3-13
明くる日の夜。公園に行くと街灯の下にルシファーの姿があった。
亜門はルシファーを完全には信じられていないため、彼に質問した。
「あんたルシファーなんだよな。だったら自分一人でエイワスなんて倒せるだろ? なんで俺みたいな非魔法使いのガキの手を借りようとしたんだ?」
ルシファーは悪魔の中でも最上位の存在だ。それが人間の魔法使いに負けるはずがない。
「亜門、君には悪魔の力を使う才能があると言ったな。それと同じように人間の中には神や天使、悪魔の力を扱うことに長けたものがいる。エイワスの代表『アレイスター・クロウリー』はそれに該当する。借り物の肉体で顕現している私では勝てないかもしれない。
サタンを倒した降神真理愛も君と変わらぬ人の身でありながら魔神を凌駕する持っている。それは天使との契約の賜物だ」
サタンは魔法世紀99年頃に虐殺を行った悪魔の王だ。魔王サタンの存在が人々に悪魔の恐怖をより深く刻みつけた。
降神真理愛は、神や天使と契約すれば人間が魔王二人を倒しうるという証拠だ。しかし悪魔と契約していたわけではない。むしろサタンの軍勢の悪魔契約者を魔法騎士は打倒していた。
「私は君を利用している。エイワスを倒すために」
ルシファーはその内心を隠さずに打ち明けた。
「じゃあ俺も力を手に入れるためにあんたを利用する。でも契約するのはエイワスが噂通り黒だったことを確認してからだ」
「ではエイワス学園に向かおう」
嬉しそうに純粋な笑顔を見せたルシファーが無造作に虚空に触れた。すると公園に似つかわしくない金属の重厚な扉が出現した。
「これは転移魔法だ。エイワスの敷地に続いている」
扉を開き、中へと消えていくルシファー。亜門は彼に続き、ゆっくりと扉の中に入った。
その扉の向こう側にはひっそりとした夜の森が広がっていた。ルシファーが扉を閉じると、扉は消滅した。
「ここがエイワス機関の敷地だ。エイワスの者に見つかれば攻撃されるだろう。ここに入ったものは生きては出られない」
そこまでして隠したい秘密があるのだろう。それが子供を使った魔法の実験だというのか。亜門はルシファーに騙されていたとしてもいいから、タケルが実験台になっていないことを願った。
森を抜けると病院に似た三階建ての白い建造物があった。ルシファーの隠密魔法の恩恵を受けてそこに入る。その中の実験室では、大きな試験管に入れられた子供たちが悲鳴を上げながら苦痛に身を捩り、悶えていた。
ルシファーの言っていることは真実だった。
実験台の子供はタケルではないものの、亜門はすぐにでも助けてあげたかった。ルシファーは子供たちの苦しむ姿を見て、怒りを感じているようだった。
───ジリリリリリリリリ!
その時だった。突然、警報が鳴った。
「六号実験棟にて脱走者。直ちに捕獲せよ」
そんなアナウンスが施設内に響き渡る。
「脱走者から内部の情報が聞けるかもしれない。助けに行くぞ」
走り出したルシファーに亜門も付いていく。魔力を感知して脱走者を追っているようで、ルシファーは迷いなく森の中を進んでいく。木々の開けた場所に中学生くらいの少年がいた。周りには二人の武装した警備員がおり、一人が少年をうつ伏せに倒して拘束していた。
それを見てルシファーは躊躇わずに姿を晒した。
「なんだおまえ!?」
警備員に気が付かれる。ルシファーはまるでオーケストラの指揮をするように虚空を手で撫でた。すると忽ち二人の警備員は気を失って倒れた。亜門にもそれが魔法だとわかった。
「大丈夫か? 安心しろ、私は君たちを助けに来た者だ」
二人は子供に駆け寄り介抱する。少年に怪我はないようだが、涙を流している。その手には見覚えのあるアーモンドの木の杖が握られていた。
「……その杖って」
亜門が疑問を口に出すと、少年は顔を上げて何かに気がついたようにハッとした。
「もしかして、タケルのお兄さんですか?」
「タケルを知ってるのか!? どこにいるんだ、教えてくれ!」
少年の肩を掴んで質問する。弟が生きていて、この施設のどこかにいるに違いないと思えて亜門は必死になる。
少年はまた俯いて、また涙を溢して、答えた。
「……タケルは死にました」
亜門は呆然として言葉を発せなくなった。時間が止まったように、何も思考できなくなった。そこに、
「おや、脱走者だけでなく、鼠が入り込んでいたようですね」
武装した警備員を引き連れて、白衣の男が現れた。亜門は黒瓜だとすぐに分かった。
「アレイスター、今すぐにここでやっている実験をやめろ」
ルシファーは黒瓜のことをアレイスターと呼称した。それが本来の名前なのだろう。
「悪魔が人助けですか。贖罪でも始めたのですか?」
黒瓜───アレイスターはルシファーを知っているようだった。
「もう少しで魔法の真理に辿り着けます。それにはそこの子供が必要なんですよ。返してください。そうすれば今回は見逃しましょう。その器では満足に戦えないでしょう」
アレイスターがルシファーへと人差し指を向けると、突如凄まじい衝撃波が発生した。ルシファーが周囲に透明な壁が出現させ、その攻撃を防ぐ。しかし長くは保たず、破壊されてしまい、ルシファーは片膝を地面についた。
「実験体番号10番、ここから出られないことは分かりましたね? 早くこちらに戻って来なさい」
アレイスターは少年を番号で呼ぶ。すると少年は立ち上がり、俯く亜門に杖を渡してきた。
「もしここから出られたらこの杖をお兄さんに渡してって、タケルに言われたんです。僕はここから出られないけど、杖をお兄さんにお渡しできてよかったです」
亜門の意識がはっきりとし始める。まだタケルの死が理解できていないが、自分の愚かな選択と、黒瓜のせいでタケルと両親が死んだということは理解できた。もう二度と間違うわけにはいかない。
「待て」
亜門は少年の手を掴み、その手に杖を返す。
「この杖は君が持っていてくれ。でも、君はここから出るべきだ」
タケルの杖を自分が穢すわけにはいかないと、亜門はそう思った。そして、タケルの友達や、同じように苦しむ子供たちを助けたいとも思った。亜門は立ち上がるとアレイスターを睨みつけた。
「おまえがタケルを殺したのか?」
「誰ですか君は」
アレイスターは亜門のことなど覚えていない。彼にとって亜門は頭の隅に置く価値もない非魔法使いだ。弟のタケルを手に入れるため演技して少し会話しただけの相手のことなど忘れている。アレイスターは実験体を集めるために数多くの非魔法使いを騙して、殺して来たのだから。
「タケルというのは実験体番号120番のサクライタケルのことですか? 彼はとても素晴らしい才能の持ち主だった。残念ながら死んでしまいましたが、魔法の真理に辿り着くための礎になれたのですから、彼も喜んでいるでしょう」
残念と言うが、アレイスターの言葉にも表情にも悲しみはない。子供を実験に使うことも、実験で子供が死んでもなんとも思っていないからだ。
亜門の中で静かに激情が迸る。行き場のなかった悲しみと怒りが、標的を定めた。
「悪魔、聞いているか。契約する」
亜門はルシファーの言う通りに、悪魔を呼ぶ。心の中に、すぐに返答が来た。
「少年よ、願いはなんだ」
地獄の淵から聞こえる、怒号のような囁き。亜門の願いは決まっている。もう、我慢しない。選択も間違えない。
「俺は魔法使いを殺す力を望む」
目の前にいる邪悪な魔法使いを殺すことだけが、亜門にある衝動と欲望だ。もう彼には守るべき家族はいない。肉体も魂も、全て失ったとしても、アレイスターを殺したかった。
「では代償に、其方の死後の魂の権利を頂こう」
「構わない」
「承諾した。其方の望みを叶えよう」
どくんと心臓が強く鼓動する。未来が薄まり、真っ暗になっていく。代わりに手では触れられない途方もない闇が己の内側に注がれていくのを感じた。
「そこのお兄さん。10番を離してください。邪魔をするなら殺しますよ」
アレイスターの警告を聞き、亜門は少年をルシファーに引き渡す。それが敵対の証と認識したアレイスターは容赦なく魔力弾を亜門に向けて発射した。
詠唱も手印もなしに放たれたのにも関わらず、人一人を殺し切る威力を持った攻撃、それが非魔法使いの亜門に直撃した。
しかし亜門に傷はなく、その場に立ち続けていた。その異変にアレイスターが訝しむ。ルシファーは嬉しそうに悲しそうに憐れみの表情を浮かべた。
「魔神憑依───ベエルゼブル」
契約した悪魔の真名を口にし、その力を解放する。己の肉体に魔王を憑依させ、多くの代償を払うことで少年は魔法を得た。
暴食を司る蠅の王ベエルゼブル、その契約能力は『吸収』。魔法、魔力を喰らい、自らの力とする恐るべき能力だ。正に魔法使いを殺すための力だった。
アレイスターの攻撃を吸収したことにより亜門は無傷だった。そしてこの攻撃のエネルギーを自分の魔力として獲得していた。
「ベエルゼブルだと? 非魔法使いごときが魔王の一柱と契約などできるはずがない。ルシファーの差金か」
アレイスターはベエルゼブルの名を聞き恐れ慄く。魔法使いにとって悪魔とは魔法の祖である。悪魔の力を使うと噂されるアレイスターとて、その悪魔の中でも最上位のベエルゼブルを前にして怯えた。
亜門の手に、穂先が蛇の形をした杖が出現する。顔は蝿の頭に、皮膚は黒く染まり、手足には黒い毛が生え揃った。亜門の体は巨大な蝿へと変貌した。これは憑依に伴う変身魔法で、魔王の本来の姿に近しい状態になることで力をより発揮しやすくしているのだ。
頭に流れ込む悪魔の記憶に従い、亜門は魔法を行使した。
アレイスターのものと同様の魔力弾が生成され、即座に放たれる。アレイスターは防御魔法を発動し、魔力の壁でその攻撃を防いだ。すると、その防御魔法が魔力の粒子に分解されて亜門の杖に吸収されていった。
「俺から全てを奪ったおまえの全てを奪う」
周囲の森から、エイワス機関の警備員から、アレイスターから、魔力が徐々に吸われていく。光の粒が蛇の杖に集い、羽虫の大群のように黒い闇へと変換される。
「死ね、魔法使い」
杖を振り下ろし、闇を放つ。恐怖と絶望で放心状態のアレイスターを黒色の魔力の本流が飲み込む。炎のように熱く、氷のように冷たい、魔力の圧力によって悪の魔法使いは塵一つなく消滅した。
亜門は悪魔の憑依と変身魔法を解き、人の姿に戻る。こんなものかと、怒りと憎しみが冷めていく。ふと、タケルの杖を持った少年を見ると彼の顔は変わらず悲しみに包まれていた。
もう絶対に取り戻せない存在があることに気がつき、黒い炎が再燃し始める。
「ルシファー。アレイスターのように、子供や非魔法使いを搾取する悪の魔法使いはまだ世の中にいるのか」
「世界には大勢いる」
「なら全員殺す」
自分の復讐は遂げられたが、この世の中には自分やタケルと同じように苦しみ悲しむ人々がいる。それは絶対に許せないことだった。
その許されざる行為に対して、亜門は対抗する力を手に入れていた。殺せばいい。殺せば無くなる。地獄行きの決まっている亜門がその役割を担うべきだと強く思った。
アレイスターを殺した後、亜門とルシファーはエイワス機関の研究施設から実験体にされていた子供達を助け出し、家族の元に返した。
このエイワス機関の粛清と子供たちの解放が、『世界魔法平等団体エクソダス』の最初の活動だった。
亜門はエイワスの粛清を行った者として指導者アロンを名乗ると、エクソダスを立ち上げ、魔法使い非魔法使い問わず、平等な世界を夢見る同士を募った。
魔王ルシファーの支援を受けたエクソダスは世界各地で魔法使いに対するテロ行為を繰り返し、掲げる平等な世界へと進み続けた。
そして、今度はアロンの故郷である、魔法使いが支配する街サイタマ市での活動を始めることとなる。
◇
魔法世紀116年 4月19日 土曜日 夜明け前
サイタマ市郊外の霊園。芝生の上には多くの墓石が並んでおり、その一つの前に男が佇んでいた。男は人を殺す時の冷たい動作とは真逆に、温もりに満ちた所作で墓に花を供た。
名残惜しそうに墓を立ち去ると、その顔を蝿の面で覆う。自分を隠し、騙すように。彼はこうしてアロンになる。
霊園の道路の真ん中に開いた黒い空間の歪みの門を潜り、アロンは巨大な地下空間へと転移する。
その、神殿のように大きな柱の立ち並ぶ地下空間には覆面や仮面で身分や容姿を隠したエクソダスの兵士らが整列して集っており、高台に設けられたステージに現れたアロンへと全員が視線を向けた。
「これより、第八の災禍を執り行う。喜べ同士たちよ。我らの目指す平等な世界は近い」
不気味な声が地下空間に響き渡る。エクソダスの兵士たちはその声に救い主を見出す。
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