第43話 『向日葵』の境界。君が俺だけに明かす本当の名。

 帝国に潜入する前に乗ってきた飛行艇の船内のそれとそっくり。


「あと治療薬を飲ませたでしょ? 本当はエルやんのために渡したのに……でも今回はその機転の良さが功を奏したよ。ありがとう」


 普段慣れてないから、面と向かってお礼なんて言われると正直照れくさい。


「ナキアさぁん!?」唐突にブリッジの方へ向かって叫びだした。「あとどれくらいで着く?」


「おぉ」遠くの方から返事が返ってくる。「あと30分ぐらいだな」


 少しいつもより声に張りがない感じだったけど、一先ずナキアさんも無事で何より。


「そっか、良かった」ほっとシャルは溜息をつく。「それなら何とか持たせられる」


 じゃ、ウチ、診なきゃいけないから、とシャルは奥へと去っていく。


 ほんとはフェイの側にいなきゃいけなかったのに、邪魔したみたいでホント申し訳ない。


「あぁ、そうそう!」


 奥から弾んだシャルの声が飛んでくる。


「しばらく邪魔しないであげるから、後は二人でごゆっくり~」


「な――」


 言い返す間もなく、バタンと鉄扉が閉まる音にさえぎられた。


「ったく……シャルのやつ」


 余計な気を回しやがって。それでアセナはというと俺の胸でうずくまったままだ。


「ありがとう、君のおかげで助かった」


 全力で首を横にふってくる。


「……お礼をするのは私のほう」


「そんなことはないよ」


 守るって約束したんだ。もう二度と逃げたりはしない。


「助けてくれて、ありがとう」


「当たり前だよ」


 ウチに【霊象予報士】がいなくなるからなんて元より体のいい口実だ。


「救ってくれてありがとう」


「なんの」


 助けたいから走った。取り戻したいから戦ったし、一緒にいたいから倒した。


 もう一度会いたいから戻ってきた。ただそれだけのこと。


 感謝されることは何もない。アセナが解放され自由になれた。それだけで充分。


「自由をくれてありがとう」


「最初から君は自由だ」


 ヒマワリの下で出会ったあの日――。


 自分の運命の輪から抜け出してアセナは俺と指切りをしてくれた。


 その時にはもう、今日という明日を選んでいた――我ながら歯の浮きそうなセリフだけど、心からそう思う。


「……アセナ。そろそろ――」


「いや」彼女は首を振る。「……心配したんだから」


「ほんとごめん」


「ウソもつかれた。死なないって言ったのに」


「それは……ごめん」


 現に生きていたと言ってもしょうがない。クローディアスとの一戦はマジで死ぬつもりだったから。


 まぁ、何と言うか、やっぱりバレていたかって感じだった。


 これは全面的に俺が悪い。弁明の余地がないほどに。


「それに……離したらまたどっか行っちゃう」


「行かないって、ここ空の上だぜ?」


 アセナは答えない。やべ、言葉を間違えたか?


「『契約』して」唐突にアセナは言ってきた。「二度とあんなことしないで」


「……わかった」


「二度とウソつかないで」


「ああ」


「二度と私一人置いていなくならないで」


「いいよ」


「二度と……約束を破らないで」


「注文多いよ」


 って言ってはみたけど、うるんだ目でうったえかけられたら、もう降参するしかないよな。


「……わかった。全部のむよ」


「じゃあ、指出して」


 仰せのままに、俺は彼女の前に指を掲げる。


「こんなこと言う立場にないと思うんだけど――報酬は?」


 もちろん、と涙をためながらアセナは微笑んだ。


「デート一回。やり直すって言ったよね?」


 ――満足だ。もう死んでもいい……いや、ダメか。『二度とあんなことしないで』っていう条項の中に入っているし。


「キサマらそろそろ国境越えるぞ~、支度しとけ~」


 鉄板をはさんでブリッジからナキアさんの声が届く。


 小さな窓から俺たちは外を見た。


 雲ひとつない青空の下に、地上に広がる一面のヒマワリ畑が見え始める。


「帰ろう。アセナ。俺たちの町に」


 うん、と隣で静かにうなずくアセナ。


 それを横目に俺の心の中でささやかな引っ掛かりが芽生える。それはずっと気になっていながら、頭の隅に追いやっていたもの。


「……アセナ。一つ教えてほしいことがあるんだ」


「え?」不思議そうにするアセナ。「なに? 改まって」


「……君の本当の名前を教えてくれないか?」


 少しの間アセナは目を丸くしていたけど、やがて微笑んで。


「……うん、じゃあ、エルくんにだけ特別に――」


 一度だけしか言わないから、と耳元に口を寄せてきて、唇をくっつけるように。


「……私の名前は、アセナ――そう、アセナ……」


 脳みそが溶ける甘い声でささやかれる姓。


 それはどこにでもあるありふれた苗字だったけど、その素朴さと優しい響きが、彼女の髪の色ととても似合っていた。

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