第42話「協力しないか?」「試してみないか?」

 五十郎の頭に急浮上した「なぜ、この男がここにいる!?」は「いや、この男がいた!」によって、一瞬で塗り替えられた。

 『祇園を監視することにした連中』に雇われた忍者たち! 地獄みたいな夜に垂らされた、一本の蜘蛛くもの糸! 居場所がわからなかったから当たれずにいたが、よもや向こうからやってきてくれるとは!

 中折れ帽の天然者は、金城から報告を受けているにちがいない。おそらくは、祇園と最後に会った金城から! 祇園の行方ゆくえを知っている可能性は十分にある! いや、すでに捕捉ほそくさえしているかもしれない! 誰あろう、この天然者であるならば!


「祇園はどこだ!? 知ってるんだろ!?」


 五十郎の叫び声が路地に響き渡り……通りに出るまえに消え入った。

 未練がましい残響ざんきょうも息絶えるのを待って、中折れ帽の天然者は口をひらいた。


「定時連絡が途絶とだえてね」


 それは五十郎の質問に対する回答ではなかったが、聞き捨てならぬものであった。

 金城のことを言っているのだろう。定時連絡が途絶えるのは当然だ。

 だが、金城はそのまえに臨時連絡をしているはずだ。まさしく『臨』終を迎える『時』に。彼女の焼死体の左手には、スマートフォンが握られていたではないか。

 まさか、間に合わなかったのか?

 幸い、五十郎の動揺は気取けどられずに済んだらしい。彼が今夜、動揺しっぱなしだからだろう。

 中折れ帽の天然者は続ける。


「それでお邪魔してみれば、あのありさまだ。慌てて網を張ったが、きみしかかからなかった。だから、泳がせて待っていたんだ。きみが彼女と落ち合うなり、彼女を見つけるなりするのをね。でもどうやら、きみにも心当たりはないようだな」

「……なにを言っている?」

「祇園鐘音の居場所だよ」


 中折れ帽の天然者は肩をすくめた。

 蜘蛛の糸は垂れてきたのではなく、切れて、五十郎のいる地獄の底まで落ちてきただけだった。


「恥ずかしながら、見失ってしまったんだ。何年も何年も、二十四時間三百六十五日、彼女を監視してきた――と思っていたが、わたしたちはサービスしてもらっていたにすぎなかったわけだ。いまや都内のどの防犯カメラにも、どの忍者の耳目鼻口じもくびこうにもとらえられない。

 そんなとき、きみが見つかった。きみなら、彼女の居場所を知っているかと思ったのだが……当てが外れたな」


 中折れ帽の天然者は肩を竦めて、首を振った。

 五十郎は、薄汚れた地面を見ていた。落ちたる蜘蛛の糸を探すように。

 都内のすべての防犯カメラをクラッキングしても、中折れ帽の天然者のような手練てだれの忍者を動員しても、祇園を見つけることはおろか、手がかりさえ得られていないという。このうえなにをすれば、祇園を見つけることができるのか。

 少なくとも、五十郎にできることではないのは確かだった。

 五十郎は中折れ帽の天然者の見えざる視線を感じたが、顔を上げることはできなかった。頭の上に、無力感の重りが載っていた。


「どうやら、きみは本当になにも知らないようだな。きみは彼女のお気に入りだったが……見限られてしまったのかな?」

「そんなはずはない!」


 それでも、言葉は出血のようにほとばしった。それも、大事な血管が傷ついたときの出血のようだった。


「そんなはずはない……あんたになにがわかる!? あいつはおれを信じていて……おれは、おれを信じてくれるあいつを信じていて……一緒に頑張ってきたんだ! あいつが、おれを見限るわけが……!」


 五十郎の握り締めた拳から、血が流れだす。


「そうだよな?」


 五十郎が肩を上下させる一方、中折れ帽の天然者は首を上下させた。

 毒気を抜かれて立ち尽くしている五十郎に、中折れ帽の天然者がささやく。


「だからこそ、彼女は草刈りにきみを推薦したんだものな? そして、きみは見事、その信頼にこたえて、抜け忍を殺した……

 実を言うと、わたしもきみには期待しているんだ。だから、ギルドに話をつけてあげたんだよ。きみは、彼女を死なせてくれるかもしれないからね」

「……あいつが死ねば、『退屈な日々』から解放されるからか?」


 全身網タイツの天然者も、カメレオンの天然者も、金城も口にしていた『退屈』という単語。彼らにしてみれば、『不発弾』を監視しつづける日々だ。到底、忍者の本分ではない……

 と思いきや、中折れ帽の天然者は全然ちがうことを言った。


「腕比べが好きだからさ」


 『忍法者は腕比べが好きだからな』――そういえば、かつて鈴木がそんなことを言っていた。しかし……


「……おれがあいつを殺したって、あんたの腕がまさっていることにはならないだろ」

「腕は、武力に限った話じゃないと思っていてね」


 ……それはそうだが、仮に五十郎が祇園を殺したとして、中折れ帽の天然者のなんの腕が証明されるというのか。そもそも、こんな話をして……


 と五十郎が思っていると、中折れ帽の天然者は肩を上下させて見せた。


「なにが言いたい? って顔をしているな?

 要するに、わたしはモチベーションが高いんだよ。この日本でただひとり、きみと同じくらい、彼女を見つけたいと思っている……彼女を死なせたいと思っているからね。つまり、わたしたちは同志だ。

 だから、協力しないか?」

「協力……?」


 五十郎は即答できなかった。無力感にさいなまれているからだ。


「きみでなければ、できないことがある」


 心が読まれているかのようだった。うつむいたまま、ぎこちなく中折れ帽の天然者のほうを向くと、彼は歓迎するように両腕をひらいていた。

 中折れ帽の天然者が、内緒話みたいに囁く。


「試してみないか?」

「……なにを?」

「彼女が助けにくるかどうかだよ――あのときと同じように」


 船を漕いでいたところ、背中に氷水を流し込まれたひとのように、五十郎は顔を上げた。

 肉体が一瞬で張り詰める。


「きみをリンチしてね。これから、わたしたちはきみを攻撃するぞ。殺す気でやる」

「……わたし『たち』? 『たち』だと!?」


 五十郎は半身になって、路地の前後を見た!


「彼女をおびきだすための芝居だとわかったら、彼女は姿をあらわさないだろうからね」


 路地を挟むビルの屋上をあおぎ見た!


「だからきみは、彼女が助けにくるまで、頑張ってしのいでくれたまえ。死んでくれるなよ? きみには期待しているんだから!」


 路地の前後で、ビルの屋上で、殺伐さつばつとしたビル風に『草』がそよいでいた――天然の忍者たちの影が! 五十郎と中折れ帽の天然者が話しているあいだに――否! 中折れ帽の天然者が『忍法五車ごしゃの術』をろうしているあいだに展開したのだ!

 中折れ帽の天然者が右手を挙げる! 天然者たちが、おのおの武器を構える! そのさまいかにと見れば、げにげに、苦無くない、手裏剣、棒手裏剣。打根うちね、吹き矢に鎖鎌。ジャベリン、チャクラム、ブーメラン。和弓、洋弓、クロスボウ――古今東西の投擲とうてき武器、射撃武器が集って、ギャラリーのごとし。

 五十郎に、祇園とのいくさで鍛えあげられた近接格闘術を振るう機会を与えぬ心算だ!


「あ、あいつが来なかったらどうするんだよ!?」

「そのときは、立派な墓をつくってあげる! 彼女が墓参りに訪れるかもしれないからね!」


 そして、中折れ帽の天然者は挙げた右手を下ろした!

 天然者たちが五十郎を狙って、苦無、手裏剣、棒手裏剣、打根を投げ、吹き矢で矢を吹き、鎖鎌、ジャベリン、チャクラム、ブーメランを投じ、和弓、洋弓、クロスボウで矢をった。

 と見るや、五十郎の前後左右の地面からコンクリートの壁が生えて彼を覆い、しまいにはサンルーフみたいに蓋までして、彼を自動販売機みたいなコンクリートの直方体のなかに閉じ込めた。

 コンクリートの直方体は、苦無、手裏剣、棒手裏剣、打根、矢、鎖鎌、ジャベリン、チャクラム、ブーメラン、矢を嘲笑あざわらうようにはじくと、高速逆再生のように、一瞬で地面に埋まって消えた。

 あとに残ったのは、数秒まえとなにも変わらない、路地の地面だけだった。五十郎も消えていた。


「マンホールだ」


 中折れ帽の天然者が言えば、天然者のひとりが近くにあるマンホールの蓋をあけた。そして、無言で首を振った。マンホールの蓋をあけたら、また蓋があったからだ――コンクリート製の。マンホールの縦穴が、コンクリートで埋められているのだった。

 中折れ帽の天然者は肩を竦めて、呟いた。


「……『忍法混凝土遁こんくりとん』!」

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