1-16 侯爵とフロン

「まあ、セイン! あなた火術が使えるのね?」


 侯爵の巨体の後ろから、いきなり一人の女性がぴょこんと現れた。

 ちょっとだけ傾けた首に沿って、ストレートの髪がさらさらと肩から滑り落ちる。見事なプラチナシルバーのそれは美しく手入れされ、腰まで届くほどの長さだ。

 彼女は、長女のフロンで二十歳になったばかりだ。この侯爵家で、能力だけなら父親さえも上回っていると言っても過言ではない。

 その被毛は白銀色に一番近いともてはやされ、父親以外で唯一複数の尾を持っている。もともと妖狐族は女性の方が能力が強く、複数尾もそれに沿う形で男性個体では少ないとされている。

 当主が男子というのは人間の法に則ったものだったが、そのため強い能力を持つ配偶者が求められているという背景もあった。

 フロンと侯爵は、皇帝の召喚状により先日まで帝国本土に滞在していた。

 こうして現れたのは、たった今、帰宅したばかりだったからのようだ。東屋のある迷路のような植垣の向こう、本邸の正面には大きな馬車と、そこから荷物を運び入れる召使いの姿があった。


「ち、父上! あのっ、聞いてください、セインのやつが、兄上と俺を……!」


 父親の登場に動揺したイゼルは、それでもいち早く平静を取り戻し、先手必勝とばかりに慌てて声を上げた。抜けた腰を引きずるようにして、被害者全開で必死に訴える。ビサンドもようやく身体を起こして、よろけながら顔をしかめて、さも重傷者さながらの様子だ。

 本当のところは激しく燃えたのは形代で、ズボンが焦げてちょっと火傷した程度だったはずだが。

 

「ねえ、お父様。ほら、ごらんくださいまし。わたくしの言った通りだったわ、だって、セインは姫様が……」

「わかっておる、そう興奮するな」


 けれど、侯爵はもちろんフロンさえ、その訴えに目もくれなかった。

 興奮した様子でフロンが取り上げたのは、セインのことであった。無視されたイゼルは、ただぽかんと口を開いて見上げるばかりだ。

 もとよりこの父親の方針を、二人は知っていたはずである。

 家督を譲ることになる男児には厳しく、兄弟間の諍いも、よほどのことがなければ放任していた。

 札つくりに参加してない男児は、朝昼と、使用人邸近くの修練場で訓練をしたり、雑用をしたり、食事もそこで済ませることになっている。それは修業の一環のはずだったが、イゼルとビサンド兄弟は、セインを含む子分たちに面倒なことはやらせ、使用人たちにも横柄な態度を取っていたようだ。

 そんな風に、ろくに目が届かないことをいいことに好き勝手をし、本邸にまで手を回してまでセインを攻撃していたというのに、自分たちが不利となるや、助けを求めるなど愚かとしか言いようがない。


「セイン」


 響くようなバリトンで、侯爵が口を開く。

 まるでたてがみのような黄金色の髪と、立派なひげも相まって、その姿は、狐というよりライオンのような容姿であった。

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