第3話 悪い魔女クレア
外へ出たミーシャはまず、老夫婦の家を訪ねた。次に学校と診療所を回った。最後に訪問した場所は、戦争で親を亡くした子供が暮らす孤児院だ。
施設は最近、ガーネット家の支援で建て直したばかりだ。壁は元気が出るようなレモン色。楽しそうな声が聞こえてきて敷地の中を覗くと、庭で駆け回って遊ぶ子供たちの姿が見えた。
「あ、お姉ちゃんだ! こんにちは」
「見て、お姉ちゃん。落ち葉拾ったよ!」
「みんな、こんにちは」
子供たちはミーシャに気づき、飛んで来た。拾ったどんぐりや落ち葉を次々に嬉しそうに見せてくる。あっという間に囲まれ動けなくなった。
「今日はみんなにクッキーを作ってきたの。中に入っておやつにしよう」
「クッキー食べる! ありがとう!」
目を輝かせ、子供たちはミーシャの手を引いて、建物の中へ入っていく。
クッキーは昨日の夜に作った。厨房の一部を借りてしまい
「ミーシャさん、ようこそ」
「こんにちは。シルバーさん」
出迎えてくれたのは、孤児院を切り盛りしている院長だ。母エレノアと同世代の彼女は、いつも穏やかでにこやかだ。
食堂に移動し、院長が出してくれた紅茶をいただく。飲みながら子供たちがおいしそうにクッキーを食べる姿を眺める。この瞬間は頬がどうしても緩む。
「いつも一緒の侍女の方は? お一人なんて珍しいですね」
「え、ええ。ライリーは忙しいみたいで……」
黙って抜け出して来たとは言えない。歯切れ悪く答えていると、一人の女の子がミーシャの元に笑顔でやってきた。
「お姉ちゃん、絵本読んで」
差し出された本を見てミーシャは固まった。表紙には『氷の皇帝と炎の魔女』とタイトルが書かれている。黒い服を纏い、赤い髪をなびかせ、目つきの悪い意地悪そうな女性がぎろりと睨んでいる。
「この本、どうしたの?」
「新作なんだって。ボランチアの人がくれたの」
「ボランティアの方が。そう、良かったね」
「その人もね、せんそーでいっぱいケガしたんだって。だから困ったときはお互い様なんだって」
「戦争で……」
十六年前の戦争の被害者かもしれない。
「その人ね、この本の王子さまみたいに目が青いんだよ!」
説明しながら女の子は嬉しそうに本のページをめくろうとしたが、それを見かけた男の子、ルカが慌てて止めた。
「こら、エマ。この絵本は読んじゃだめって言われているだろ」
「やだ。返して!」
エマは絵本を取り上げられ、怒っている。
「こっちへおいで。エマの好きなバタークッキー、食べられてなくなるよ」
ルカがやさしく話しかけるとエマは、はっとした顔になった。慌ててみんなのもとへ戻っていく。ルカも戻ろうとしたが、ミーシャは彼を引き留めた。
「ルカくん、どんなことが描かれているか、見せてもらってもいい?」
ルカは一瞬困った顔をしたが、本を渡してくれた。彼が去ると、さっそくぱらぱらとページをめくった。
絵本には悪い魔女クレア・ガーネットが魔鉱石を使って、人々を操り世界を支配しようとしたが、グレシャー帝国の英雄リアム陛下が皇子だったころ、魔女をやっつけ、平和になったと描かれていた。そっと本を閉じる。
想像通りの本の内容に悲しくなったが、それを悟られないようにミーシャは、笑みを顔に貼り付けた。
「ミーシャさま、ごめんなさいね。手が届かないところにしまっておいたのに。この本はすぐに処分します」
「捨てなくてもいいです。せっかくボランティアの方から頂いた本でしょう?」
シルバーは辛そうに顔を歪めた。
「この絵本は今、グレシャー帝国で流行っているそうです。ガーネット女公爵様は我がフルラ国を守る頼れる魔女なのに。こんな小さな孤児院のことまで気にかけて、施してくださる方たちを悪く言う本と国は許せません……」
ミーシャは首を横に振った。シルバーにやさしく微笑みかける。
「戦争が終わって同盟を結んでから十年以上が経ちましたが、両国のわだかまりが完全になくなったわけではありませんよね。それでも、少しずつ、この本が流通するほどに、お互いが歩み寄ってきている。良い兆しだと思いませんか?」
耳を傾けていたシルバーは目を見開いた。
「ミーシャさま。今年、何歳になられましたか?」
「私ですか? 十六です」
孫でも見るように目を細め微笑みながら、シルバーは深く頷いた。
「この本を見て良い兆しと言える、局所ではなく大局を見られるあなた様はとても頼もしいです。次期、ガーネット女公爵さまになってくださるのなら、この国は安寧ですね」
ミーシャは慌てて首を横に振った。
「私は、母やクレアほどすごくないです。できることは、薬草から薬を作って、困っている人に届ける。それくらいです」
「とても立派なことですよ。ミーシャさまのおかげでたくさんの人が助けられています」
「まだまだです。もっと力になりたいと思っています。それと、シルバーさま。私の正体はどうか子供たちには内緒で……」
ガーネット公爵の令嬢であるミーシャは院長のシルバー以外には身分を隠している。薬草を摘み、街を自由に歩き回り、薬を配るためだ。正体がばれるとしたいことができなくなる。
「わかっていますよ。ガーネット女公爵さまからしっかりと頼まれておりますので」
母エレノアとシルバーは昔からの知り合いだ。孤児院の院長シルバーは顔が広い。彼女のおかげでミーシャは困っている人の元へ薬を届けることができた。
感謝の言葉を述べ、雑談をしていると、時計が四時を知らせる鐘を鳴らした。
「いけない、もうこんな時間。また、来ますね」
残りの紅茶を飲み干してミーシャは席を立った。クッキーを食べ終えた子供たちがわっと集まってくる。
「お姉ちゃん、もう帰るの?」
「うん。まだ行くところがあるの。ごめんね」
「帰らないで。一緒に遊ぼう!」
子供たちに悲しそうな目を向けられて胸が痛い。ミーシャはしゃがみ込むと薬指を出した。
「また、お菓子持ってくるね」
「今度は外で鬼ごっこしようね!」
「わかったわ。約束ね」
遊び足りない子供たちに次の約束をして、ミーシャは孤児院をあとにした。
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