第54話 剣士の娘

 気が付くと、私は、生温かい何かを全身に浴びていた。


 最近の記憶が曖昧だ。


 父が戦いに出るため村を離れ、引きこもっていた私を、外へ連れ出してもらったのは、はっきりと覚えている。

 その後、隣町についてからの記憶がはっきりしない。


 記憶を呼び起こそうとする私に、誰かが倒れるように覆い被さってくるのに気付く。


 反射的に避けようとして、私は避けるのを止める。


 相手が、私のよく知る人物だったからだ。

 私は彼を抱き止めようとする。


 剣しか知らなかった私の初めての友人。

 五年以上、毎日稽古を共にした剣術仲間。


 ……そして。

 私に生まれて初めて恋心を抱かせてくれた人。


 彼を抱きしめようとして、私は気付く。


 両手が剣を振り切った後で、彼を抱き止められないことに。

 鼻をつく鉄の匂いに。


 ……私の体を包む生暖かいものが血であることに。


 血塗れの彼が、血塗れの私に倒れ掛かる。


 私は彼を抱き止めることができず、肩で彼を受けた。

 剣を離し、彼を抱き止めることは、普段の私なら簡単なことのはずだった。


 でも、手が動かない。

 明らかに生気のない顔をした彼を、抱き止めることができない。


 ずるり。


 私の肩から落ちそうになったところで、私はようやく片手を剣から離し、彼を抱き止める。


 ずしり。


 魔力なしでは崩れ落ちそうになるほどに重たい彼。


 私はその重みに耐えれず、彼を抱き止めたまま膝をつく。


 私は彼の瞳を見る。

 光を失い、何も映さないその瞳。


 記憶が曖昧で、なぜか体が思うように動かない私でも分かる。


 ……私は彼を失ってしまったのだと。


「あ……あ……ああぁっ!」


 動かぬ彼を抱き抱えたまま、無様に泣き喚く私。


 思い出されるのは彼と過ごした日々。


 初めはただの生意気な子どもだと思った。


 物心ついた頃から剣に人生をかけてきた私。

 二千年以上前から続いてきた歴史を絶やさないため、全てを剣へ注いできた。


 そんな私とは違い、多少剣が使えるだけで調子に乗っている子ども。


 初めはそう思った。

 同情で毎日一度戦う約束はしたものの、すぐに諦めるだろうと。


 ……だが、彼は違った。


 何度私に敗れても。

 どれだけ力の差を思い知っても。


 彼は毎日私のもとへきた。


 一日前より、ほんの僅かだが確実に強くなって。


 私も強くなっているはずなのに、少しずつ、少しずつその差を詰めてくる彼。


 彼は特段才能があるわけではない。


 精々、小さな村で一番になれるかどうかくらいの。

 ありふれた才能。


 特別飲み込みがいいわけでも。

 天性の身体能力やセンスがあるわけでもない。


 ちょっと剣が得意な一般人。


 ……それなのに。


 剣の頂を目指す私に、彼は迫ってきていた。

 驚きと嬉しさが共存する。


 私は彼に、それとなく道を示すようにした。


 いつか本当に彼が私を超えるかもしれないという期待を込めて。


 私の未来は決まっているものだと思っていた。


 二千年受け継がれてきた技術を自分のものにし、父を超える。

 そして、剣と魔力に秀でた見知らぬ誰かの子種を得て次代の剣を担う子供を産み、育てる。


 それだけの人生。


 そのはずだったのに。


 彼が私に違う未来を見せた。


 愛する者と結ばれ、幸せに暮らすという、平凡なのに、決して手に入ることのないと思っていた未来を。


 夢物語だと思っていたその未来が近づいてきたと思ったのに。


 彼が私を超えて、彼と結ばれる日が来ると思っていたのに。


 私は自らの手で。


 私の未来を変えてくれるはずの、愛する人を殺していた。


 彼の暖かい血が、私にこの一ヶ月ほどの記憶を蘇らせる。


 目の前にいる三人に心を操られ、彼を突き放したこと。

 その三人に純潔を散らされ、玩具のように扱われたこと。

 娼館に売られ、汚らわしい男に抱かれるだけの日々を送っていたこと。


 残酷な現実がどんどん押し寄せてくる。


 ただ、愛する人を失ったその事実に勝る悪夢はない。


 愛する人を失った私に、この世を生きる気力は起きなかった。

 二千年続けられてきた使命を、彼以外の男性と果たす気も起きなかった。






 ただ、一つだけ。


 私にはやらなければならないことがあった。


 私は彼の亡骸をそっと地面へ横たえ、手放した剣を拾い上げる、。

 胸にズキリと痛みを抱えながら、剣を振って彼の血を払う。


 目の前にいるのは、私を穢し、彼を殺させた三人の男たち。


 私の視線に気付いた三人のうちの一人、金髪の青年が叫ぶ。


『お、女狩り!』


 三人組の魔力が跳ね上がる。


「さ、さっさと魅了しろ!」


 その言葉を聞いた優男が首を横に振る。


「だ、ダメだ。処女じゃなくなって抵抗値が上がってるし、殺意で効きづらくなってる」


 慌てる金髪の青年の優男を見て、もう一人が地面に手をついて叫ぶ。


『し、召喚!』


 地面が輝くと突然少女が現れる。


「あなたたち、急に何……」


 少女はそう言いかけて、今にも彼らを殺そうとしている私と目が合う。


「……そういうことね。あなたたちなんて助けたくないけど……」


 少女がそう言いながら、右手を前に向けると、空間に歪が浮かぶ。


 何が起きたか分からなかったが、直感的に私は、このままではまずいと判断した。


 剣と足に魔力を込め、真ん中にいた優男を目掛けて、全力の突きを繰り出す。


 だが……


 三人の男と少女は忽然と姿を消し、私の剣は空を切る。


 その場に残されたのは、もう二度と動くことのない彼の亡骸と、いいように弄ばれ、彼の仇も討てない惨めな私のみ。


「(あぁぁぁっっっ!)」


 叫ぼうとしたが声が出ない。


 怒りと悲しみと無力さで狂いそうな感情のまま、私は拳を地面に殴りつける。


 痛みは感じるが、どこか遠い誰かのもののように感じる。





 やり場のない感情を持て余していると、誰かが近づいてくるのを感じた。


 奴らの仲間かと思い剣を構えた私の前に現れたのは、金髪紅眼の美しい少女だった。


「遅かったか……」


 少女は胸から血を流して横たわる彼の亡骸を見ながらそう呟く。


 開いた口から覗く牙から、彼女が人間ではないことに気付く。


 神国の奴らは亜人を滅ぼそうとしていると聞いた。


 牙の生えた彼女は、奴らの仲間ではないだろう。


 私は改めて目に入った彼の亡骸にフラフラと近付く。


 彼の亡骸のすぐ横で膝をついた私。

 敵に操られていたとはいえ、彼を殺した私には、泣く資格もない。

 声を失った私には、謝ることも、泣き声を上げることすらできない。


 そんな私をじっと見ていた金髪紅眼の少女が私へ話しかける。


「俺が遅れたせいで、貴女の大切な人を救えなくて申し訳ない」


 金髪紅眼の少女が頭を下げる。


「そんな俺にこんなことを言う資格はないが、俺は奴らを皆殺しにしようとしている。欲のために俺たちの国を滅ぼし、搾取する奴らに報いを受けさせようと思っている」


 少女の紅眼がきらりと光って私を真っ直ぐに見つめる。


「貴女が只者でないのは見ただけで分かる。できれば、俺と一緒に奴らを殺すのを手伝ってもらえないか?」


 私は考える。


 言われなくても奴らは殺す。


 だが、奴らの力の正体も、奴らがどこにいったのかも私には分からない。


 この場に来たくらいだから、この少女は、少なくとも敵を見つける手段は持っているはず。


 この少女のことはまだ信用できないが、あの人間たちのような妙な力を使われない限り、一対一で負けるつもりもない。


 私は少女の言葉に頷く。


 それを見た少女が微笑む。


「俺の名はグレン。貴女は?」


 私は、彼の返り血を指につけ、手のひらに文字を書いてグレンと名乗った少女へ見せる。


「サーシャか。よろしく頼む」


 私は、本当の名前ではなく、娼館でつけられた店用の名を告げた。


 エリサという少女は死んだ。

 敵に操られて、彼を殺した時に。


 今ここにいるのは、復讐のためだけに生きる、歩く死体だ。


 こうして、グレンと私の復讐の日々が幕を開けた。








「サーシャ。次狙うのは『旅行者』だ」


 『医師』を仲間にした後のグレンの言葉に、私は自分の感情が昂るのを感じる。


 誰のことか分からない花とフローラが首を傾げた。


 共に神国の人間に復讐を誓った相手ではあるが、素直で真っ直ぐな花と、他人のことを最優先にするフローラが、私は苦手だった。


 グレンがいなければ、きっとこの二人と手を組んではいない。

 私が彼女たちに心を開くことはないだろう。


「サーシャの仇を逃した相手だ。移動の概念を覆す『旅行者』の存在は厄介だ」


 グレンがあの女をどうするつもりかは分からない。


 間接的とはいえ、私の邪魔をしたあの女を、私は『医師』と同じように迎え入れられるだろうか。


 『医師』の女は、私自身が被害を受けたわけではないから、まだ我慢できた。


 だが、『旅行者』は違う。


 首に手をかけられる場所にやつが現れた時に、私はやつを切り刻まずにいられるだろうか。

 それは私自身にも分からなかった。

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