第四二編 どういう関係?

「さ、さあっ、やよいちゃんっ! 勉強勉強っ!」と照れを誤魔化すかのような桃華ももかの声を皮切りに、六番テーブルで勉強会が始まった。久世くせがその様子を見守っているあいだに、俺は注文票オーダーを厨房まで持っていく。


「(さて……どうする?)」


 店内に他の客の姿はない。つまるところ、これは好機チャンスだ。仕事バイト以外でほぼ接点のない桃華と久世の関係性が、この勉強会を利用することで一歩前進するかもしれない。おそらくあのギャルも、似たようなことを狙って〝甘色あまいろ〟に来たのだろう。

 そんな思考を巡らせる俺が、厨房を出てフロアへ戻った時だった。


「い、いらっしゃい、未来みく!」

「!」


 イケメン野郎の声に顔を上げてみれば、どこか慌てた様子の久世がサングラスマスクで顔を隠す怪しい女の接客対応をしているところだった。言うまでもない、当店常連の「七番さん」こと七海ななみ未来みくだ。

 視線に気付かれたのか、無愛想なお嬢様が不意にこちらを見た。相変わらず感情が読み取れないその瞳に、俺は仕方なく彼女のほうへ向かう。


「はあ……いらっしゃいませ。〝甘色あまいろ〟へようこそ、お嬢様」

「……歓迎の笑顔をつくろっているつもりかもしれないけれど、溜め息が丸聞こえよ。それと、気味の悪い呼び方をしないで頂戴」


 我ながらキラキラした笑みと精一杯の接待精神ホスピタリティを示してやったというのに、さっさと視線を切って七番テーブルに着席なさるお嬢様。流石、下手したてに出られることにも慣れておられるご様子だ。腹立つ。

 隣のテーブルに座る幼馴染みズ、ならびに「ま、また小野おのくんと……!」と訳の分からないことを呟いているイケメン野郎を背後に、俺はメニュー表を七海に手渡す。


「ほらよ、好きなもん注文していいぜ。今日はお前の自腹だ」

「当たり前のことを無駄に偉そうな口調で言わないで。『パンケーキ 三種のベリーソース添え』と『フォンダンショコラ』、「イチゴのショートケーキ」に『安納芋あんのういものスイートポテト』、『和栗クリームのロールケーキ』、『豆乳抹茶ラテ』、それから――」

「いや多いな。ちょっと待ってくれよ、注文票メモが追い付かねえだろ」

「…………」

「『処理能力の低い無能め』とでも言いたげな目でこっち見んな」

「言われた通り待ってあげているだけでしょう、被害妄想はやめなさい。そんな罵倒こと、思いはすれど表情には出さないわ」

「思いはするんじゃねえか。いつものブラックコーヒーは……要らねえよな」

「何を言っているの? 要るに決まっているでしょう」

「え? でも豆乳抹茶ラテ頼んでるじゃん」

「それはあくまでも〝甘いデザート〟でしょう。コーヒーは〝飲み物〟よ」

「ラテもコーヒーも飲み物ですけど」


 大体七海コイツはブラックコーヒーも砂糖がからっぽになるまで投入しまくる甘党女だ。俺に言わせれば、彼女が口にするコーヒーだって〝甘いデザート〟に数えられるべきだと思うのだが。

「絶対いつか糖尿になるぞ」と確信しつつ注文票を確認していると、今度は後方うしろから「ねえ」と声が掛かった。シャープペンを器用にクルクル回しながら見上げてくる金山だ。


「なんだよ? 言っとくけど俺はこう見えても勉強あんまり得意じゃねえから、お前が今まさに解こうとしてる英語の長文問題の答えなんて教えてやれねえぞ」

「アンタ、自分が周囲まわりから『賢い人』って認識されてると思ってんの? 痛ましいな……」

「本気で哀れみの視線を飛ばしてくるんじゃねえよ」


 心底こちらを馬鹿にしてくるギャル幼馴染みに青筋あおすじを立てる俺。そんなことはお構い無しに、彼女は「そうじゃなくてさ」と話を続ける。


小野アンタと七海さんって、ぶっちゃけどういう関係なわけ?」

「!」


「七番さん」が初春はつはる学園高等学校一年一組の七海未来だとしっかり見抜いていたらしいギャルは、おそらく面識のないお嬢様に若干気遣う素振りを見せつつもド直球に聞いてきた。ついでに桃華が参考書から顔を上げ、そのすぐ側に立っていた久世もピクッと耳を揺らす。

 対して、俺は当然返答にきゅうした。


「ど、『どう』って……どういう意味だよ?」

「ちょっと前から結構なウワサになってたでしょ、アンタら。『七海さんとつるんでる生徒がいる』とか、『あの七海さんにとうとう彼氏が出来た』とか、『七海グループのお嬢様をストーキングしてる男子ヤツがいる』とか、『七海未来には野球部キャプテンを泣かせるほどヤバい側近がいる』とか」

「(待って、そんな噂まで流れてんの?)」


 最初の二つについては俺自身も耳にしたことがある――特に「彼氏」云々についてはクラスメイトから糾弾きゅうだんされたので必死に否定した――が、「ストーキング」だの「ヤバい側近」だのは初耳だった。本人の知らない間にとんでもない尾鰭おひれがついてるじゃねえか。

 冷や汗をかく俺に、今度は桃華が「あっ、それ私も聞いたことあるー!」と言った。


「この前も二人でこの店でお茶してたよね? やっぱり悠真ゆうまと七海さん、付き合ってるの?」

「(カハッ!?)」


 年頃少女特有の恋話コイバナ好きを炸裂させてたずねてくる想い人に、俺は心の内で喀血かっけつする。一番誤解してほしくない子に誤解され、999ポイントのダメージ。小野悠真はちからつきた。

 残機を一つ減らされた俺は、どうにか心を立て直して「い、いや……」と首を横に振る。


「そんなわけねえだろ。七海グループのお嬢様が、俺みたいなド庶民と付き合うと思ってんのかよ」

「いや、まったく? だから『彼氏』がどうこうってウワサを初めて聞いたときは『んなわけないでしょ』って鼻で笑った」

「(理解されるのもそれはそれでムカつくな)」


顔を引きつらせる俺に、金山が続ける。


小野アンタごときが七海さんと付き合えるわけないもんね。だから私的には『ストーキング』のセンが一番濃厚だと思ってた」

「なんでだよ。なんで『知り合い』とか『客と店員』をすっ飛ばしてストーカー扱いになるんだよ。仮にも幼馴染みなのに、最低限の信用もされてねえのかよ」

「だから悩んでたんだよね。私は幼馴染みとして小野アンタ行為ストーキングについて、生徒会に言えばいいのか、生徒指導室に暴露すればいいのか、それとも警察に届け出ればいいのか」

「『見限る』一択なのやめろや。悪魔かお前は」


 仮に俺が七海のストーカーをしていたとしても、叱るとかさとすとか、そういう〝更正〟を目指す選択肢があったっていいだろうに。この女、最初ハナから俺のことを切り捨てるつもり満々だったらしい。どんだけ冷酷なんだよ。

 そんな悪魔ギャルは「でも」と流れを転調させた。


「一組で話してるのを見掛けたときも、それから今も、アンタらってそんな風には見えないんだよね。親しげってほどじゃないし、もちろん彼氏彼女って感じでもなさそうだけど。だから気になったんだよ、


 見れば、桃華や久世もじっとこちらを見つめている。興味の程度に違いはあれど、彼らも金山と同じ疑問を抱いているのだろう。いや、おそらくは初春学園に所属する生徒の大半が。

 ちょっと前にイケメン野郎が聞いてきた時は適当にはぐらかせたが、流石に今回はそうもいくまい。だからといって、馬鹿正直に「久世と桃華をくっつけるために協力してもらってます!」なんて言えるはずもない。

 数秒ほど逡巡しゅんじゅんした果てに、俺は最も無難と思われる返答を口にした。


「――別に、『どう』ってほどの関係じゃねえよ。だ」


「『友だち』と呼ぶにはあまりにもお互いのことを知らないけど」という注釈をつけるのは心の中だけに留めておく。そんな俺の答えをどう思ったかは知らないが、金山は「……ふーん」とだけ相槌あいづちを打った。


「――小野くん、いつまで待たせるつもりなのかしら。話が済んだなら、早く注文したものを持ってきなさい」


 そう言いつけてくるのは、もちろん七番テーブルのお嬢様。一応今のは俺と彼女の関係性を問う話だったというのに、やはりと言うべきか、七海はまるで興味なさげに文庫本をひらいている。俺は「あー、ヘイヘイ」と雑な返事をし、再び厨房へ向かった。


「――友だち、か」


 それは誰の呟きだっただろうか。

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