第9話 残る疑問
翌日、士官全員が作戦室に集められた。早く来て席に座れた者は幸運で、溢れた者はその辺で立っていることになる。
昨日の事だろうと誰もが思っていたし、思わない訳もなかった。敵機がコンメト空軍章を描いていたことも伝わっていて、コンメトとの全面戦争を予感する声が聞こえる。
そんな中でも、エルナ以外のブラッドムーン隊員は平然としていた。
ユウジは壁に背を預けながらキャラメルマキアートをちびちびと飲んでいるし、アレッサンドロとイリヤなんて映画館に来たかのような雰囲気を醸し出している。
ポップコーンでも隠し持っているのではないかと、思わず疑ってしまった。
「なあ特務大尉、なんかニヤケてねえか?」
「そ、そうですか?」
イリヤがエルナの顔を覗き込み、思わずコーヒーを落としそうになってしまう。
作戦室に士官がすし詰めにされているせいもあって、イリヤの顔が近過ぎたのだ。
キスはお預けだぜ、という軽口と共にアレッサンドロがイリヤを引き離す。助かった。
心を落ち着けるためにカフェラテを口にして一息吐くと、漸くおかしな動きをしていた心臓が戻ってくれたような気がする。
「ユウジに褒められたか?」
「……ブラッドムーン隊へようこそ、って言われました」
呟くように言うと、アレッサンドロは笑いながらユウジの頭を叩き、丁度キャラメルマキアートを啜っていたユウジはむせてしまい、仕返しにアレッサンドロへ拳骨を落とした。
飲んでいる最中に叩かれれば、誰だって怒って当然だろう。
そこへ漸くイリンスキー中将がやってきた。後ろには参謀や幕僚を引き連れていることもあり、今回の話がどれだけ重要なのかを誰もが肌で感じ取る。
「さて、何があったのかは聞いているだろうが改めて説明する。昨日、ヴァローナ隊が全滅、増援に出たブラッドムーン隊がコンメト空軍機と交戦、これを撃墜している」
作戦室は静寂へ包まれた。ざわつくことはない。ここにいるのは全員士官であり、それが何を意味するのか、自ら判断するだけの頭脳と情報を持ち合わせている。
「分析官によれば、コンメトの主力部隊は相変わらずリオール方面へ張り付いている。ならばこちらに差し向けてきたのは予備兵力か間に合わせの二線級部隊。そうだな、サガミ大尉?」
ユウジへと全ての目が向く。もしエルナが視線の中心にいたならば、恐怖で言葉が出なくなることだろう。
それでも、彼のふてぶてしい態度は崩れない。好物らしいキャラメルマキアートを一口すすり、それから漸く口を開く。
ヴェルシーニン少佐が額に青筋を作っているのが見えた。
「ああ、コンメトの一線級部隊とは戦い方からして違った。練度も高くはないが低くもないし、傭兵か懲罰部隊の可能性は否めないが概ねそうだろうよ」
「そうか。だが今は傭兵でも正規軍でも構わん。重要なのは、コンメトが我々を捕捉して、攻撃を仕掛けてきたという事実だ」
要は、北部島嶼同盟とフォークエスト諸国の航路が確立してしまえば、コンメトは力を取り戻した北部島嶼同盟に背後から襲われる危険がある。
そうならないためにも、この北洋艦隊という危険の芽を摘んでおきたいわけだ。
選りすぐりの艦隊ではあるが、戦力の補充の当てはない。チクチクと嫌がらせのような攻撃でも、積み重なれば致命傷になる。コンメトはそれを狙っているかもしれない。
そんな推測の話を総合しているうちに解散の号令が掛かってしまった。
メモ帳にはまだ書き切れていないことが多いのに、他の士官たちは話をしながら作戦室を出て行ってしまう。
「おい、行くぞ。何を馬鹿真面目にメモしてる」
ユウジに声を掛けられたせいで、エルナはメモを書き切れなかった。書けなかった分はまさに今この瞬間も記憶の劣化が始まって、すぐに思い出せなくなってしまうだろう。
「だって、これって重要なことですよね?」
「俺たちは来る敵を始末して、艦隊を守るだけだ。コンメト云々は政治家の仕事だぞ」
彼の言う通り、軍人に課せられた任務はフォークエスト大陸へ辿り着くことであって、邪魔する敵がいるなら実力で排除するだけだ。
戦いたくないならば政治家がテーブルの上で片付けるべきことだし、それが出来なかったからこそ、こうして争いになっている。
今までは間接的に仕掛けてくるだけだったコンメトが直接仕掛けてきたという事実は、政治家だけでなく、軍上層部にとっても由々しき事態なのは確かだ。
それでも、北洋艦隊はそんな脅威を排除して進むだけ。他の地域で戦闘になっていたとしても、今のエルナは知っていてもどうしようもない事しかない。
これからの目標は友好国リオールが領有するマルビナス島で、そこで最初で最後になる補給を行うという事だ。
確かに、知っていたとしてもどうにもならない。ただそこまで、そこから先も艦隊を守ることだけがエルナの任務であることは変わらない。
「これで、暢気に釣りしながらのクルージングはお釈迦だ」
イリヤはそんな冗談を言うが、同じ思いのクルーは一定数いるだろう。
コンメトは間接的に仕掛けてくるだけで、直接喧嘩を売ってはこないと予想していたのだ。
一大作戦とはいえ、水兵にとってはいつもの遠洋航海任務であり、パイロットにはいつもの艦隊護衛でしかないはずだったのだから。
そして今は、コンメトという敵に面と向き合うことになった。
次も威力偵察なのか、それとも直接艦隊へ攻撃してくるのかさえ分からない。その緊張が艦隊を包む。
「で、ユウジはなんでそんな渋い顔してんだよ?」
アレッサンドロは訝しむような表情でユウジへ問いかける。コンメトなんてどうこうと言っていたにも関わらず、どうしてだか複雑そうにしているからだ。
「いや、俺らがやりあった奴らだ。ヴァローナがあんなのに墜とされるか?」
ユウジには戦った敵部隊の練度はそこまで高くないと感じ取れた。
ブラッドムーン隊が強すぎるというならば、そもそもヴァローナ隊がやられるとは思えない。
ヴァローナ隊はコンメトとの戦争にも従軍しており、彼らがコンメト空軍機と互角以上の戦いをしていた事を知っている。
北洋艦隊計画が実行に移されるにあたって、北洋艦隊への推薦リストの上位に食い込むほどの練度だったはずだ。
そんなのが、どうして正規軍にも劣るような傭兵部隊を相手に全滅したのだろうか。
それも、救難信号すら発信することもなく。そんな瞬く間に4機のエースが撃墜された理由を、今も見つけることが出来ずにいた。
「敵の先行部隊が弾切れになったか、被弾して交代したのかもしれませんね」
「あり得なくもない」
エルナの言う可能性も一考の価値がある。ヴァローナ隊ならば冥途の土産に一矢報いる事も出来たかもしれない。
数的に不利で、ヴァローナ隊が磨り潰されたという線もある。それか、囮に釣られて奇襲されたのかもしれない。
ただ、どうしても解決出来ない疑問は「救難信号も出させないほど短時間で、4機のエース部隊を壊滅させる」方法だった。
「まあいい。解散にするからしっかり休め」
休まなければ、空で最高のパフォーマンスを発揮することは出来ない。
戦争で大事なことは最強の一人ではなく、平均した実力の数だ。
その平均が高ければそれだけ良い。実力はあるのだから、それを発揮するために出来る限りのことをする。それだけだ。
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