第13話「祇園に飼われてるってことか?」

 久しぶりの単独行動である。祇園は、あの部屋に置いてきた。いま頃はきっと、体育座りをして、壁のほうを向いて時間が過ぎるのを待っていることだろう。

 ちなみに祇園は、五十郎が出がけに『今日は別行動だ』と告げると、『そう』とだけ言った。どうでもいいのだろう……

 

 五十郎は例の雑居ビルに入り、狭く急な階段をのぼって、鈴木の事務所のドアをノックもなしにひらいた。


「これはこれは! 誰かと思えば、親愛なる天堂五十郎くんじゃあないか! 依頼のキャンセルに来たのかね?」


 すると、事務机の向こうで鈴木が出迎えた――頬杖をついたまま、視線だけで。そしてすぐに、事務机のうえに置いたタブレット端末に視線を戻した。なんらかのゲームをプレイしているらしい。その態度は、はじめて会ったときとは大ちがいである。

 五十郎は落差に半分呆れ、半分感心しながら、


「ちがう。キャンセルはしない」


 と言った。鈴木が舌打ちしたので、五十郎は付け加えた。


「舌打ちするくらいなら、あんたがキャンセルすればいいだろう」


 鈴木は指先をタブレット端末のうえでおどらせながら、大儀そうに答える。


「おれがキャンセルしたら、おまえの経歴に傷がつくだろ? アサニンは、一度でも依頼人に三行半みくだりはんを叩きつけられたら最後、二度と信用されることはねえ。そうならねえように、おまえにキャンセルさせてやると言ってるんだ。わりにな」

「詫び?」

「このあいだも言っただろ? まぎらわしい写真でターゲットを誤認させちまったからな。その詫びよ」

「……なるほど?」


 五十郎は目を細めた。


「で? キャンセルじゃねえなら、なんの用だ?」


 鈴木がゲームの片手間に切り出す。眠たげな口振りであったが、決して芝居とも思われない。鈴木にとって、五十郎はもはやなんの価値もないのであろう。

 しかし、五十郎にとってはそうではない。


「改めて、聞いておきたくてな。暗殺の理由を。やつを殺すために必要だ」


 それは、祇園のことを知る手がかりのひとつにちがいなかった。もしかしたら、そこから芋蔓式いもづるしきに手がかりが得られるかもしれない。例えば、鈴木と祇園以外の当事者などだ。

 鈴木は鼻を鳴らすと、


「やつを殺すために必要なのは、時間だけだと思うがね。あと百年か、千年かわからねえが……」


 と、どこかで聞いたような前置きをしてから、肩を竦めて首を振った。


「……で、暗殺の理由だっけか? それなら、最初に言っただろ? おまえから情報が漏れるかもしれねえから、言えねえってよ」

「おれは漏らさない」

「ガキはそう言って小便を漏らすもんだ」

「事実、漏らしていない」

「……なに?」


 タブレット端末に戻ろうとした鈴木の視線が、逆再生のように五十郎に戻ってきた。

 五十郎は笑ってみせてから、言った。


「おれは祇園に返り討ちにされ、誘拐ゆうかいされ、痛めつけられたが、情報は一切漏らしてない」

「誘拐って……おまえ、自由に外に出られてるじゃねえか」

「外出の自由はある」

「つまり……その……なんだ? おまえ……」


 鈴木は待ったとばかりに手をかざし、逆の手の人差し指でこめかみを押さえ瞑目めいもくして、考えるような仕草しぐさをした。

 そして、もしかして、とささやいた。


「……祇園に飼われてるってことか?」

「……」


 五十郎はその表現を否定できなかった。


「わはははは!」


 鈴木は文字どおり、抱腹絶倒ほうふくぜっとうした! 片腹痛さにえかねて身をよじりすぎた結果、椅子のキャスターが暴走、投げ出されて床を転がり、倒れたのである!

 それでも鈴木は、アリにむらがられたイモムシみたいに、くねくねしながら笑いつづけた!


「あ、あんなにいきがってた養殖者が、ターゲットたる祇園に返り討ちにされただけでは飽き足らず、か、か、飼われて!? なにを買われて飼われたんだ!? その達者な口か!? いや舌か!? いや『ナニ』か!? わはははははははは!」


 鈴木は手負いの男が助けを求めるように床を這いずって窓辺に辿り着くと、窓をあけ、隣のビルの壁に向かって叫んだ!


「おお、天よ聞け! 地よ耳を傾けよ! あの祇園が男を飼っている! 一体なにを考えているんだか! 『ナニ』ができるわけでもあるまいに! こいつはまったく笑い草だ!

 いや、天堂五十郎くんよ、おまえがキャンセルしねえわけがわかったよ。若え――と言っても、見た目だけだが――女とひとつ屋根の下。役得よな? 上の口からはなにも漏らしてねえと言ってたが、下からはどうだ? ひひひひひ……」


 五十郎は拳を握り締め、恥辱ちじょくに耐えながら話を戻した。


「……とにかく、これでわかっただろう。祇園に捕らえられてなお、おれはなにも喋っていないんだ。このうえ、おれに情報を提供することになんのリスクがある?」


 鈴木はよろめきながら戻ってくると、椅子に深く座った。


「なるほど、おまえの言いたいことはよくわかった。久しぶりに……いや、まったく久しぶりに笑わせてもらったしな、話してやりてえところだが……一日待ってくれ。おまえの話の裏を取りてえ」

「どうやって?」

「そりゃ、企業秘密よ」


 鈴木は笑った。五十郎はここが引き際と見て、きびすを返す。


「……こっちは急いでるんだ。裏とやらが取れ次第、連絡をよこせ」

「そう急ぐこともあるまいに……依頼人のおれが、急いでねえんだからよ。飼い犬ライフを心ゆくまで堪能たんのうすりゃあいいじゃねえか。ああ、脂質のとりすぎには気をつけろよ」


 あまりに下品! 五十郎はもはや相手にせず、ドアノブを掴んだ。

 その背に、先ほどまでとは調子のちがう声がかかる。


「そんなに急いでるんならよ、用忍棒にも当たってみたらどうだ? おまえ、用忍棒は殺したとか、言い訳をしていたじゃあねえか。祇園が用忍棒を雇っていたなんぞ、初耳だったが……そいつのことを調べりゃあ――」

「やつは祇園の用忍棒じゃなかった」

「ほう? じゃあ、誰の用忍棒だったんだ?」

「知らん」

「気になるな……気にならねえか?」


 肩越しに振り返ると、鈴木は事務机の上に両肘を突き、手を組んで思案気にしていた。タブレット端末は操作していない。

 五十郎は体ごと振り向いた。


「気になるよな? おれたちの仕事を――祇園暗殺を邪魔しようってやからがいるってことだろ?」

「そうだな」

「おまえ、ちょっくら調べてみてくれねえか? その用忍棒の素性すじょうをよ。おれが裏付けを取ってるあいだ、暇だろ?」

「あんたがいますぐやれば、暇じゃなくなる」

「おまえが頑張って調べてくれていると思えば、おれの裏付けもはかどると思う!」

「……いいだろう」


 『忍法猫遁きゃっとん』の使い手の素性――鈴木にうながされたようでしゃくではあるが、近々調べるつもりではあったことだ。彼を放った人物は、祇園の弱点を知っているかもしれないからだ。祇園を知ることの一環でもある。

 もしかしたら、調査中に鈴木のサポートも得られるかもしれない――まったく期待はできないし、当てにもしていないが。


「で、どう調べる?」


 ただ、せっかくなので聞いてみた。どうせ、『忍者だろ? 自分で考えろ。養殖者はいちいち先生の指示がなきゃ動けねえのか?』とか言われるのだろうと思っていると、


「そうだな……まずは、その用忍棒を殺害した現場をもう一度確認すべきだろう。あまり期待はできねえが、なにか痕跡こんせきが残ってるかもしれねえからな。ついでに、現場で聞き込みだ。死体を処理したやつ――おそらくPNCだろうが――を見てるかもしれねえ。もし死体を処理したやつがわかったら、今度はそいつに話を聞け」


 あにはからんや、まともな回答!

 五十郎は、鈴木も一応、『おれたちの仕事』を真面目にこなすつもりはあるのかもしれないと思いながら、事務所を辞し、一路『あの路地』を目指すのであった。

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