1章 6

「伝えたいことが大してなくても、代筆屋を利用する依頼人はいる」

「だからそういう人は、氷藤さんに気持ちを引き出してほしいから依頼をしてきたんだろうと思うんです。ホームページにそう書いてあったじゃないですか」


 貴之はハッとする。


 まずはお気軽にお問い合わせください。

 わたしと話しているうちに、自分自身でも気づかなかった思いが掘り起こされて、驚かれる方も少なくありません。心の整理にもつながります。

 大切な人に、あなたの気持ちを届けましょう。


 代筆屋の紹介文を思い出した。

「――まあ、そう書いたな」

 ホームページは昨日リニューアルしたばかりだが、文言はそれまでと大して変わらない。


「確かに、俺に気持ちを引き出してもらいたかったのかもしれない」


 組んだ指に視線を落として、貴之は呟くように言った。あのときは、相手の気持ちを汲み取る時間がなかった。申し訳ない気もしてくる。


「じゃあ、依頼はまだ未達成ですね」

「えっ?」


 驚いて貴之が顔を上げると、ずいっと身を乗り出した美優の真剣な瞳とぶつかった。


「もう一度、きちんとお孫さんの話を聞きましょう」

「いやいや、なんでだよ」

「今度こそ、お孫さんも節子さんも喜ぶ手紙を書いてください」

「なんでループしてるんだ。この仕事は終わったんだよ」

「そんな中途半端な仕事をしていたら、SNSで噂になって叩かれますよ。指が滑って、わたしが広めてしまうかもしれません。心を汲み取ると言っている代筆屋としては、大ダメージでしょうね。氷藤貴之って本名を出してるから、本業のライター業にも響くかもしれんませんよ」

「……脅迫か」

「いえ、きちんと仕事をしていただきたいだけです」


 美優がにっこりと笑う。

 脅迫以外の何物でもなかった。


 なぜライターをしていることを美優が知っているのかと思ったが、わざわざ代筆屋のホームページを見ていたのだ。貴之の名前で検索をかけたのかもしれない。ライター業も本名で仕事をしているので、調べればすぐにわかるだろう。


 なんと面倒なクレーマーだろうか。居留守を使わなかったことが悔やまれる。


「氷藤さん、今日のお仕事は忙しいですか?」

「まあ……、仕事はあるよ」


 嘘ではない。一週間以内に入稿すればいい、ゆるい締め切りの原稿がある。


「わたし、氷藤さんの口癖を一つ発見しました」

「ん?」

「仕事はあるけれど、急ぎではないんですね?」

「えっ」


 思わず貴之は口を押えた。

 なぜわかったんだ。俺に口癖なんてあったのか。


「じゃあ時間はありますね。せっかくですから、お孫さんに会いに行きましょう」

「はっ? 確か孫は首都圏住みじゃなかっただろ。百歩譲って孫の話を聞くとして、会う必要はねえだろ」


 貴之は慌てる。


「電話より、直接会ったほうが気持ちを汲み取りやすいですよ。オンラインで、なんて手抜きもだめです。氷藤さんは一度失敗しているんですから、二度目はありません。心配ですから、わたしもついて行きます」

「どうして決定事項みたいになってるんだよ……」


 貴之は額を押さえると、天井を仰いだ。

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