第二一編 無意味な恋

下階したからついてくる人がいるのは気付いていたけれど、また貴方だったのね。たしか……鈴木すずきくん?」

「誰がスズキくんだ。いい加減名前くらい覚えろよ」

本田ほんだくん、だったかしら?」

「違う」

川崎かわさきくん」

「違う」

山葉やまはくん」

「違う。なんで二輪メーカー名みたいなのばっかりなんだよ」


 そんな小野おのくんのツッコミを聞いているのかいないのか、七海ななみは俺になど目もくれず、いつのにかひらいていた雑誌のページをめくる。コイツ、普通の本だけじゃなくてこういうのも読むんだな。いわゆる乱読家らんどくかというやつか。なんとなく雑誌の表紙に目を向けてみると、『新時代をになう新型バイク一〇〇選!』の文字。さっきの俺の苗字、絶対そこから適当に引用しただろ。


「いきなり紙飛行機は飛ばすわ、人の名前は覚えないわ、つくづく失礼なヤツだな……ってああっ!? やっぱりこの紙、七海おまえ宛のラブレターじゃねえか!? 粗末に扱うんじゃねえって言っただろ!」

「言っていたわね。私が貴方の言葉に従う義理はないけれど」

「こ、この野郎……!」


甘色あまいろ〟で頭まで下げたというのに、どうやら俺の言葉はこのお嬢様の心にまったく響いていなかったらしい。いかりで拳を握り固める俺に対し、少女は雑誌を見ながら「そもそも」と静かに言う。


「前にも言ったけれど、これは貴方とはまったく関係のない話でしょう。どうしてそこまでムキになるのよ」

「だから! 俺は勇気を出して告白しようとした連中に少しでも報われてほしくて――!」

「そうじゃないわ。たかが恋愛の話に、貴方がそこまで入れ込む理由はなにかと聞いているのよ」

「た、たかが、って……」


 相変わらず恋愛を軽視した発言だが、俺が噛みつくよりも早く七海は続けた。


「単純な『親切心』や『正義感』で片付けるには、貴方の行動は少しばかり過剰に映る。道徳モラル行儀マナーうるさい人間も世の中にはいるでしょうけれど、少なくとも貴方はそのたぐいの人間ではない。この場所にいる私をとがめる素振そぶりも見せないのがその証拠ね」


 立ち入り禁止の屋上で、美しい少女が顔を上げる。


「人間、興味や関心のない物事には熱がはいらないものよ。裏返せば、貴方は恋愛に対して強い関心があるからこそ、そこまで入れ込んでいるのだとも受け取れるわ」

「…………。……ああ、そうだよ」


 見透みすかしてくるお嬢様に対し、俺は肯定の言葉を口にした。


「俺には、ガキの頃から好きだった幼馴染みがいたんだ。でも俺はその子に想いを伝える勇気がなくて、告白を先延ばしにし続けて……気が付いたら、その子は他の男に惚れてた。俺は――自分の気持ちを形にすることも出来ないまま失恋したんだ」

「…………」

「もちろん、告白さえしていればあの子と付き合えてただなんて思ってるわけじゃないよ。たとえちゃんと告白してたって、俺が失恋するっていう結果は変わらなかったと思う。でも、こんなのまま終わっちまうこともなかったと思うんだ」


 桃華ももかに告白し、その結果玉砕したとしても。それでも、なにもさないまま失恋した今の俺よりはずっとマシだ。

 桃華への想いに諦めがついたかもしれないし、失恋をバネに次の恋を見つけていたかもしれない。ましてや「好きな女の子と他の男をくっつける」なんて馬鹿な真似、思い付きもしなかっただろう。

 しかし、これはマトモな失恋をしていれば、の話だ。勇気を出して告白したって、相手に気持ちが伝わらなければ意味がない。ラブレターを読まずに捨てられては、意味がないんだ。


「俺は、勇気を出して想いを伝えようとした連中には――お前にラブレターを読んでほしい理由なんて、言っちまえばそれだけなんだよ」

「…………」


 言いたいことを言い終えた俺に、七海はなにも言わない。「興味や関心のない物事には熱が入らない」と彼女は言った。俺の切なる願いも、彼女にとってはどうでもいいことなのかもしれな――


小野おの悠真ゆうまくん、だったわね」

「!」


「サトウくん」でも「スズキくん」でもなく、お嬢様が正しく俺の名を呼ぶ。


「繰り返しになるけれど、私が貴方の言葉に従う義理はない。私は私自身の意思にもとづいて行動する。私が下駄箱の紙屑かみくずをごみ箱に捨てようが、紙飛行機にして貴方目掛めがけて飛ばそうが、とやかく言われる筋合すじあいなんてないわ」

「いや、前者はともかく後者はとやかく言わせろや――って、あれ?」


 そういえば七海コイツ、この前はラブレターを読まずに捨ててたのに、なんで今日は屋上こんなところまで持ち込んで……?


「そんなことより貴方、どうしてここに来たの? 私になにか用かしら」

「えっ? あ、ああ、そうだった」


 七海に問われ、思考を中断させられた俺はようやく本題に入る。「〝甘色あまいろ〟で新しいアルバイトを探しているんだけど、お前どう?」という旨の説明をすると、彼女は首を横に振った。


「それは無理ね。私は家の方針で、アルバイトを禁止されているから」

「えっ、そうなの?」


 でもそうか、考えてみればこの女は世界屈指ワールドクラスのお嬢様。そんなヤツがド庶民向けの喫茶店なんかで働くはずなんてないよな。いや、そんなド庶民向けの喫茶店常連なんだけどさ、コイツは。


「そもそも、どうして私に白羽しらはの矢が立つのよ。常連客だからという理由なら、短絡的だとしか言えないけれど」

「俺に言われましても」


 七海コイツを推薦したのはあのイケメン野郎であって俺ではないのだ。というか久世アイツ、幼馴染みのくせに七海がバイト出来ないってことくらい知らなかったのかよ。それさえ知っていれば無駄足を運ぶ必要もなかったというのに、まったく肝心なところで使えないヤツだ。


「候補がいないなら、貴方の好きな人でも誘えばいいじゃない。一緒に仕事をしていれば自然と距離も縮まるでしょう」

「お前、ホントに無神経だな。そんなこと出来るわけ――」


 言いかけて、俺はハッとする。

 俺の好きな人を――桃華を、〝甘色あまいろ〟のバイトに誘う……?


「そ……それだ……!」

「?」


 着想を得て声を震わせる俺に、お嬢様が不思議そうな視線を向けた。

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