確かに見たんだよ!」

「おいその話、今日でもう何回目だよ」

「でかい斧持った姫様が、あの塔を派手にぶち壊したのだろ?

 そんなもん、俺だってこの眼で見たさ!」

「勇ましいよなぁ、流石は覇王の娘だよ。ありゃ馬鹿な男が後を絶たないわけだ」

「なんだ、お前さんも挑戦してみるか? 上手くすりゃあ国王様だぞ?」

「馬鹿言えよ! あんなおっかない王女様に勝てるわきゃねェだろ!」

「違いない。そういう意味じゃ、いつも引き返して来る兄ちゃんは賢い方だなぁ」

「はっはっはっはっ」


 誰が誰に話しているのか、そんなことを気にする者は誰もいない。

 思う様に酒を呑み、料理を口にして、皆一様に《忌み姫》様の話題で盛り上がっていた。

 まだ昼間だというのに、ちょっとした宴もかくやという酒場の隅。

 そこにはガイストと、相棒である灰色狼。更にもう一人。


「……なぁ、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫大丈夫、堂々としてりゃあ誰も気にしないって」


 少し身を縮めて、落ち着かない様子でそわそわとしている女性。

 それは噂の人物、ヒルデガルドに他ならなかった。

 今もあちこちから聞こえてくる話に、時折小さく肩や耳を震わせていた。


「やっぱり気になるか?」

「当然だろう……! まさか、あのぐらいの事でこれほど騒がれるなんて……」

「あのぐらい扱いするには、ちょっとやった事のスケールがデカいと思うね」

「…………」


 笑うガイストの傍らで、灰色狼も同意するように喉を鳴らす。

 怒ろうにも、下手に声を荒げて注目を集めたくはない。

 ヒルデガルドはぐっと拳を握り、喉まで出かかった激情を呑み込んだ。

 ――何故、私はあんな事を言ってしまったのか。

 思い返すのは、魔術師ギュネスを討ち果たした時のことだ。

 『何か褒美を取らせても良い』――そう言った、言ってしまった。

 ヒルデガルドの予想では、次に戦う時のハンデでも願うと考えていた。

 しかし、まったく想定していないことを言い出した。


『街に出て、一緒に飯を食べたい』


 言っている意味が分からなかった。

 それが何故、褒美になるのか。困惑する姫に、男はぐいぐいと押し込む。

 《王器》の前を離れるわけにはいかない――と、そう言い訳もした。

 が、ヒルデガルドは一人なら己と同一の影を使役できる。

 ガイストにも見せてしまった後なので、これを理由にはできない。

 ……別に、望まないのならば断ってしまえば良かった。

 褒美云々も、結局は口約束に過ぎないのだから。


『……分かった。だが、共にするのは影の方だ。それで構わんな?』


 と、条件を付けた上で承諾したのが現在だ。

 そう言っておきながら、同行したのは影ではなく本体なのは秘密にして。

 何故、影ではなく本体で赴く事にしたのか、理由は分からない。

 分からないという事にして、ヒルデガルドは無自覚のまま感情に蓋をしていた。


「なんというか、ちょっと新鮮だな」

「……何の話だ?」

「いや、姫様の格好」


 向かい合う形で座るガイスト。

 彼の視線を感じ、ヒルデガルドは己の身体を見下ろす。

 普段着ている黒いドレスはとは違う、落ち着いた色合いの質素な衣服。

 姫君の決定に不満げなヤタが、それでも丁寧に用意してくれた町娘風の衣装だ。

 みっともなくはないかと、ヒルデガルドは微かに不安を感じていたけど。


「似合ってる。姫様なら、何を着ても似合うかもしれないけどな」

「世辞を言っても、これ以上は何もくれてはやらんぞ」

「眼福なんで、それで十分だな」


 姫とは逆に、いつも通りの薄汚れた鎧兜のまま、ガイストは笑った。

 相手を蔑んで嘲るのではなく、心底楽しそうに笑っていた。

 言葉にし難い感情が、胸の奥でチリチリと焼け焦げる。


「――はい、お邪魔しちゃって悪いね! ご注文の品だよ!」

「おっ、来た来た。ありがとな、女将さん」

「追加あったらまた声かけておくれよ!」


 恰幅の良い女将が、両手に持った料理と酒をテーブルに並べる。

 大きな木製のカップに注がれたエールに、更に盛られた肉と野菜のスープ。

 豪快に切られた黒パンに、肉を詰めてしっかり揚げたパイ包み。

 一気に置かれた品々を見て、ヒルデガルドは目を白黒させてしまった。


「お? どうした?」

「あ……いや、その。こういう食事は、初めてなんだ」

「ん、そうか。とりあえず味は保証するから、遠慮なく食べてくれ」

「金ならある。支払うぞ」

「ここは男に見栄をはらせて貰えるとありがたいね、姫様」

「……そういうものか」


 良く分からない。良く分からないが、それがガイストの望みなら。

 それ以上の異論は挟まず、ヒルデガルドは目の前の皿に手を付けた。

 温かな湯気がふわりと揺らめくスープ。

 スプーンに具材も一緒に載せた上で、恐る恐る口にする。


「……美味い」

「だろ? ここは騒がしいし店の中も汚いが、酒と食事は最高なんだよ」

「コラちょっと、店が汚いってのは余計だよ!」

「おっと、こりゃ失礼しました」


 耳ざとい女将の怒鳴り声に、ガイストはエールのカップを掲げて応える。

 その間にも、ヒルデガルドは黙々と料理を食べ進めた。

 ガイストの方も、酒を呑みながら肉を摘む。


「姫様は、普段はどんな食事をしてるんだ? 城の中じゃ一人だよな」

「……従者がいる。正確には、私の従者というわけではないが」

「じゃあ、食事はその従者が?」

「そうだな。基本、口にするのはヤタの出す聖餅だけだ」

「せいへい?」

「ヤタは《王器》の眷属。ごく一部だが、《王器》の持つ恵みの力が使える。

 それを利用して、人が一日生きるのに必要な活力を秘めた聖餅を出せるんだ」

「ちなみに聞くけど、お味の方は?」

「ほとんど無いな。そもそも、食を楽しむための物じゃない」


 ……一日に一回、味のしないパンだけを食べる姫君の姿。

 それを想像すると、ガイストは言いようのない気分に苛まれた。

 当のヒルデガルドは、目の前のスープに夢中だった。


「断っておくが、これは私の望んだ事だ。

 以前の私の食事には、いつも毒が入っていた」

「は? 毒? なんでそんなものを……」

「私の力を恐れた父……先王ガイゼリックの命令だ。

 毒を常に含ませておくことで、私を弱らせておきたいと考えたんだ。

 まぁ、実際はほとんど効いていなかったが、毒なんて美味いものではないからな」


 苦い笑みをこぼし、久方ぶりに美味い食事に舌を喜ばせる。

 そんな何処か子供めいた様子に、ガイストは思わず頭を抱えてしまった。


「同情なら不要だぞ。全て過去の話だからな」

「そりゃ勿論。ただ、ここの料理にはそんなもん入ってないんで、遠慮なく食べて欲しい」

「……そうだな。あぁ、そうさせて貰おう」

「ちなみに、酒の方は大丈夫ですかね?」

「酔って前後不覚に陥ると期待してるのなら、後悔する羽目になるぞ?」

「はっはっは、期待してなかったつーと嘘になるな」


 くだらない言葉を交わしながら、食事は和やかに進む。

 肉を食べ、酒を口にすると、ヒルデガルドは不思議と穏やかな気持ちになった。

 ……こんな、誰かと食卓を共にするなんて、いつぶりだろう。

 ヤタは物を食べる必要はなく、過去の毒料理を食べていた時期も一人だった。

 いつも魂を焼いている、暗い激情は今は感じない。

 その理由が目の前の胡散臭い男などと、どうにも認め難いが。


「……お前は、一体何が目的なんだ?」

「うん?」

「最初は、《王器》を欲するいつもの愚か者だと思っていた。

 不死者……いや、《不死英雄》だと知れた時、お前を悪神の使徒とも疑った。

 が、お前からはそういう邪悪な気配は感じられない」

「……褒められてる感じですかね、コレ?」

「呆れているし、困惑しているのだ。

 お前が何を考えてるのか、私にはサッパリ読めん。

 王になりたいのなら、《王器》の力で欲望のまま振る舞いたいのなら。

 その邪心ぐらい、私に見抜けぬ筈はない。

 自らを亡霊と名乗るお前は、一体何を考えているんだ?」

「…………そうだな」


 問われて、ガイストは珍しく口籠った。

 酒のせいで少し饒舌になっているようだが、ヒルデガルドの問いは真剣だった。

 茶化して誤魔化すのは、傍らで眺めている灰色狼も許してくれそうにない。

 ほんの僅かに、迷う仕草を見せてから。


「……盗まれた《死》を、取り返したいんだよ」

「それは……《隠れたる者》から、という意味か?」

「あぁ。覚えてるのは、どこぞの戦場跡で目覚めた頃からだ。

 ボロボロの荒野で、俺以外にあるのは動かない死体か、動いてる死体だけ。

 いや、一応コイツもいたか」


 そう言って、灰色狼の毛並みをぽんぽんと撫でる。


「……何処かの国同士の戦争で、お前は兵士として戦った。

 その戦場で死に陥った時、《隠れたる者》の甘言に耳を貸したと、そういうわけか?」

「うん、多分な」

「多分?」

「覚えてないんだわ、その辺の事。

 自分が誰なのかも含めて、丸々抜け落ちてるんだよ」

「……それは」


 考えもしなかった答えに、流石のヒルデガルドも言葉を失う。

 語っているガイスト本人は、さも大した事でもないといった様子だが。


「微かに記憶に残ってるのは、『死にたくない』って祈りだけだった。

 誰かがそれに応えて、俺の中から大事なものをごっそりと盗んでいきやがった。

 ソイツが《隠れたる者》って悪神だと知ったのは、もう少し後なんだけどな」

「……そうか。だから、お前はガイストと……」

「亡霊(ガイスト)って名乗りも、なかなか洒落てるだろ?

 自分の名前も覚えてないし、とりあえず適当に考えて付けたんだけどな」

「…………」

「ん? 笑い事じゃないだろうって?

 それはそうなんだが、逆に暗く沈んだからってどうこうなる話でもないだろ」


 ジト目で見上げる灰色狼に、ガイストは軽く肩を竦めてみせた。


「まぁ、俺一人なら別に良かったかもしれないんだけどな。

 どうもコイツ、《死》を盗まれたばかりの俺の肉を食っちまったみたいで。

 その時に呪いとか、何かそういう感じのがコイツの《死》にも影響したようでな」

「なら、そちらの狼も……」

「死なないな。俺ほど無茶苦茶じゃないが、不死身なのは似たようなもんだ」


 《隠れたる者》の手で《死》を盗まれた事で発現した、不死身の呪い。

 死を失い、あまつさえ代償として自身の記憶を全て奪われるなど。

 想像を絶する悍ましい仕打ちを耳にして、ヒルデガルドの胸は大きく震えた。


「だから、どうにか取り返そうと結構あちこちうろついたんだ。

 でも隠れた神様なんてもの、どう見つけて良いのかさっぱり分からん。

 無駄骨を何本も折ってるところに、耳に入ったのがバルド王国の噂だ」

「……先王が死に、《王器》の継承が宙に浮いてると、そう聞いたのだな」

「そうだ。人間の力だけじゃ、隠れた神様を探すのは難しい。

 けど、《王器》の力を使えれば、手掛かりぐらいは掴めるんじゃないか。

 そう考えて、ダメ元で挑んで――ま、今に至るわけだ」


 話はそれでおしまいと、不死身の男はぐいっとエールを呷る。

 料理もそうだが、兜を付けた状態で良く器用に飲み食いをするものだと。

 現実逃避気味に感心してから、ヒルデガルドは小さくかぶりを振った。


「ガイスト。もし、お前が望むなら……」

「ストップだ、姫様。それ以上は口に出されると、俺の方が断りにくくなっちまう」


 身を乗り出しかけた姫君を、ガイストは片手でそっと押し留めた。

 彼女が何を言い出そうとしているかは、聞くまでもなく理解していた。

 だからこそ言葉を止めた男に、ヒルデガルドは困惑を滲ませる。


「何故……!」

「《王器》を手に入れたいなら、姫君に正面から勝たなきゃならない。

 そういう合意で始めたわけだからな、俺としてはそれを最後まで守りたい。

 ……ま、要するに男の意地とか、何かそういう奴だ。

 姫様の方だって、ここまで妥協せずにやってきた矜持があるだろ?」

「確かに、その通りだが……」

「それに、俺の言うことが全部本当だとも限らないんだ」

「……お前は私に虚偽を語って聞かせたのか?」

「いや、誓って真実だ。姫様に嘘を吐くのは、できればあの一回だけにしたいね」


 軽くおどけた口調に、ヒルデガルドは思わず笑ってしまった。

 つられて、ガイストも酒を片手に喉を鳴らす。


「分かった。どうやら酒を呑みすぎて、私も馬鹿になっていたようだ。

 お前が愚かな挑戦者である事を望むなら、私は遠慮なく叩き潰すのみだ」

「おう、姫様はそうでなくっちゃな。

 まぁ見ててくれよ、俺も大分姫様との戦いには慣れてきたからな」

「容易く勝てると思っているのなら、今すぐにでも後悔させてやるが?」

「いやぁ、今はもうちょっとご褒美タイムを満喫させて頂けると……!」

「……ふん。そういう事ならば、仕方がないな」


 わざとらしくため息を吐き、ヒルデガルドもエールを口にする。

 ぬるくなった酒は、お世辞にも美味とは言い難い。

 けれど《忌み姫》のこれまでの人生で、これほど酒を楽しんだのは初めてだった。

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