第九四編 逃走不可

 その日の俺は、非常に珍しいことに目覚まし時計よりも早く目が覚めた。普段であればいつもの起床時刻まで二度寝なりしてダラダラ過ごすところだが、今日に限ってはそんな気分にもならず。

 顔を洗い、朝飯を食い、歯を磨いて、制服に着替え。ここまでやってもまだまだ余っている時間。迷った結果、「たまにはいいか」と家を出る。


 冬でも日差しは暖かく、小鳥のさえずりも心地よく。道行く急ぎ足のサラリーマンに「いってらっしゃい」と心のなかでご挨拶。時間の余裕は精神的余裕にも繋がり、学校へ向かう足取りも軽い。「早起きは三文の徳」とはよく言ったものだ。


 まだ生活指導の教師も立っていない正門をくぐり、人気ひとけのない静かな校舎へ。下駄箱で靴をき替え、向かう先は一年生の教室棟。

 今日はなんだかいいことがありそうだ、なんて考えながら、俺は教室へ続く廊下を曲がった――


「あっ」

「あ?」


 敵遭遇エンカウント

 なんと あくまギャル が あらわれた!


 たたかう

 そうび

 アイテム

 ▶にげる


 ゆうま は とうそう を こころみた!


「おい、待てコラ」


 しかし あくまギャル から は にげられなかった!


「人の顔見た瞬間に逃げ出そうとするな。あと誰が悪魔ギャルだよ」


 ■あくまギャル

 レベル-七五

 こうげきりょく-八〇〇

 ぼうぎょりょく-七五〇

 まりょく-七五〇

 かお の こわさ-九九九


「無駄にレベル高いな。というかさっきからなんなのよ、そのゲームみたいな設定口調は。ムカつくんだけど」


 ●せつめい

 いつも おれ を くるしめる あくま の ような ギャル。こんな ヤツ が いる せい で せかい から イジメ が なくならない ん だろう な。やれやれ。


「黙れ」

「ぐえっ!?」


 ゆうま は ちからつきた。


 G A M E O V E R


「そのまま人生からもログアウトしたら?」

「ほぼ直球に『死ね』って言うな」


 冗談はこれくらいにして、廊下で遭遇したのは一応俺の幼馴染みにあたるギャル・金山かねやまやよいだった。肩掛けの学生鞄を縦に背負い、微糖の缶コーヒーからのぼる湯気が妙に似合う彼女は、気怠けだるげなため息を落としてからこちらに半眼を向けてくる。


「せっかく悪くない朝だと思ってたとこなのに、アンタと会ったせいで台無しなんだけど」

「おい、それ俺のセリフだぞ。取るなよ」

「珍しく目覚まし時計よりも先に目が覚めたから、『たまにはいいか』と思って早めに登校したのに」

「いや、だからそれ俺のセリフだって」

「気分が良かったから、たまたま通りかかった急ぎ足のおじさんに心のなかで『いってらっしゃい』とか言っちゃったくらいなのに」

「俺もたぶん同じ人に同じこと言ったわ」


 どうやら金山も俺と似たり寄ったりなことを考えて早起き通学してきたらしかった。流石は幼馴染みというべきか。すぐ近所に住んでいるのに通学途中に見かけなかったことから、おそらく彼女のほうが数分先に家を出たのだろうと推測できる。


「つーかお前、桃華ももかと一緒に登校してるんじゃなかったか?」

「別に。時間が合うときはそうしてるけど、毎朝ってわけじゃないし。あの子は朝弱いし、私も朝練とかあるから」

「あー……」


 そういえば金山コイツ、どっかのイケメン野郎と同じで演劇部員だったっけ。以前一度だけ演劇を観に行ったときは、役者ではなく裏方をつとめていた気がするが。


「まあ、そうだね。一年だからっていうのももちろんあるけど、私は舞台に立つより裏方のほうが向いてると思うから」

「ふーん。それって、いわゆる美術とか小道具とかか?」

「んー……どっちかと言えば演出のほう。脚本シナリオ書いたり、登場人物の台詞セリフを考えたり」


「演劇部」と記された台本を取り出してみせた金山に、「ほへー」とアホみたいな声を返す俺。演出家って、要するに演劇におけるリーダー的ポジションじゃないか。この女、そんな重要な役割を担ってたのか。


「いや、演出のメインをやってるのは二年の先輩たちだよ。私はまだ勉強中」

「勉強って?」

「いろいろ。昔の演劇部が使ってた台本読み返したり、有名な脚本家が書いた指南書を読んだり……あと、ネットに上がってる動画をるのも結構勉強になるかな」

「動画……他の高校の演劇映像とかか?」

「それでもいいけど、普通の投稿サイトに上がってるようなインフルエンサーの動画も観る。よくあるでしょ、商品紹介とかゲーム実況とか、そういうの」

「? そんなのが演劇の勉強になるのか?」


 疑問符を浮かべる俺に対し、金山が「まあね」と頷く。


「ああいう動画配信者ストリーマーって基本的にキャラを演じてるから、意外と参考になるんだよね。たまに素のままやってる人もいるけど、そういう人は演じるまでもなく元からキャラが立ってるってことだし」

「なるほど……?」


 要は登場人物の参考資料か。それに考えてみれば、視聴者数を確保するための目立つ演出とか、再生回数を稼ぐための縮小画像サムネイル作りとか……人の目をきつけるために試行錯誤するという点において、演劇と動画制作には似通った部分があるのかもしれない。


「ちなみに最近私がよく観てるのはこの『ウタちゃんねる』。化粧品コスメの紹介とかネイルアートとか、とにかくセンスが良くて可愛い」

「(コイツ、勉強とか言いつつ普通に動画観るの楽しんでるだけじゃねえか……?)」


 頼んでもいないのに「おすすめの動画があるから観ろ」と強制的布教を始めるギャル幼馴染み。男の俺に『【超話題!】ウワサのコスパ最強コスメを調査してみたよ!』なんて表題タイトルの動画を見せられても……。


「こういうのは桃華に見せてやれよ。アイツのほうが好きそうだろ」

「見せたこともあるよ。でもあの子、こういうお洒落系はさっぱりでしょ。高校生になっても、ロクに化粧メイクも出来ないくらいだし」

「あー、そりゃまあ、桃華は化粧とかしなくても――」


 そこまで言いかけ、俺はハッとして口をつぐんだ。あ、危ねえ、ついサラッと「化粧なんかしなくたって桃華は可愛い」みたいなことを口走るところだった。

「も、桃華は化粧とかしなくても気にしないタイプだもんなー」とやや苦しい言い直しで場を流そうとする俺のことを、悪魔ギャルは無言で見上げてくる。


「……ねえ。前から聞こうと思ってたことなんだけどさ」

「な、なんだよ?」


 布教動画を再生していた携帯スマホを仕舞い、金山は改まった様子で俺に問う。


「アンタさ……子どもの頃、桃華のこと好きだったでしょ」


 誰もいない朝の廊下に、逃げ出すことを許さない悪魔の問いかけが静かに響いた。

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