第6話 僕を死に誘う少女
「ほぅ、ここが私達の泊まる旅館か。これはまた古風というか歴史を感じさせるというべきか。はっきりと言ってしまえばおんぼろだな」
良く言えば歴史を感じさせる建物。悪く言えば今にも壊れそうなほど古い建屋だ。なるほど。この時期にしては安かった訳だ。
「おいおい。
「その言いようもずいぶんひどいと思うけど」
もっともこれはこれで風情がある気もするな、と口の中でつぶやく。
「僕はごはんが美味しいならそれでいいなぁ」
確かに時間的には昼食をとっても不思議ではない時間だが、大志は楠木のサンドイッチの他にも弁当を二人前は平らげていたような気はする。相変わらずよく食べる。
「ちょっと、みんなひどい事ばかりいって。ここは部屋の窓からすぐ海が見えるのよ。それに噂では――でるんだって!」
麗奈が心底嬉しそうに告げていた。その言葉に呆れて眉を寄せていた。麗奈の心霊現象好きはいいかげんにしてもらいたいところだ。今までも心霊スポットに何度連れていかれたか数えたくもない。
もっともそれで霊が出た事は一度たりともなかったし、僕はそもそも霊なんて信じてもいない。それなのにこう変な趣味につきあわされる方の身にもなってほしいと切に願う。しかし僕の内心をよそに麗奈は嬉々として目の前の旅館を見つめていた。
「そうなんですか。確かに、お化けの一人や二人くらい現れても不思議じゃなさそうですね。あ、そもそもお化けって一人二人と数えるものでしょうか?」
楠木は首を傾げながら目の前の旅館をじっと伺っていた。どこかずれた質問が楠木らしいと言えるが、みんなして失礼な事を言っているなとも思わなくも無い。
少したしなめようかと口を開きかけると、同時に背中からふと声が響いていた。
「確かにこの旅館はぼろですよね」
かけられた声に皆は一斉に向き直る。
そこに背を向けて立っていたのは流れるような黒髪の少女。軽やかな笑みをこぼしながら、僕達を見つめていた。
赤いチェックのフレアスカートが微かに揺れる。夏の光で微かに透き通った白いブラウスに、スカートとお揃いの赤いリボン。年頃はまだ高校生くらいだろうから、恐らくはこれが学校の制服なのだろう。
楽しげな顔が満面に広がっている。長い髪が風に吹かれ、さぁと流れた。やや細面の優しそうな笑顔を浮かべた極上の美少女がじっと皆を見つめていた。
彼女は。
僕の心臓が激しく跳ね上がった。血液が逆流しているんじゃないかとすら思えた。ばくばくと激しく鼓動を打って、僕の胸の奥を叩いていた。
僕が見た未来、僕へと「一緒に死んでくれますか」と誘いを掛けた少女だ。突然の来訪に僕は思わず目を見開いていた。
彼女は僕の内心になど気がついてはいないだろう。だけど口元にいたずらな笑みを浮かべて、まるでささやくような甘い声でゆっくりと言葉を紡ぐ。
「でも当の旅館の娘の前で言うのはやめてくださいます?」
少女は軽く首を傾げると、人差し指だけをたてて目の前で軽く振るう。
まだ胸の高鳴りが収まらない。喉の奥から何かが出かかっているのに、何もかもが言葉にならなくて、乾いた口の中が貼りついて離れない。
あまりにも突然の出会いに、彼女が目に焼き付いて離れなかった。
「これは失礼した、非礼は詫びよう」
矢上が目の前の少女へと軽く頭を下げると、それからくるりと皆を見回していた。皆も矢上に習うように礼をする。
「おっと、俺としたことが身内の前で批判めいた事を言うなど無礼だったかね。願わくば今日の晩飯の隠し味に、わさびの山盛りなど入れないように頼み申そうではないか」
響ははっはと笑いながらぜんぜん詫びになっていない言葉で返す。
むしろ失礼にあたるだろうと呆れて溜息を漏らすものの、今さら響に何を言うのも馬鹿らしいので黙っておいた。言ったところで治るものではないだろうし余計に物事を複雑にするだけだ。
「いやですね。いくらなんでもそんなことはしませんよ。でも、ちょっとばかり砂糖と塩を間違えたりするかもしれませんけどね?」
しかし彼女は響の失礼な物言いにもさして気にした様子もなく、今にも舌を出してきそうないたずらな笑みを向けて冗談を交えながら返していた。だけどどこか遠くを見ているかのような細やかな瞳が、まるで気まぐれな猫のようにも思えた。
「で、今日いらっしゃる予定のお客さんですよね。もう部屋は用意出来てますからゆっくりなさってくださいね。……ぼろですけど」
少女はちょっと意地悪な言葉を付け足すように告げるが、微笑みながらの台詞にはそれほど嫌味なものは感じなかった。
だけど僕の胸の鼓動はまだ止まらなかった。もしも何もなかったとしたら、恋にでも落ちたかと勘違いしたかもしれない。でもいま覚えている動悸は、明らかにそうではなかった。
垣間見た未来に現れた少女。手を差し出して「私と一緒に死んでくれますか」とささやきかけてきた少女。甘い誘惑のように思えたその言葉が、いま目の前の優しげな瞳と結びつこうとして、それでもどこかばらばらなパズルのようで、なかなか噛み合おうとはしない。
僕はいま起きている事の理解が出来ないまま、でも時間と共に少しずつ波は小さくなってきて、詰まっていた息も取り戻してくる。
大きく息を吐き出す。呼吸すら忘れていたような気がする。
何とか気持ちを落ち着かせて、それから皆の様子をうかがってみた。もちろん彼らは何も思うでもなくて、おのおの目の前に現れたユーモアをふくんだ少女に旅館への期待を膨らませているのだろう。
ふと矢上と目が合う。彼女もまた軽やかな笑みを浮かべると、僕の肩に手をおく。
「どうかしたかね」
「いや何でも無いよ。とにかく一度荷物を預けよう」
「ふむ」
矢上は僕の態度に何かを感じたのかもしれないが、これ以上には追求してこなかった。
同時に
「そうですね。じゃあ、お言葉に甘えておじゃまいたしましょうか。せっかく海に来た事ですし、海辺で潮干狩りなどしませんと」
「……なんで潮干狩りだよ」
楠木の言葉に思わずつっこみを入れてしまう。探せば貝の一つや二つくらい見つかるかもしれないが、時期も外しているし、わざわざ伊豆まできてする事とも思えない。
「潮干狩り、いいねぇ。あさりとかはまぐりとか美味しいよね」
大志がぼーっとした顔のまま空を見上げている。恐らくはあさりだのはまぐりだのの料理が視線の先で漂っているに違いない。
「む、何を言っている。伊豆の海といえば磯に決まっているだろう。磯と言えば磯釣りをして釣れた小魚で浜鍋にするのが醍醐味だ。味は味噌でしっかり野趣にいこう!」
響の叫びに大志がぽんと掌を打つ。どうやら浜鍋の方により強く惹かれたらしい。
「ちがうわよっ。なんだって夏の海にきて、そんな事しなきゃいけないのよ。海といったら泳ぐに決まってるでしょ。せっかく水着だって新しいの買ったのに、海に入らずして夏を満喫したとは言えないんだから」
「ふむ、
矢上の言葉に反論は一つも上がらなかった。格段おとなしいという訳でもないが、普段はあまり物言うタイプでもない矢上の一言はその分だけ重みがある。響のように軽薄でもないし大志のように視野が狭くもない。あるいは楠木のようにずれてもいないし、麗奈のように自己主張が激しくもない。少々マイペースな部分はあるが、おおむね正論だ。
と、先の少女が小さな笑みを浮かべて、一同を楽しそうに見つめていた。
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