第23話 手をつないで
「
問いただせば彼女は教えてくれるかもしれない。だけど彼女が望んでいるかたちは、たぶんそうしてはいけないのだろう。
麗奈の事も心配ではあった。犯人を知りたいと思う。だけど桜乃に対しても、まるいかたちを見せてあげたいと僕は心の底から思っていた。
いつの間にか、あるいは初めからだったのかも知れない。僕は確かに彼女に好意を持っていた。出会ってからまだほとんど時間が経っていないというのに、彼女の事を大切に思っている自分がいる。
自分の感じる気持ちと近い想いに触れたからなのだろう。そして桜乃も好きという気持ちがわからないといいつつも、きっと僕に好意を感じてくれているはずだ。だからこそこんな風に気持ちをぶつけられるはずだから。
僕の考えている事はたぶん桜乃には筒抜けのはずだから、自意識過剰が過ぎると思われているかもしれない。だけど僕がそう信じないとするならば、きっと彼女も僕に期待をしなかったはずだと思う。
桜乃は僕の想いを感じてか、それともあるいは違う事に想いを馳せているのか。こんどは空を見上げる。
空からは満天の星が僕達を見つめていた。遠い空の星々から見れば、ちっぽけな悩みを抱える僕達を滑稽だと笑っているのかもしれない。でも僕達にとっては大切なことで、少しでもその気持ちを理解してほしいと願った。
「どうしてこんな気持ちを抱かずにはいられないのでしょうね。こうして少しずつ壊れていくから、いつだって苦しくて悲しい。だから全ての気持ちをなくしてしまわずにはいられなかったんです。普通でいられればどんなに良かったかと」
桜乃はまた僕へと向き直って、そして優しい微笑みを浮かべていた。
でも彼女は泣いているんだ。もう涙は流していなかったけれど、ただずっと泣き続けていた。幼い頃から、今に至るまでずっと。
それは僕の勝手な感想だったかもしれない。でも彼女の感じる冷たさを、抱きしめて温めてあげられたら。不意にそう思った。
その気持ちは彼女にはすぐに伝わっていたのだろう。桜乃は笑顔を消さないまま、僕へと再び両手を差し出していた。
「いいですよ、抱きますか。でも手をつなぐくらいなら、私もわずかな過去を読みとれるくらいしか出来ません。ですが、もし肌を重ねたら貴方の心の全てが流れてくるでしょう。生まれてから今までの全ての記憶が。人間一人分の記憶、それも貴方が忘れている記憶すらも全て。その時、私は自分が桜乃なのか浩一さんなのかわからなくなるかもしれません。あるいはそれを拒んで私の記憶を逆流させてしまうのかもしれません」
桜乃の笑みはどこまでも温かくて。母親のような優しさに包まれていて。それなのに手の届かない場所にあるようで。彼女の言葉がどこか遠く感じる。
「そうした時、貴方は壊れてしまうでしょう。私を抱きしめた母が今も夢を見ているように。まだ自分の力をはっきりと認識していなかった私は、無意識のうちに母を拒絶して」
桜乃の笑顔がほんの少しだけ陰りを覗かせていた。無意識のうちにか、自らの両手を胸の前で合わせる。
「母は壊れて夢の世界にいってしまいました。今も意識を取り戻していません。つい最近のことです」
桜乃は息を吐き出す。それからすぐに言葉を続けていた。
「小さな頃は私もそこまでの力はありませんでした。でも歳を重ねるにつれて、力も増していきました。初めは触れなければわからなかった心は、触れずともそばにいるだけで感じられるようになって。読み取れなかった過去の記憶も、触れればわかるようになってきて。そしてとうとう相手にまで影響を及ぼすようになっていきました。幼い頃から友達の出来ない私を心配して、それでも私の事をずっと好きでいてくれて。私の事を愛してくれていました。でも私にはその気持ちがわからなかった。好きという気持ちが理解できなかった。だから私を抱きしめてくれた母を拒絶して、私の力が母を壊してしまった」
彼女の言葉はむしろ淡々としていたと思う。だけどその言葉に強い後悔が感じられるのは、きっと僕の気のせいなんかじゃなかったと思う。
そんな僕の考えはすべて伝わってしまっているはずだけれど、桜乃は態度を変える事は無かった。ただ僕へと変わらない笑顔を投げかけているだけだ。
「浩一さん、私を抱いたら貴方もそうなるかもしれませんよ。あるいは私が受け入れてしまえるならば、私が私ではなくなってしまうのかもしれません。でももしかしたらそれもいいかもしれませんね」
桜乃の笑顔は変わらないのに、それはとても自虐的に感じられた。
まだどこか投げなりになっている彼女がいるのだろう。僕はそんな彼女に未来を見せられるだろうか。わからない。でも彼女に未来を見せてあげたい。そう思った。
だから彼女を温めてあげたいと思った。もしも僕が壊れてしまうのだとしても、それでもし救えるのなら。
「浩一さんはおかしな人ですね。普通そこは恐れるか怒るかどちらかの反応を返すものですよ」
桜乃は静かな声で告げて、それから僕の手をとっていた。
温かいと思う。同時に僕の温もりが伝えられているだろうか。
「貴方の心が流れ込んできます。でも、今まで出会った人の中でいちばん限りなく澄んだ青ですね。まるで夏の空のように高く」
桜乃は笑っていた。でもその笑顔はきっと今までのものとは違っていたと思う。そうであってほしい僕の幻想かもれなかったけれど。
「なら君は日によって気分を変える海のようだよ」
桜乃は不思議な少女だと思う。でも彼女はたぶんずっと助けを求めていたんだ。
それが僕であると思うのは、自意識過剰だろうか。でも僕の力が、きっと彼女を救えるはずだと、なぜかそう強く思えた。
「海のようですか。つかみ所がないという意味では的を射ているのかもしれませんね」
桜乃はまるで他人事のようにつぶやくが、それでもどこか喜びを感じていたような気がする。少しでも救いになってくれただろうか。
「いきましょう」
桜乃の言葉に僕はうなずいて歩き始める。
手を離すべきかどうか少し迷う。僕だって人並みに嫌らしい気持ちを抱えた事だってある。それは桜乃にとって負担になるだろう。そして肌を重ねるだけでなくて、長い時間ずっと触れ続けているということは、同じように桜乃に記憶を送り続けてしまうのではないだろうか。
「そうですね。試した事はありませんが、そうかもしれません。今も少しずつ浩一さんの記憶が私の中に流れ込んできています」
桜乃は何気なく告げる。
そのままずっと送り続ければ、桜乃は心がおかしくなってしまうのではないだろうか。僕は手を重ねた事に嫌な気持ちはしていない。覗かれて恥ずかしい記憶もあるけれど、でもそれを拒もうとは思わない。だけど桜乃のためを思うなら、手を離した方がいいんじゃないだろうか。
「だったら」
僕が手を離そうとした瞬間、桜乃は繋いだ手を強く握りしめる。
「このままで」
桜乃が何を考えているのかはわらなかった。だけどつないだ手は温かく思えた。
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