第九二編 球技大会

 人間は大きく二つに分類することが出来る。「アウトドア派」と「インドア派」。雑に換言すれば、身体を動かすことが好きなヤツかそうでないヤツか。

 言うまでもないと思うが、俺は後者側の人間だ。特別に運動音痴というわけではないものの、汗をかくのは好きじゃないし、体育の授業でも「ダルい」という気持ちが強い。冬の持久走など、俺に言わせれば「いかに教員をだまくらかして上手くサボれるか」を深慮する能力がつちかわれる場でしかない。


 そんなインドア派の俺にとって、体育祭やらマラソン大会やらは当然ながらむべき存在なのだが……この初春はつはる学園ではこの時期、それらのイベントに匹敵しる親アウトドア派行事が開催される。その名も――


『球技大会』


 文字列を見ただけで思わず「うへえ」と言いたくなる。というか、実際に口をいて出た。

 球技大会。言わずもがな、各種球技による学級対抗戦クラスマッチだ。

 競技種目は毎年、各学年毎にクラスの体育委員たちが集まって決定するらしい。野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール――メジャーな種目はこれらだろうが、話し合いの結果によってはテニスや卓球になることもあるんだとか。

 しかしまあ、どの球技が選ばれたところで大差はない。なぜって、基礎体力だけ見ても不安のある俺が、道具を使ったスポーツなど上手くこなせるはずがないからだ。要するに、どんな種目になったとしても俺がクラスの足手まといになる運命は変わらないということである。


 そして厳正なる審議の結果、今年の一年男子の競技種目は「ドッジボール」に決まったようだ。生きた人間を目掛けて思いっきり物体ボールをぶつけては歓声かんせいを上げる、およそ教育的な場で行うべきではないイカれたスポーツである。

 運動部アウトドア派の連中、特にスポーツ推薦者が集まる七組の生徒たちが意気揚々と腕を鳴らすなか、「痛いのは嫌だなあ」「さっさとアウトになって外野に逃げよう」と始まる前からやる気マイナスの俺。ちなみに女子は体育館でバドミントンをしているらしい。無様にやられる姿を桃華ももかに見られず済むのは不幸中の幸いか。


 爽やかに晴れ渡った冬空の真下、グラウンドの一角に設けられたコートの隅に立つ俺がそんな益体もないことを考えていた時、試合開始を告げる笛のが響き渡った。



 ――二時間後。



「はあ……はあ……ふふっ、流石だね、小野おのくん……! もう五組のコートには君一人しかいないのに、ここまで粘るだなんて……!」

「いいぞォー、小野ォーッ! 頑張れェーッ!」

「俺たちのアウトを無駄にしないでくれェーッ!」

「(……どうしてこうなった)」


 初春学園球技大会一年生の部、決勝戦。

 相手コートに立つ一組所属のイケメン野郎が好敵手ライバルへ向けるような凛々しい笑顔を浮かべ、五組所属の生徒クラスメイトたちから声援を飛ばされながら、俺は死んだ魚のような目をしてその場に立ち尽くしていた。

 いや、本当にどうしてこうなった? クラスメイトが奮闘した甲斐あって勝ち進んだところまではいい、決勝の相手が〝特待組〟こと一組であったことも別にいい。だが、優勝がかったこの場面で五組のコートに残っているのは俺ただ一人――この状況はまったくよくなかった。


「(く、クソッ!? もっと早々とアウトになるつもりだったのに!?)」


 思いのほか硬めのボールと、思った以上に鋭い球速にひるみ、「当たったらめっちゃ痛そうだなあ」とアウトになるのを先延ばしにし続けた結果、なんやかんやで最後の一人になってしまった。大会を通して一度たりともボールにれていないのに。

 こんなところでも臆病なところが出てしまった俺に、スポーツも万能でお馴染みのイケメン野郎は汗をぬぐって言う。


「聞いたよ、小野くん。今日一日、まだ一度もアウトになっていないそうだね。君がそんなにドッジボールが得意だったなんて、知らなかったよ」

「(なんか誤解されてるし!?)」


 たしかに一度もアウトになっていないが、自分から攻撃して相手をアウトにした数も同じくゼロなのだ。攻撃力がない俺より、他のクラスメイトのほうが優先的に狙われやすかったというだけのこと。それをあたかも俺の実力であるかのように表現するな。

 ちなみに久世くせ率いる一組は一つ前の準決勝で優勝候補の七組とマッチングし、三〇分に渡る激闘の末、久世が最後の一対一を制して勝利を収めている。どう考えてもあっちのほうが決勝戦に相応しい、アツい戦いだった。見ればコートを囲む生徒たちのなかに、一際大きな声で久世を応援する連中がいる。おそらくは七組の連中なのだろう。昨日の強敵てきは今日の盟友とも、というヤツか。

 実力でこの場に上がってきた久世と、たまたまこの場に残ってしまっただけの俺。いつも通り、比較するだけでむなしくなるほどの落差を味わっていると。


「おい、真太郎しんたろう……悪いが、お遊びはここまでにさせてもらうぜ」

田中たなかくん!」


 無駄に悪役っぽいセリフとともに、一人の男子生徒が久世の左隣に並び立った。坊主頭がよく似合う、背の高い男子だ。

 久世からタナカと呼ばれた彼は、対面する俺をジロリとめつけ、低い声で言った。


「小野っつったな……俺はずっとこの時を待ってたぜ。お前をこうして、正々堂々とぶっ倒せる機会をなァッ!」

「!?」


 突然剥き出しにされた敵意に、思わず身を固くする。ど、どういうことだ? 俺は彼のことなどまるで知らない。もちろん、恨みを買うような真似をした覚えだって……。


「忘れたとは言わせねえぞ、小野……テメェなんだろ、野球部ウチ元主将キャプテン七海ななみさんに告白した時、邪魔した一年ってのはッ!?」

「……あっ」


 ……思い出した。七海と出会ってもない頃、彼女に告白してあっさり振られた三年の男子生徒のことを。野球部の元主将を名乗って七海にデートを強要しようとした彼に対し、俺は情け容赦ない罵倒バッドワードを浴びせかけ、ついには大泣きさせてしまったのだった。


「い、いや、たしかに泣かせちまったけど……でもあれには深い事情があったというか」

「うるせェッ!? お前のせいであの人、引退してからずっと伸ばしてた髪をまたっちまったんだぞッ!? 『俺は生涯坊主頭で生きていくと決めた』『こうなったからには僧侶を目指すしかない』って、真剣に仏教を学び始めてんだぞッ!?」

「(なんでだよ)」


 野球部を自慢にしておきながらチャラついた髪型に言及した記憶はあるが、坊主に戻せとまでは言ってねえよ。あと坊主頭にしたからってお坊さんにならなきゃならない決まりなんかねえよ。

 激昂するタナカ、タナカを落ち着かせようとする久世、心のなかでツッコミを入れる俺。すると今度は久世の右隣から、タナカよりもやや小柄な男子生徒がヌッと顔を出した。


しんちゃん、俺も小野コイツには言ってやりたいことがあるんだ」

松本まつもとくん!」


 久世のことを「真ちゃん」と呼んだ彼はマツモトというらしい。タナカが野球部らしい筋肉男マッチョマンだったのに対し、こちらは引き締まりつつも身軽そうな身体つきをしている。例によって俺はまったく知らない人だが、印象イメージ的にサッカー部、もしくはバスケ部とかだろうか。


「小野悠真ゆうま! お前はいっつも七海さんにまとわりついておきながら、こないだは一組ウチの学級委員にまで手を出したらしいな、この女タラシ野郎ッ!」

「!?」


 ビシィッ! と指差しながらそう言われ、今度は困惑する俺。タナカの話はまだ身に覚えがあったが、こちらは本当に意味が分からない。一組の学級委員って誰だ。女タラシってなんのことだ。 あと俺は別に好き好んであのお嬢様につかえてるわけじゃねえよ。

 そんな考えが表情に出ていたのか、マツモトは「しらばっくれんじゃねえよ!」とやはり敵意を剥き出しながら叫んだ。


「俺はアリサちゃん本人から聞いたんだッ! 『今度おのゆ~にパンツを見せる約束がある』ってッ!?」

「(学級委員って錦野おまえかよッ!)」


 なにを言いらしてくれてんだ、あの姫ギャルは。してないだろ、そんな約束。そしてどうやら初耳だったらしい久世が「ほ、本当かい、小野くん!?」とでも言いたげな顔で勢いよくこちらを振り向く。本当だけど本当じゃねえよ、もうちょっと俺のこと信じてくれよ。


「七海さんといいアリサちゃんといい、五組のくせに一組の女の子からチヤホヤされやがって……! 許せねえッ!」

「(いつ俺がチヤホヤされたんだよ)」


 片や平然と俺の言葉を無視し、口を開けば毒を吐いてくるお嬢様。片やふわふわふにゃふにゃ掴みどころがなく、パンツを対価にヒトかねむさぼるギャルだぞ。


「俺なんて、モテたい一心で中学からサッカーも勉強も頑張ってきたのに……!」

「(あ、やっぱりサッカー部なんだ)」

「それなのに、こないだアリサちゃんに『まっちゃん、いつもちょっと汗臭いね~』って苦笑いで言われた……!」

「(鬼か、錦野アイツは)」

「許せねえッ……! 全部お前のせいだ、小野悠真ッ!」

「(いやそうはならんやろ)」


 どっちもおかしい。タナカの先輩を振ったのは七海だし、マツモトに「汗臭い」と言ったのは錦野じゃないか。なのになんでコイツらは俺に憎悪ヘイトを向けてくるんだ。


「(……もういいや、とにかくさっさとボールに当たってアウトになろう)」


 どのみち一組あっちは残り三人、五組こっちは俺一人。勝ち目なんてあるわけがないしな。憎悪が乗ったボールを受けてやれば、少しは彼らのさ晴らしにもなるだろう。

 面倒くさくなってきた俺は、諦めて全身から力を抜いた――


「あっ、見てやよいちゃん! まだ男子、ドッジボールやってるよ!」

「!?!?」


 ――ちょうどそのタイミングで体育館から出てきた女子群、そこから聞こえてきた聞き馴染みのある声。

 体操服姿の桃華ももかの存在に気付いた瞬間、マイナスだった俺のやる気にボッ、と火がいた。

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