第85話 炎の魔女を倒せ
かまくらの外は酷く吹雪いていた。白一色の世界で、先がまったく見えない。リアムは、これでさらに敵の足止めができたという。
徹夜してしまったリアムとミーシャは、戦いに供えるために一時の間、仮眠をとることにした。
身体は疲れで重く、横になればすぐに寝付けると思っていたが、その期待はあっけなく裏切られた。
……ね、眠れない。
氷の宮殿では毎晩一緒のベッドだった。お互いの体温が伝わる距離で寝起きした。だけどそれは、治療のためだった。仕事だと割り切れた。
しかし今はリアムが好きと自覚している。澄み渡る美しい星空とオーロラが見える夜に、リアムと気持ちを通わせてしまった。必要以上に彼を意識してしまい、好きと言う感情がミーシャの眠りを妨げる。
一方のリアムは、すうすうと寝息をたてていた。瞳を閉じた彼に、幼いころの少年リアムを重ねる。
さらさらで、柔らかそうな銀色に輝く彼の髪に触れたい。しかし今動いたら起すかもしれない。そう思いミーシャはリアムの腕の中からの脱出を諦め、しかたなく、彼の伏せられた長いまつげを一本一本数えた。
「……時が、止まれば良いのに」
「ミーシャと一緒なら、いいよ」
リアムの目が開いて、ミーシャは驚いた。
「お、おはよう。もう少し、寝る?」
「いや、そろそろ起きる。ミーシャは、眠れなかった?」
「大丈夫。少しまどろんだから」
まだ眠そうな顔のままリアムは、ミーシャに手を伸ばす。顔にかかったままの髪をやさしく触れ、手で梳いて整えていく。
「淡くてやさしい桃色に、少し黄みがかっているミーシャの髪は、陽に透かすと特にきれいで、好きだ」
「……ありがとうございます」
リアムはミーシャを腕枕するのを止めて、上に覆い被さってきた。上からじっと見下ろされていると緊張が増してくる。息を潜めて彼を見つめ返した。
「眼も、鼻も口も、手の先、足の先までミーシャは美しい」
組み敷いたまま甘美な言葉を口遊んだリアムはまず、ミーシャの前髪に唇で触れた。次に額と瞼、頬、耳へとミーシャを確かめるようにキスを落としていく。恥ずかしくて抵抗したいが、触れていい、拒否しないと言ってしまった手前、がまんして彼のしたいようにさせる。されるがままに受け入れる。
熱を帯びた深い口づけを交わしたあと、ミーシャはリアムの髪に手を伸ばした。
「リアムの方が美しいです。陽に照らされて輝く銀色の髪と、神秘的な碧い瞳、男の人なのにすべすべの肌、きれいで、うらやましいです」
「うらやましがる必要はない。俺のすべてはミーシャの物だから」
そういうことをさらっと言わないでほしい。心臓に悪い。向けられる瞳はやさしくて、朝から溶けてしまいそうだ。
冷酷で無慈悲と言われる氷の皇帝リアムの気性は、実は、とても熱い気がした。
「ミーシャ。すべてが片付いたら、婚約関係を改めて結ぼうか」
言葉の意味を咀嚼するために目を瞬いた。
「俺が送った手紙。治療が済んだら帰るという内容の契約に君は変えてしまった。……今すぐ破棄して、新しい物を結びたい」
彼が何を言おうとしているのか、ようやく理解して思わずくすっと笑った。
「……何がおかしい」
少し不機嫌な顔でリアムはミーシャを見た。そんな表情ですら愛おしい。
「あの時は、誰かとリアムが幸せになれば良いって思っていたから。本当はもう、リアムのこと好きになっていたのに。私ったら、ばかだなって思っただけよ」
ミーシャは愛しい人の頬を、包み込むように触れた。
「契約はそのままでもいいよ。治療が長引けばどのみち、私はあなたの妃になるんでしょう?」
「俺は、特別な人を作るつもりはなかった」
「……言ったでしょう。その考え、変えさせてみせるって。それとも婚約を断る権利、駆使しますか?」
リアムは不敵に笑った。
「ミーシャが俺に、生意気なことを言うようになった」
「私のこと、嫌いになる?」
「なるわけないだろう。結婚はするつもりなかった。だけど、ミーシャとならしてもいいかなって」
してもいいは微妙な答えだ。ミーシャが思わず冷めた目を向けると、リアムはめずらしく慌てた。
「
出会ったころと変わらずに、誠実な人だとミーシャは思い、彼に微笑みかけた。
「私は、リアムのそばにいられるならどんな形でも良いよ」
「君がそばにいてくれるなら、俺は何が何でも凍化病を克服して、長生きする。先に死んだりしないからミーシャも、……今度は絶対に、俺の前で、先に死ぬな」
切実に願うような声と瞳で言われ、胸が痛い。ミーシャはリアムの腕に手を回すと、自分から彼にキスをした。
「何度でも約束する。あなたのそばを離れない」
あなたが安心するまで、何度でも。
しばらくして、リアムは起き上がると、かまくらの外を見た。
「……オリバーは、冷凍睡眠から目覚めて八年と言っていただろ」
「ある人が、氷の国へ運んでくれたと言っていました」
「ある人とは、おそらくビアンカだ」
ミーシャは驚いて、目を見張った。
「なぜ、ビアンカ皇妃が?」
「ビアンカとオリバーは、彼女が兄の妃になる前から知り合いだった。俺が皇帝になるまでは、先帝である兄のクロムがビアンカの後宮に出入りしていたから、目覚めてからもあいつがあそこに潜伏していたならば、さすがに報告が上がってくるはず。後宮内で療養していたとは考えにくい」
「えっと……。ちょっと、待って。と言うことはオリバー大公とビアンカ皇妃は……」
「グルだろうな」
ミーシャは驚きすぎて、言葉を失った。
「オリバーは療養しながら帝都やフルラ国に、あの本を広め回っていたんだろう。悔やまれるのは、その頃に奴を始末できなかったこと」
「リアム」
ミーシャは身体を起すと、彼をじっと見つめて伝えた。
「言ったでしょう。憎しみに染まってはだめって。復讐は負の連鎖しか生まない。あなたの心は救われないわ」
「ミーシャはオリバーを許せるのか? あの人はクレアに兵を差し向け、死に追いやった張本人だ。クレアから魔鉱石の生成方法を盗み出し、偽物魔鉱石を大量に生産し戦争利用した男。目覚めてからも奴は、魔女の印象を悪くする内容の本を配り回った。どうしてあいつを許さないといけない?」
「オリバー様のしたことは私も許せないよ。無理に、許さなくてもいいと思う。ただ、話し合いのテーブルにつく前に、相手を殺してはわかりあえないでしょう? 一方的に傷つけるのは違うと思うの」
「犠牲を増やさないためにはそれも手だ」
「リアム。私は、復讐に生きるよりも、あなたと幸せに生きる道を選びたい」
リアムはじっとミーシャを見つめた。そして、両手を伸ばすと、大きな手でミーシャの耳を塞いだ。彼は自分で塞いでおきながらミーシャの耳に囁いた。
「タイミング良く、カルディア兵がお通りだ」
ミーシャは息を呑んだ。吹雪の向こう、雪原をたくさんの人が踏み入り、前へ進んでいくのが白く霞む世界に見えた。
「「魔女を倒せ。皇妃を救え!」」
耳を塞がれていても聞こえてしまった。
「……カルディアにも、魔女は悪い者と伝わっているのね」
「オリバーのしわざだろうね」
リアムは雪の向こうにいるカルディア兵を、冷たい眼で睨んでいた。
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