第29話 病室から消えた響
朝が訪れていた。気がつかないうちに、ロビーで眠ってしまっていたらしい。思えば昨日は一日中無茶をしつづけていたから、疲れもたまっていたのだろう。
気がつかないうちに毛布がかけられていた。通りかかった看護師さんが見かねてかけてくれたのか、
ロビーからは少し外も見えた。昨日の雨が嘘だったかのように、さんさんと朝日が差し込んできている。台風は直撃しなかったのか、それとももともと勢いをまして接近してきていただけに、すでに通り過ぎてしまったのかもしれない。
天気のように良い一日になってくれたらいい。もうこれ以上、何も起きないでいて欲しい。
仲間達の事を思い、どこか不安が僕の心の中を満たしていく。
晴れた空とはうらはらに、何か不審なものを感じ取っていた。
そういえば桜乃はいまどうしているのだろうか。急な輸血の依頼によって話は途中で終わってしまっていた。
昨日の桜乃の台詞を不意に思い出していた。
『私が思っていた通りになってしまいましたね。貴方はこれからどんどん悲しい思いをする事になります』
桜乃の言葉に、何かひっかかるものを感じていた。私が思っていた通りになってきましたね。何が思っていた通りなのだろうか。
響の怪我は偶然の事故だ。桜乃の力は心を読むものであって、僕のような未来視ではない。だからこれは予想できないはずだ。なら何をもって自分が思っていた通りと言っているのだろうか。
桜乃はこの病院にいる理由を『旅館で怪我人が出て連れ添う人がいなかったので、私が一緒に来たんです』と告げていた。
旅館で怪我人がでたとはいっても、連れ添う相手がいないというのは違和感がある。旅館に一人旅でくる事はないとはいえないが、あの旅館で一人旅らしき人を見かけた覚えはない。
もちろん全ての客とすれ違っているとは限らない。たまたま見かけなかったという事は十分にありえる。
でも他にも考えられる理由がある。例えば矢上と楠木の二人ともに何かがあって、二人を連れ添うためにきたということ。
それなら桜乃の台詞は納得がいく。二人に何かあるのだとしたら、僕が悲しみを感じるのは間違いなかった。もしかしたら桜乃はあの時に、それを告げようとしていたのかもしれない。
『私が思っていた通りになりましたね』
その言葉が僕の頭の中を何度もこだましていく。
繰り返される言葉は、僕が見た未来が近づいているような気がして、胸の中が痛んだ。
まだ現実になっていない未来は一つ。響がナイフを手にして矢上に迫る未来だ。
ただこの未来が訪れていない以上、少なくとも響も矢上も無事ではあるはずだ。
桜乃は人の心が見えるから、様々な答えを知っている。だけど彼女は僕に答えを教えてくれたりはしない。そうすることは自分の異常な力を認める事になるから。自分が人ではないのだと刻みつける行為だから。
教えてほしいと思わない訳ではない。でも僕自身にも消えて欲しい力があるから、それを認めたくない気持ちがあるから、だから桜乃の想いも理解出来る。
僕には未来を知る力がある。だけどその力は自分で制御する事は出来ない。この力を無くしてしまいたい。未来を変えてしまいたい。僕はいつも強く思っている。
だけど僕はどこかでこの力を持っている事を受け入れてしまっていた。あるものは仕方ないから、未来を変えることで否定しようとしていた。
でも桜乃は自分の力を今も受け入れられていないのだろう。だから心を閉ざす事で、なんとかバランスをとり続けているのだろう。
僕が未来を変える事を示せたら、桜乃は救われるだろうか。力を乗り越える事が出来るのだと示す事ができたら、桜乃の心を溶かす事が出来るのだろうか。
いつの間にか桜乃の事ばかり考えてしまっているなと自嘲する。
それから頭をふるって、響がいるはずの処置室の方に向かおうと思う。とりあえず毛布をたたんで、教えられていた部屋の方へと向かう。
「大志、いるか?」
部屋の中に入って小声で呼びかける。中をみると大志もいつのまにか眠っていたようで、椅子に腰掛けたままうつらうつらとしていた。大志の影になって見えないが、その奥の簡易ベッドで響は眠っているはずだ。
「ん。あ、浩一くん。おはよ」
大志は大きなあくびをもらして、まだぼうっとした眼で僕の顔を見上げていた。
「悪い。ロビーでねちまった。響の容態はどうだ」
「あ、うん。まだ寝て……あ、れ」
大志はきょとんとした声でつぶやくと、慌てて起きあがりベッドの毛布を引きはがした。
だがそこに響の姿はない。
「あ、あれ。響くんがいない。トイレかな」
大志はきょろきょろと辺りを見回していたが、当然そこにいるはずもない。
確かに響の傷は実際には大した事はなかったし、おそらく可能な範囲の精密検査でも何も見つかっていないはずだ。意識を取り戻しているとすれば、手洗いくらいは普通にいけるだろう。
でもその瞬間、僕は嫌な予感が身体中を駆け巡っていた。
何かが起きていることを直感的に感じ取っていた。僕の身体が震え上がる。
『死にたいなら殺してやるよ』
急に聞こえてきた声に、思わず僕は振り返る。
だけどそこには誰もいない。この部屋にはいま僕と大志の二人しかいないし、廊下にも誰もいなかったはずだ。
だとすれば、いまの声は以前に垣間見たものと同じものだったのだろうか。ほんのわずかに声だけが聞こえる未来が見えたのかもしれない。
「響、やっぱりお前なのか」
思わず声を漏らしていた。
大志を助けたからといって、麗奈を刺した犯人が響じゃないという保証にはならない。響を意識していたのは麗奈の方だったとは思うが、もしかしたら響も何か強い感情をもっていたのかもしれない。その気持ちが誤った方向に向けていたのかも知れない。
その強い感情が愛しさなのか、憎しみなのかはわからない。でも人は強すぎる感情を抱いた時に理性では抑えられなくなることもある。響がそうでないという証拠は何一つなかった。
「浩一くん?」
大志がいぶかしげな目で僕をのぞき込んできていた。
突然の言葉に困惑してしまったのだろう。
「大志。僕は響を探してくる。大志はそこで待っていてくれ」
取り繕うかのように告げると、大志の答えも聞かずに部屋を後にしていた。
嫌な予感がしていた。取り返しがつかない事が始まっているような気がして、夏だというのに僕の身は凍えて震えを感じていた。
未来がどうなるかなんて、誰もわからない。僕は未来を見えるといっても、見えるのは少しの間だけ。それがどうやって訪れるのか、何を意味しているのか、本当のところはわからない。
なら未来を変えることだって、きっと出来るはずだ。
もしもあの未来が訪れようとしているのだとすれば、響は病院の中にはいない。海の近くにきているはずだ。
いま起きる未来なのかはわからない。でもそれを止めるために、僕は走り出していた。
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