無実の囚人
第1話
リズはもともと貿易を生業とするレーベ商会の一人娘だった。
母は流行病に罹ってとうの昔に亡くなっていて、父と二人で幸せに暮らしていた。
ところが六年前、父が暴走した馬車に跳ねられて帰らぬ人となった。
身寄りのないリズは唯一の肉親である母の妹、ドロテアに引き取られた。
ドロテアは既に聖女として活躍しており、多忙を極めているにもかかわらず、リズを優しく迎え入れてくれた。彼女が暮らしている場所は教会本部内だったが、聖女のために特別に造られた邸はリズも一緒に暮らせるだけの部屋数があった。
ドロテアは時間を作ってはリズと一緒に遊んでくれたし、家庭教師を雇って充分な教育を受けさせてくれた。
お陰でリズは立派な女性へと成長した。もしドロテアが引き取って愛情を注ぎ、教育を受けさせてくれなければ、きっと今のリズはいない。
誰にでも優しく親切で、聖職者の鑑といえる彼女をリズはいつも羨望の眼差しで見ていた。
(大人になったら、私も叔母様みたいな立派な人になりたいです……)
リズももう十七歳。あと一年すれば成人する。
成人したらこの教会を出てひとり立ちし、人の役に立つ仕事をしようと決めている。
そんなある日、リズがいつものように見習いの修道女に混じって教会内の草むしりに勤しんでいると、付き人の聖騎士を連れたドロテアがやってきた。
クリーム色のすっきりとしたラインに絹のドレス。スカートの裾には白糸で百合の刺繍が入り、ところどころにはパールがちりばめられている。
頭につけているレース状のウィンプルの裾にも百合の刺繍が入っていて、彼女の艶やかな黒髪と雪のように白い肌がよく映える。
(私も叔母様みたいに綺麗な黒髪だったら素敵でしたのに……)
肩に垂れた自身の髪を持ち上げてじっと見つめる。
リズの髪は父親譲りのシルバーブロンド色で、瞳は母親譲りの青色をしている。
ドロテアもリズと同じ青い瞳だが灰色がかっているので印象がまた違う。
「精が出るわね、リズベット」
「ごきげんよう、叔母様」
リズは手にしていた自分の髪を放して立ち上がると、作業用のエプロンについた泥を払って挨拶をする。
ドロテアは目を細めると、こちらに来るようにゆっくりと手招いた。素直にリズが近寄るとドロテアから頼みごとをされる。
「大司教様と先程お話していたのだけれど、今年は五年ぶりに雨が降らない年になるらしいの。それで急遽明日の朝に雨乞いの儀式をすることになったから、私の部屋に仕舞ってある青色の儀式用ドレスを直してもらえないかしら? あれはスカートの一部に穴が空いてしまっているんだけど、儀式用のドレスでお気に入りだから是非着ていきたいの。聖杯にもよく合うしね」
聖杯は盃の部分が瑪瑙でできていて、縁は金細工に加え、サファイアやタンザナイトなどの宝石がちりばめられている大変貴重なものだと聞いている。
その聖杯と合わせるなら、確かに青いドレスが一番良い。
「えっ、でも私が叔母様のドレスを直しても良いのですか?」
リズは少し戸惑ってしまった。
雨乞いの儀式となれば聖女の奇跡を目の当たりにしたくて大勢の信者が詰めかけることになる。
その当日の衣装を、聖職者でもない自分なんかが繕っても良いのだろうか。
そわそわしていると、ドロテアが優しく肩を抱く。
「私はあなただからお願いするのよ。草むしりが終わってからで良いから夕刻までに準備しておいて欲しいわ。夜はあれを着て大司教様と打ち合わせをするの」
こんな大役はまたとない、とリズは思った。それに普段は頼ってこないドロテアが頼ってくれているのだ。最初は尻込みしていたが、断る理由がなくなった。
「是非私にやらせてください!」
リズは二つ返事で引き受けることにした。
「それじゃあお願いね」
ドロテアは微笑むと聖騎士と共に礼拝堂へと歩いていってしまった。その後、草むしりを終えて、早速ドレスを直しに邸へと向かった。この時間帯の邸内は修道女や見習いの修道女たちが掃除をしている。
廊下ですれ違う彼女たちに挨拶をしてドロテアの寝室に入ると、クローゼットを開いて青色のドレスを取り出した。
「明日このドレスを着て、叔母様は雨乞いの儀式を行います。聖杯を持つ姿はきっと神々しいのでしょうね」
妖精から賜ったとされる聖物はこの世に三つある。
一つ目は、雨を降らす力を持つ聖杯。
二つ目は、邪悪なものを払い、倒すことができる聖剣。
そして三つ目は聖女となる乙女を見つけるための羅針盤だ。
どれも大司教が厳重に管理している。
「雨乞いの儀式を成功させるためにも、ドレスを完璧に仕上げなくては」
リズは服の袖を捲ると、持ってきていた裁縫道具を開いてドレスの生地の色と同じ青い糸を選んで針に糸を通した。
空いている穴の端に針を通して真横から出し、反対側の真横へ針を通して真上に刺す。それを何回も繰り返して最後に糸を引っ張って閉じれば穴は綺麗に塞がった。
「――ふぅ、目立たなくなりましたし、これで良いですね。叔母様も喜んでくださるはずです」
ドレスの修繕は思ったほど大したことなく、解れや取れかけのボタンを付け直す作業を入れても三十分程で終わってしまった。
リズはドレスが皺にならないよう綺麗に畳んでからほくほく顔で寝室を出る。
丁度、花を生けに来た修道女と出くわしたので軽く挨拶を交わした後、炊事場で食材管理を行った。
食材管理はリズと料理担当の修道女が行っているのだが、風邪で寝込んでしまっているので今日はその代わりだ。それも終わって漸く手が空くと、仲の良い修道女と一緒に薬草園の薬草を摘みに出かけた。
薬草園に生えている薬草は薬にして週に一度、信者へ提供する。今日集めるのはカモミールだ。
「ここに来て間もない頃は薬草と毒草の見分けがつかなかったけど、随分手際が良くなったわ」
そう言って微笑みかけてくれる修道女はリズよりも二十歳上。ここに来た時から娘のように可愛がってくれている。
朗らかな修道女が好きで、時間があれば薬草園へ行き、リズは薬草の知識を身につけていった。
「根気よく指導してくださったお陰です。いつか私に聖力が備わったら難しい薬の作り方を教えてくださいね」
リズは今のところ簡単な薬しか作ることしかできない。難しいとされる薬には聖力が必要となるので、それがゼロであるリズには作ることができないのだ。
「ええ、約束しますとも。その代わり、今度また私の好きなビスケットを焼いてくださいね」
修道女が茶目っ気たっぷりに小声で話してくるのでリズは堪らず声を出して笑った。
「ええ、もちろんですよ」
それから二人で他愛もない話をしながらカモミールを籠いっぱいになるまで摘むと、教会の隅に建てられている薬工房へ持ち帰った。
薬工房の中は、薬草特有の匂いがツンと鼻を刺激する。
壁際には逆さにした薬草がびっしりと吊されていて、棚の一番上には植物の根や木の実が瓶詰めされている。その下の段にはすり鉢やすりこぎ棒、抽出器具など作業に必要な道具も整然と並べられている。
作業台の上に籠を置いたところで夕刻を告げる鐘が鳴ったので今日の作業はここまで。明日はカモミールを乾燥させるらしく、リズは修道女に手伝うことを約束すると邸に帰った。
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