第3話「笑い草ね」
ターゲットの『祇園』は、写真の中央に写っていた中年男性ではなく、隅に写っていた少女だった!
というか、子どもだった! 可能なかぎり都合よく解釈しても十代半ばだ!
その事実に直面した瞬間、五十郎は、忍学ではじめて電気椅子に座らされたときを超える衝撃を覚え、
なんたることだ! この天堂五十郎ともあろう者が、ターゲットを誤認するとは! なぜ誤認した!?
『ターゲットは、この写真の人物です』
す、鈴木! あの野郎!
だが、思い返してみれば、やつは中央の男がターゲットだとは一言も言っていない! そして、この少女は写真に写っていた! 鈴木は嘘はついていない! だが、なぜおれを
ちがう!
いま考えるべきことは、これからどうすべきかだ! 難度の高い仕事だと? 笑い草だ! こんな少女の暗殺を成功させたところで、ランキングが上がるわけもない! それどころか、『子どもを殺せるアサニン』とみなされて、子どもの暗殺依頼が増えかねない! それは嫌だ!
……いっそ、依頼をキャンセルするか? 通常は自己都合でキャンセルするとランキングが下がるが、鈴木がおれを欺いたとギルドに訴え、認定してもらえれば、ランクダウンは免除される――
だが、ひとは、
「勝手にターゲットを誤認しておきながら、逆ギレして依頼をキャンセルした挙句、依頼人に低評価まで付けるクレーマーアサニン」
「忍者なのに素人に欺かれちゃった雑草」
「草」
と笑うだろう。そうなれば依頼の激減は必至、『七草』どころの話ではない……
そうか! だから鈴木には低評価が付いていなかったのか! おれ以前にキャンセルしたやつらはみな、鈴木の罠にかかり、低評価も付けられずギルドにも訴えられずに泣き寝入りしたのだ!
じゃあ、おれはどうする? おれも自己都合でキャンセルして、泣き寝入りするのか? それとも……
五十郎は改めて少女を見た。少女は微動だにせず、五十郎を見ている。恐怖のあまり動けずにいるのだろう。五十郎はかぶりを振ると、踵を返した。
キャンセルしよう……子どもを暗殺するくらいなら。授業料だと思えば、ランクダウンも安いものだ……
「どこへ行くの」
その背にかかる声がある。
「え?」
幼さを感じさせる高さでありながら、妙に静かな、例えるなら一流のピアニストが
五十郎が振り返った先には、少女しかいなかった。花びらみたいな唇が揺れる。
「あなた、アサニンでしょ」
「え?」
「わたしを殺しにきた」
「え?」
少女の口振りは、事務手続きをしているかのようであった。自分の命を狙っている者をまえにしているにもかかわらず、淡々と事実だけを確認しようとしている。政財界やマフィアの大物を思わせる態度だ。しかし少女である。
五十郎が予想だにしていなかった質問と態度に戸惑い、答えあぐねていると、少女は続けて問うてきた。
「子どもは殺せない?」
「……は?」
五十郎は耳を疑った。
いま、この少女はなんと言った? もしかして、おれは……なめられているのか?
「そういうひと、よくいるから」
五十郎は大人げなくも少女に凄む!
「おい……口のききかたに気をつけろよ。おれはアサニンだぞ? それも、そんじょそこらの雑草とはものがちがう。
しかし、少女はまるで
「あるの?」
「なにが?」
「子どもを殺したこと」
「答える必要は――」
「あるの?」
なにか妙だった。
「……そういう依頼を請けたことはない」
なぜ、おれは質問に答えている?
五十郎は不思議でならなかった。口のチャックが緩んでいる気がする。
「ないんだ」
「依頼を請けたことがないだけだ!」
「どうして?」
少女の声は、あいもかわらず事務的であった。五十郎は面接を受けているような気分になってきた。なぜかわからないが、答えずにはおれぬ。
「どうしてって……子どもを殺したって、ランキングは上がらないし……」
「上がらないし?」
面接どころか、尋問のようになってきた。忍学の『先生』との会話が思い出される。嫌な記憶だ。
五十郎は喉の乾きを覚えながら、回答した。
「……おまえ、なんで自分が命を狙われてるか、知ってるのか? おまえに関係のない、大人の都合で命を狙われてるんじゃないのか? どうせ、相続争いか企業間抗争に巻き込まれでもしたんだろ。よくある話だ。
大人の都合で、子どもの運命が決まる。おれは、そういうのが嫌いなんだよ……だから、子どもの暗殺依頼は請けない」
五十郎は、昼に見逃した不良少年を思い出していた。あのとき五十郎は、不良少年もまた、大人の都合に振り回された挙句、非行に走ったのではないかと思わずにはいられなかったのだった。
しかし、この回答はそれほど少女の共感を誘わなかったらしい。少女は間髪入れずに指摘した。
「でも、この依頼は請けた」
「そ、それは……」
言えるわけがない! 『そんじょそこらの雑草アサニンとはものがちがう』と言ったばかりの口で、ターゲットを誤認して請けたなどと!
かくして、ようやく質問に答えずに黙ることができた五十郎であったが、無論ほっとするどころではない。
一体、なにがどうなっているのか。なぜ、殺すべき少女――祇園に煽られて、内心を
そのとき、五十郎の視界のなかではじめて、少女の体が動いた。
宙を見あげ、人差し指を立て、薄い唇に当てる。
「じゃあ……自信がないの?」
「……は?」
なんのことかと尋ねるよりはやく、少女は続けた。
「わたしを殺す自信が」
「……なに?」
『自信』――その単語はいつでも、五十郎をして、忍学で鍛えられた日々を思い出させる。あの
五十郎が血色の思い出に沈んでいると、少女は宙に向けていた視線を彼に移し、僅かに首を傾げた。
「だって、あなたにはわたしを殺す必要があるでしょ。依頼を請けて、わたしを殺しにきたアサニンなんだもの。なのに、殺そうとしないから」
五十郎は体温の高まりを感じた。
「『ひとたび依頼を請けたなら、子どもであろうと殺すとも』――って言ってたのに、殺そうとしないから。だから」
少女が反対方向に首を傾げる。可動域の決まった人形のようだ。
五十郎はなにか言おうとした。止めようとしたのだ。それ以上、あの暗黒時代を侮辱するようなことを言ってはならないと。そんなことをしたら……
だが、少女のほうがはやかった。
「わたしを殺す自信がないのかなって」
雑居ビルの狭間の闇に、つかのま、静寂が戻ってきた。
動くものは、少女のワンピースの裾と――可視化された怒気のごとく、五十郎の濃紺のスーツから立ちのぼる、数条の煙だけだ。
「……いいか、よく聞け」
竜のそれと例えられそうなほど熱くなった息を吐くついでに、五十郎は言った。少女は頷いた。
「おまえを殺すことにした」
「そう」
五十郎はさらなる体温の高まりを感じながら、続けた。
「だが、勘違いするんじゃあないぞ……おれは依頼だからおまえを殺すわけじゃあない。挑発に乗って、おまえを殺すわけでもない!
自信があるから殺すのだ。
おまえなどには思いもよらぬ、地獄で鍛えた力に賭けて、おまえを殺す自信があると、証するために殺すのだ!
……いいな?」
少女は五十郎の殺気を浴びてなお、落ち着いた様子で、
「いいわ――」
と言ったが、頷きはせず、
「――
と付け足した。
五十郎が爆煙に包まれた。
その煙幕の殻を突き破り、夜の雲間から忍び出たかのよう、煙を棚引かせて踏み出したる五十郎のありさまいかにといえば、頭巾に
「死ね」
闇に煙の爪痕が走った。
その軌跡の果ては、少女の背後だ。
そこではすでに、煙を棚引かせた五十郎が右手刀を振りあげていた。
そのときだ!
宙より迫る黒い影!
忍んだ
いや、ちがう!? その顔は黒い毛に覆われてはいるが、いまや
では人間か!? だが体躯は猫だ! すわ人面猫か!? いや、その影が振りあげた右手を見るがいい! 禍々しいシルエットが
つまり忍者である!
化け猫さえ
しかるに、つぎの瞬間、手甲鉤が貫いたのは肉ではなく闇であり、散らしたのは血煙ではなくただの煙であった。五十郎がしゃがんだからだ――
――五十郎は両手を地に突くと、倒立しざま両足で蹴りあげた! 頭上を
「ううふっ!?」
猫のように小さな忍者は、野太い声をあげながら吹き飛び、雑居ビルの壁面に激突して跳ね返ると、五十郎のすくそばの地面に叩きつけられ、鈍い音を立てた。
五十郎は倒立から後方に飛んで立つと、もはや猫ともひととも見えぬ赤黒い肉塊と成り果てた忍者を
「笑い草!」
と嘲笑った。『笑い草』――それは忍者の別称たる『草』と、ネットスラングたる『草』を掛けた忍者スラング! 忍者に対する最大級の侮蔑である!
「護衛対象をしてアサニンを挑発させ、これが攻撃に転じたときに生じた隙を、
五十郎は、失敗した前任者たちが祇園の用忍棒に返り討ちにされた可能性があることを、少女に煽られて精神を揺さぶられながらも憶えていた。それゆえに、黒猫に扮した異形の忍者『忍法
「よ……養殖者ごときに……」
血反吐とともに恨み言を吐いた、この忍者は何者なのか? 彼の名は?
それらを知る機会はひとまず失われた。忍者の体に火が
五十郎は息をつくと、少女に向き直った。その
さっきまで少女が落ち着いていた理由は理解できた。用忍棒がいたからだ。だが、その用忍棒が殺されたいまもなお、どうして落ち着いていられる?
五十郎は違和感を覚えていたが、それを悟らせまいとして、少女に肩を竦めてみせた。
「待たせたな」
「いいわ。慣れてるから」
一体、なにに慣れているというのか。だが、もはや問答は無用だ。
「それも終わりだ」
「そうかも」
「そうとも……」
少女がまばたきをする。五十郎はそのまぶたが閉じるよりはやく間合いを詰め、そのまぶたがひらくよりはやく右手刀を首に叩き込んだ。
そうしたつもりだったが、なぜか五十郎の視界は回転していて、疑問に思ったときにはすでに暗転していた。
どうやら、凄まじい勢いで地面に叩きつけられたらしい。『らしい』というのは、視界は暗転しているし、意識も飛びつつあるからだ。
「笑い草ね……」
意識を失うまえ……少女――祇園の声が聞こえたような気がした。
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