第2話 幸運からの滑落
―あれから1年後、西部地方にて
ガタンガタン。
舗装が一切されていない地方の街道を一台の馬車が走っていた。
「貴女はこれからどちらへと行かれるのですか?」
「
馬車の中では、淑女らしき綺麗なドレスを着た妙齢の女性が隣に座っている女性へと話しかけていた。
次の街に辿り着くまでには、まだ相当時間が余っているため暇を持て余して会話を始めたのだろう。
「そちらの貴方はどちらまで行かれるのかしら? もしよろしければ聞かせてはいただけませんこと?」
「…………」
女性は向かいに座り、帽子で顔を隠している男へと話しかけたが寝ているのか、無視されてしまった。
「この方、眠っているのかしら? よくもまぁこのようなところで眠れますこと」
「ほんとよねぇ~。このように揺れる馬車で眠れるなんて、きっと神経が図太い殿方なのではありませんか?」
女性二人は互いに口元を扇子で隠しながら、目の前に座る男に対して悪口を言っていた。
「…………俺のことを言っているのか?」
「きゃ!」
「ま、まぁ。貴方、起きていらしたのですか?」
「ああ、
その男は指で帽子の先を持ち上げると、目の前にいる女達へと視線を差し向けた。
「それとな。これから悪口を言うのならば、ソイツが目の前に居ないときにしたほうがいいな」
「あ、あの。それは誤解でして……ねぇ?」
「え、ええ。そうですわよ。今のは言葉の綾とでも申しましょうか。そのぉ~……」
悪口を言った女性達は言い訳を口にしようとしていたのだが、対するデュランはそれを見透かしたかのような甘い言葉を口にする。
「ふん。それでも特に綺麗な女性なら口に気をつけるに越したことはない。もし俺が言われたのならば、そのお喋りな口を無理矢理にでもキスで塞ぎたくなっちまうからな」
「ま、まぁ(照)」
「ぅぅっ(照)」
馬車の中では互いに顔を付き合わせて座っているため、女性達はデュランのその歯に着せぬ殺し文句に少し頬を赤く染めて、明後日の方を向いてしまう。
そして赤らみ熱を帯びた頬を冷やすよう、持っていた扇子で扇ぐことで必死に誤魔化そうとしていた。
「ふふっ」
そんな二人の様子を見ていたデュランは「これくらいで照れるとは、可愛げがあるな……」と、そんな意味深な微笑みを浮かべている。
(それにしても、あれからもう1年近くの月日が経っちまったのか。思いのほか、帰るまでに時間を食っちまったな)
デュランは窓の外へと顔を向けると畑が広がる田舎道の景色を眺めながら、今日まであった出来事を振り返った。
あの日あの時、デュラン・シュヴァルツは敵に左胸を撃たれて死んだはずだった。
しかし幸運なことに胸ポケットに入れていた金属製のライターが銃弾を受けてくれたおかげで、幸いにも怪我一つしないで済んだのだ。
そして運良く生き残ったデュランは東側の兵に捕虜として捕まり、西側による領土の
東西戦争の結果は両者による痛み分けとなり、東側は戦争を引き起こした責任として、西側に領土の一部を分ける割譲をすることで決着となった。
「……ま、生きて帰れただけでも儲けものってやつか」
誰に言うでもなく、デュランは馬車の窓から望む外の景色を眺めながらそう呟いた。
結局、デュランはあの戦争において何一つ色好い戦果は挙げられなかったものの、こうして無事に国へ帰れただけでも十分だと納得することにした。
あのとき、あの男が言っていたように『無事に生きて帰れること』こそが、何よりの幸せなのだと改めて実感する。
「んっ……そろそろか」
コンコン。
ようやく自分の町へと続く分かれ道が見えると、デュランは馬車前方の壁を叩いて馬の手綱を操る
「俺はここで降りるぞ。馬車を止めてくれ!」
「はいよ!」
カラカラ……ギーッ。
デュランが声をかけると同時に、二手に分かれる道の真ん中で馬車が停止した。
「じゃあな、お嬢さん達。それと一つ忠告なのだがな、俺みたいな悪いやつには特に気をつけろよ。じゃないと俺から離れられなくなるまでベットの中で愛されちまうからな。ふふっ」
デュランはそう言い残して、馬車を降りた。
残された二人の女性はまるで魅せられたよう、彼の後ろ姿を名残惜しそうに目で追ってしまう。
「さて、と」
ここからトールの町までは歩きとなる。
結構な距離であるが、目の前に広がる黄金色の麦畑の風景でも懐かしみながら歩けば、いつの間にか町まで辿り着いていることだろう。
もし馬でもあれば1時間もかからずに町へと着いてしまうだろうが、こんな何もない畑ばかりの田舎道では馬なんて居るはずがない。
「ま、のんびり行くとするか。俺には
デュランが戦地へと赴いたその日から実に数えて、1年と言う月日が既に経っている。
きっとマーガレットのことだから、俺が死んだとは思わずに今も帰りを待ち望んでいるに違いない。
いきなり顔を見せたら、絶対驚くに決まっている。
「ふふっ」
デュランはマーガレットの驚いた顔をしながらも「帰ってくるのが遅いわよ! ほんとアナタは馬鹿なんだから……私のことをこんなに悲しませられるのはデュランだけなのよ!!」と、まるで子供のように怒りながらも泣きじゃくる彼女の顔を想像してしまい、不謹慎にもつい口元が緩んでしまっていた。
ぶらぶらと気負うことなく、デュランは麦畑を眺めながらも街道沿いを歩き続け、ようやく自分の町まで辿り着いた。
「ああっ……1年経っても、この町は何にも変わっていないな」
それはデュランが見慣れた町そのもの風景だった。
先程まで立ち寄ってきた、都会の街にはとても程遠い『村』とも呼べる小さな集落。
だが紛れもなく、ここはデュランが住む『トール町』なのだ。
そして町にある唯一の店『マルス雑貨店』を通り過ぎたときのことであった。
ちょうど店の主、その見た目50過ぎの男性が店の外を掃除していたのだ。
「やあ! マルスさん、久しぶりだな。元気にしていたか?」
「あん? アンタは……ももも、もしかして……あのデュランかっ!?」
「ああ、そうだ。俺だよ。ほんと顔を見るのも、実に1年ぶりのことになるかな」
「なんでどうして……お前、生きていたのかよ!? 噂だと戦地で死んだはずじゃあ……」
マルスはまるで死んだ者でも見ているのかのように、デュランのことを頭から足先まで疑りながら見ている。
「ははっ。なんだよそりゃ。それじゃまるで俺が生きてちゃ悪いみたいな言い方じゃねぇかよ」
「いや……そんなんじゃねぇけどな……」
確かに最初はデュランが思い描いていた反応だったのだが、何故だかそれは喜びの表情ではなく、とても気まずいと言った感じに思えた。
「……マーガレットの嬢ちゃんにはもう会ったのかい?」
「いいや、まだだ。これからウチに帰るところさ」
「そ、そうか……お、俺は仕事があるから……またな」
何やら余所余所しいを通り越しているマルスの挙動不審な行動に疑問を持ちながらも、デュランは「仕事があるのだろう……」と気にも留めなかった。
「おおっ! ようやく戻れたな我が家よ!」
そうしてようやくデュランは自分の家へと辿り着くと、やや大げさな声と共に腕を広げて喜びを体全体で表していた。
「一体誰なのよ、ウチの前で騒いでいるのは……あ、あ、あ」
騒ぎを聞きつけ、玄関からマーガレットが文句を言ってやろうといった感じで出てきた。
そしてデュランを見るや否や、信じられないといった表情で指差して驚いていた。
「ああ、愛しのマーガレット。俺だ、デュランだ。お前の婚約者が帰って来たぞ!」
「…………」
デュランは両手を広げて、マーガレットを向かい入れようとするのだったが、彼女は固まったまま何も言葉を発しようとしなかった。
(もしかして驚かせすぎたかな? ふふっ。相変わらず可愛いやつめ。ならば俺から行ってやるとするかな)
そしてデュランは愛しのマーガレットを抱きしめようと近づきその手を握り締めると、すぐにその違和感に気づいてしまった。
「マーガレット……これは一体なんだよ? もしかして婚約……指輪なのか?」
「っ!?」
デュランが優しく大切に握った左手の薬指には丸くて硬い感触があったのだった。
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