第六三編 愚者の行進

 大急ぎで橋を渡り、交通量の多い通りかられて土手沿いの薄暗い道を走る。雑草に侵食されつつある長い石階段を駆けりて川辺かわべりまで出れば、途端に街中とは思えない静けさが全身を包み込んだ。

 通りを往来する車やバイクの音が、やけに遠く感じられる。


「くそッ……どこだッ……!?」


 ほとんど整備されていない土手の草木をき分け、俺は懸命に目をらす。探すものは言うまでもなく、青色の包装紙とリボンで飾られた小箱――桃華のクリスマスプレゼントだ。

 先ほどまで俺がいたのは橋のほぼ中央。その欄干らんかんから強風に吹かれて落下したということは、つまり――


「(川の中に落ちちまったのか……!?)」


 ドボンッ、と暗黒の水面にプレゼントが飲み込まれる不吉な想像が脳内再生され、真冬だというのに嫌な汗がにじむ。

 川幅は一〇~一五メートルほどあるだろうか。携帯の懐中電灯ライト機能で照らしてみたところ深さはなく、流れも速くない。それでももし本当に水没してしまっていたら、まず間違いなく発見出来ないだろう。


「頼むッ、どこか、どこかにあってくれッ……!」


 神にも聖夜の主キリストにもすがる気持ちで、橋梁きょうりょうの下を片っ端から捜索する。川の中央にある小さな中洲なかす、土手から生えている数本の木の上、果ては自分の足元に至るまで、可能性の高い低いに関わらず、思い付く場所はすべて照らして探し回った。

 それでも――見つからない。


「くそッ……くそッ……!」


 一〇分以上、そうしていただろうか。自分の冷静な部分が「見つかるはずがない」と無慈悲な現実を突きつけてくるなか、それでも諦めるわけにはいかない俺がなおも捜索を続けようとしていると。


「!」


 不意にフッと、懐中電灯ライトの光が消えた。


「(充電が……)」


 携帯画面に表示される、充電バッテリー残量一〇パーセント以下の知らせ。充電切れが近付いたことで、自動的に機能制限モードへ移行したらしい。

 自分よりも先に、携帯のほうがを上げてしまったわけだ。いや、それとも機械のほうが自分よりも諦めがいい、と言うべきなのだろうか。


「(まだ……あと一〇パーセントある)」


「もう諦めろ」と告げるようにあかりを落とした携帯電話を操作し、もう一度懐中電灯ライトを起動しにかかる。

 諦めてたまるか。俺のせいで、桃華のクリスマスがぶち壊しになってたまるか。


『貴方の彼女に対する恋愛感情の変質を言葉にするなら、「失恋」よりも「諦恋ていれん」が正しい』


 いつか、どこかのお嬢様に言われた言葉を思い出す。


「(のは――もう嫌なんだ)」


 強制的に再起動した電光ライトが視界を白く染めるなか、俺は奥歯をぐっと食いしばる。

 意固地いこじになっているだけと言われてしまえばそれまでかもしれない。だが、それでも諦めるわけにはいかない。桃華の記憶に残る大切な一夜を、クリスマスデートを、台無しにするわけには――


 その時、ピコン、と。

 携帯の画面に一件のメッセージ通知が届いた。


『桐山桃華:悠真ゆうま、今どこかな? そろそろレストランにきそう?』


「…………!」


 瞳が揺れる。

 そうか、彼女は……いや、彼等は、まだ待ってくれているのか。そこへ行くつもりのない俺を。来るはずのない俺を。

 まだあの子は、今日がクリスマスデートだと思っていないのか。

 この寒空の下、脇役に過ぎない俺を待ってくれているのか。


「(桃華……)」


 携帯電話を握る手に力を込め、俺は顔を上げた。一直線に走る光の軌道を目で追う。絶対に桃華のプレゼントを探し出す。心優しいあの子が、待っているのだから。

 残された時間は少ない。焦燥に支配されている暇も、神に祈っている暇もない。ただ探せ。力を尽くせ。

 そんな気持ちが、天に届いたわけではあるまいが。


「ッ! あれは……!」


 ――見つけた。

 中洲から突き出した低木、その枝のあいだに引っ掛かっている青色のプレゼントボックス。

 見間違えるはずもない、桃華のクリスマスプレゼントを。


「(でもあんなとこ、どうすれば……)」


 土手ここから中洲まで、川をへだてて五メートル以上はある。手を伸ばしたって届くはずがない。となれば、なにか道具を持ってこなければ……!


「ッ!」


 強い北風が吹きつける。木々がざわめき、プレゼントを抱える両枝も激しく揺れる。いつ水面みなもへ落ちたっておかしくない状況だ。


「……迷ってる場合じゃねえ」


 充電の少ない携帯電話をひらき、メッセージアプリを立ち上げる。そして履歴りれきの最上段にある名前をタップし、素早く内容を打ち込んで送信。

 直後、役目を終えたかのように携帯の電源が切れた。


「――冷たいだろうな」


 一人呟き、あかりのなくなった川のほとりに立った俺は安物のコートを脱ぎ捨てる。身体を撫でる冬の風が今まで以上に冷たく感じる。あるいはそれは、俺に対する最終通告だったのかもしれない。

 そしてそれでも、愚者おれが踏みとどまることはなかった。


 水を蹴る音がした。

 大雨の日、長靴の中に水が入り込んだ時の不快感を思い出した。

 全身がなまりのように重くなった。

 全身が、凍ったように冷たくなった。

 一歩が遅い。

 一歩が遠い。

 一〇メートルに満たない距離が、絶望的なまでに。

 それでも愚者おれは、進まずにはいられなかった。


 諦めるのは、もう嫌だった。

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