19. 魅惑的な禁断の芸術

「おぉ、あれなのだ!」


 柵を超え、運河の護岸の上から身を乗り出して美空が叫ぶ。確かにそこにはぽっかりと人の背丈ほどの穴が開いており、チョロチョロと水が落ちている。


「敵機接近だゾ!」


 シアンが空を指さす方向を見上げると、青空の向こうに何か小さな黒い点が動いている。


「あのドローンには三キロの爆弾が搭載されているから、近くで爆発したら死ぬゾ」


「マジかよぉ!」


 焦った玲司は急いでひょいひょいと護岸を降りていき、器用な身のこなしでバチャン! と暗渠あんきょの水たまりに着地した。


 続いて美空が降りてくる。


「上見ちゃダメなのだ!」


 え?


 つい上を見てしまう玲司。


 ワンピースが風で煽られてふんわりと広がる。


 スラリとした白い肢体からふくよかに流れるライン、それは禁断の芸術だった。


 お、おぉ……。


 日ごろ女の子と縁のない玲司にとって、目の前に展開される神々しい世界は刺激が強すぎる。思わず鼻血が出そうになって額を押さえた。


 バチャン! と、降り立った美空が座った目で玲司をにらむ。


「見ーたーわーねー」


「い、いやっ! な、なんも見とらんですハイ!」


 目を合わせられない玲司。


天誅てんちゅう!」


 バチーン!


 この日二度目のビンタが玲司を襲った。


 あひぃ!


 パチーン! パチーン! と暗渠の中にこだまが響く


 悪意があったわけじゃないのに、叩かれてしまう玲司は理不尽さにうなだれる。でも、見た目の幼さとは裏腹な魅惑的なラインに目が釘付けになってしまった以上、それは仕方ないかもしれない。


「じゃれてないで、急がないと突っ込んでくるゾ」


 シアンは逆さまになってふわふわと浮かびながら、つまらなそうに忠告する。


「ふんっ!」


 美空は不機嫌そうにバチャバチャと水を跳ね上げながら奥へと歩き始めた。


「あぁ、待って!」


 玲司は後を追う。


 下水道とはいえ、雨が多量に降らなければただの雨水といなので、臭いも思ったほどひどくはない。


 二人はしばし無言で奥へと進んだ。


 どこまでも続く暗く狭い暗渠、何百メートルか進んだだろうか、さすがに心細くなってくる。


「ねぇ、これ、どこまで行くの?」


 狭い暗渠にボワンボワンと声が反響する。


「さぁ?」


 美空はご機嫌斜めである。


「もっと優しくしてやってあげて。ご主人様は美空が大好きなんだゾ」


 シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべて美空に言った。


 ブフッ!


 思わず吹き出してしまう玲司。


 美空はくるっと振り返り、まるで汚らわしいものを見るかのような目で玲司を見る。


「なんなのだ? あたしにれたの?」


「いや、その……。シアン! ふざけるの止めてよ!」


 玲司は真っ赤になってシアンに怒る。


「だって、あの目は惚れてる目だったゾ」


 シアンは嬉しそうにくるっと回る。


「あの目っていつの話だよ!」


 シアンに対して怒っていると、美空はずいっと玲司の顔をのぞき込む。その透き通るような肌に整った目鼻立ち。まだ幼さが残っているが、ジュニアアイドルとしても十分通用するであろう美貌は、目を放せない魅力を放っている。


「あたしに彼女になってほしいのだ?」


 美空は小首をかしげ、ぱっちりとした目をキラリと光らせて聞いた。


「えっ!? か、彼女……?」


 玲司はいきなり核心を突かれてドギマギしてしまう。彼女なんていたことない、女っ気のない玲司にとって、こんな可愛い頼もしい彼女がいたらそれは夢のような話である。


 とはいえ、今日会ったばかりの娘にいきなり告白だなんて、さすがにやりすぎではないだろうか? きっと美空なら今まで多くの男たちに言い寄られているはずだ。今自分が立候補したって、笑われてからかわれて終わるだけな気もする。


 しかし、これはチャンスなのかもしれない。言うか? 言ってしまうか? バクンバクンと心臓が高鳴る。


 玲司は奥歯をギュッとかみしめ、大きく息を吸った。


 と、その時、美空は腕を×にして、つまらなそうな顔で、


「ブーッ! タイムアップなのだ! 即答できない男はアウト!」


 そう言うと、くるっと振り向いてまたバチャバチャと暗渠を歩き出した。


「えっ!? 待って待って! 彼女になって!」


 玲司は急いで追いかけるが、美空はチラッと玲司を振り返ると、


「判断が遅い!」


 と、低い声で一喝する。


「え?」


 唖然とする玲司。


「ご主人様、幸運の女神には前髪しかないんだゾ!」


 肩をすくめ、あきれるシアン。


「そ、そんなぁ……」


 ガックリと肩を落とす玲司。


 すると美空はくるっと振り向いて、


「まぁ、そのうちまたチャンスは来るかもなのだ」 


 そう言ってパチッとウインクをした。


「お、おぉ、次こそは……」


 そう言って、玲司は『自分は美空が好きで、狙っている』という設定になってしまったことに気づいた。さっきまで意識もしていなかったのに。


 玲司は今日、全ての人生の歯車が轟音を上げながら回りだしたのを感じていた。



       ◇



 一行はさらに奥へと進む。


「結局これはどこまで行くの?」


 玲司はシアンに聞いた。


「行けるまで行った方がいいね、データセンターには近づいているゾ。ふぁーあ」


 シアンはあくびをしながらフワフワと浮いてついてくる。


 さらに進むと、暗渠は終わり、丸い下水道管が口を開けている。ちょっと人が入るには厳しい感じだった。


「ここまで、かな?」


「仕方ないのだ。玲司は外見てきて」


 そう言って上を指した。


 上には穴が開いていて手すりが付いている。マンホールに繋がっているようだ。


「ほいきた!」


 玲司はヒョイっと手すりに飛びつくと登っていく。美空にいいところを見せねばならない。


 一番上まで登るとマンホールを押し上げる。


 ぬおぉぉぉ!


 重い鋼鉄のマンホールはギギギッと音を上げながら持ち上がり、ガコッと外れた。まぶしい陽の光が中に差し込んでくる。


 よいしょっと!


 マンホールをずらし、まぶしさに耐えながらそっと顔を出す。


 目の前には巨大なガラス張りのオフィスビル。どうやらビルの敷地内のようだ。


 日曜ということもあって人影は見えない。


「おーい、大丈夫そうだ」


 そう言うと、美空を引き上げる。


 そして、シアンに言われた通り、ビルの通用口に走った。


「はい、Suica出して」


 はぁ?


 シアンがいきなり訳わからないことを言うので戸惑う。


「持ってるでしょ? 交通系ICカード。それをここに当てて」


 シアンは通用口のわきの電子錠を指す。


「そりゃぁ持ってるよ? ほら」


 玲司は財布からSuicaを取り出すと電子錠にかざす。


 ブブ――――!


「ダメじゃん!」


「焦らない、焦らない……。ご主人様のカード番号を読んだだけだからね。それに管理者権限を付与すると……。はいどうぞ」


 ニコッと笑うシアン。


「え? もう一回ってこと?」


 半信半疑で再度かざすと、ピピッという音がしてロックが外れた。



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