2. 神殺し

「ふぅ……、危なかった……」


 森の中ですっかり中身を出したベンは、恍惚こうこつの表情を浮かべながら、青空をゆったりと横切る雲を眺めていた。


「あぁ、生き返る……」


 チチチチと小鳥たちがさえずる声を聞きながら、ベンは天国に上ったような気分で目を閉じる。もうあの腹を刺す暴力は去ったのだ。


 勝利……。そう、あの悪魔的な便意に打ち勝ち、肛門を死守したのだ。若干漏れてしまったが実質勝利と言っていいだろう。


 グッとこぶしを握り、ガッツポーズをしながらベンは自らの健闘を讃えた。あの苛烈な戦いからの無事生還はまさに奇跡である。


 ベンがにんまりとしていると、いきなり空の方から女の子の声が響いた。


「きゃははは! ベン君、すごいね! 千倍だって!」


 見上げると、青い髪の女の子が、近未来的なぴっちりとしたサイバーなスーツに身を包んでゆっくりと降りてくる。透き通るような肌に、澄み通るパッチリとした碧眼へきがん。その人間離れした美貌には見る者の心をぐっとつかむ魔力をはらんでいた。


「あっ! シアン様!」


 ベンは思わず叫ぶ。そう、この女の子は、ベンが日本で死んだ時にこの世界に転生させてくれた女神だった。


 しかし、ベンには不満がある。普通転生と言えばチートなスキルが特典としてもらえるはずなのに、ベンには【便意ブースト】という訳わからないスキルだけで、逆にレベルが上がらない呪いがかけられていた。このおかげで強くもなれず、貧困の中で必死に荷物持ちなんてやる羽目になっている。


「このスキルなんなんですか? せっかく転生したのに散々なんですけど?」


 ベンはここぞとばかりにクレームをつける。


「え? そのスキルは宇宙最強だよ?」


 女神は小首をかしげて言う。


「は? 何が宇宙最強ですって?」


「便意を我慢すればするだけ強さが上がっていくんだよ。さっき千倍出して魔人瞬殺してたよね?」


「は? 魔人?」


 排便のことに必死であまり覚えていないが、確かに何かしょぼいピエロのようなオッサンをパンチで粉砕したような記憶がある。ベンの攻撃力は十しかないが、千倍となれば一万になる。勇者の攻撃力だって千は行っていないはず。あの時自分は勇者の十倍以上強かったということらしい。


 荷物持ちどまりとして散々馬鹿にされてきた最弱の自分が、あの瞬間は人類最強だった。


 バカな……。


 ベンはかすかにふるえる自分の両手を見た。この手で魔人を粉砕したなど全く実感がわかないが、確かにそうでなければ説明がつかない。


「人間は便意を我慢すると集中力が上がるんだよ。そしてその集中力に合わせてパラメーターをブーストするのが【便意ブースト】。我慢すればするだけどこまでも上がるので宇宙最強だよっ!」


 シアンはニコニコしながら楽しそうに言った。


 ベンは絶句した。なんという悪魔的なスキル。人が苦しむのを楽しむために作ったような酷い仕様である。


「いや、ちょっと待ってくださいよ。なんかこう、念じるだけでブーストしたっていいじゃないですか。なんでよりによって便意なんですか?」


「人間はね、なぜか便意の我慢が強烈なパワーを生むんだよね。あれ、なんなんだろうね? きゃははは!」


 シアンはそう言って楽しそうに空中をクルッと回った。腰マントがヒラヒラッと波打ち、まるでゲームのエフェクトみたいにそこから光の微粒子がキラキラと振りまかれる。


 ベンはウンザリして首を振った。どんなに宇宙最強と言われたって、あの猛烈な便意を我慢し続けたら人格が崩壊しかねない。


「こんなスキル要らないです。弱くていいからもっと別なのに変えてください」


「ダメ――――!」


 女神はそう言って腕で×を作った。


「な、なんでですか?」


「だって君、素質あるよ。【便意ブースト】で千倍出したのって君が初めてなんだよね。やっぱり真面目な子って素敵。僕の目に狂いはなかった。この調子なら……神すら殺せるよ。くふふふ」


 シアンは何やら穏やかでないことを言って、悪い顔で笑った。


「か、神殺し……? いや、神なんて殺せなくていいから……」


「正直言うとね、この星、もうすぐ無くなるかもしれないんだ」


 急に渋い顔になるシアン。


 ベンはいきなり世界の終わりをカミングアウトされ、驚きで目を白黒させる。


「へ? それって……、僕たち全員死んじゃうって……ことですか?」


「そうなんだよー。で、君にちょっと救ってもらおうと思ってるんだ。いいでしょ?」


「ど、どういうことですか? 僕、嫌ですよ!」


 しかしシアンは聞こえないふりをして、


「次は一万倍、楽しみだなぁ」


 と、嬉しそうに笑う。


「何が一万倍ですか! こんな糞スキル絶対二度と使いませんからね!」


 ベンは真っ赤になって叫んだ。しかし、シアンは気にも留めずに、


「あ、そろそろ行かなきゃ! ばいばーい。きゃははは!」


 と、言ってツーっと飛びあがる。


「あっ! ちょっと待……」


 ベンは引き留めようと思ったが、女神はドン! と、ものすごい衝撃音を上げながらあっという間に音速を超え、宇宙へ向けてすっ飛んでいってしまった。


「なんだよぉ……」


 ベンはぐったりとうなだれた。何が宇宙最強だ、何が星を救うだ。なんで自分だけがこんなひどい目に遭うのか、その理不尽さに腹が立った。


 絶対女神の思い通りになどならん!


 ベンはグッとこぶしを握ると、二度と糞スキルなど使わないと心に誓った。




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