第3話 朝、宦官は帝姫に迫られる③

 開いた包みの中にはいくつもの木筒が入っていた。翠明が白い紙を敷いた上にその中身を開けていくと、何種類かの茶葉であるらしい。室内に香ばしい茶葉の香りが広がった。


「これも、これも国内では有数の高級茶葉ですわ。特に問題も見当たりませんし、今回も本当に差し入れだったのでしょうかね」

「急な訪問だったので警戒したが……」


 首をひねりつつ茶葉を筒に戻した翠明が、他の筒をどんどん開けていった。その中の一本を開けた瞬間に甘い香りが白狼の鼻をつく。紙の上に広げられた茶葉は、大ぶりな葉を手もみしたのか随分といびつな形をしていた。

 これは知ってる、と白狼が頷いた。


「これ、甘茶あまちゃだ」

「甘茶?」

「ああ、お前知らねえのか? お茶のくせに口が曲がるほど甘いんだ」


 何の催しだったかは分からないが昨年どこかの街で寺院の連中が施しをしていたのを思い出し、白狼は身を乗り出した。決して好みではなかったが、お茶だというのに口に含むと随分と甘いもんだとびっくりした覚えがある。


「口が曲がるほどって、お前それは苦いとか渋いとかいうときの言い方じゃ……」

「いや、本当なんだって。すげえ甘いし、舌の端に何となく苦みがあってさ。変な味なんだよ」


 納得しかねる銀月は形の良い唇に当てていた指を離すと、茶葉をつまんでにおいを嗅ぎそしておもむろに口を開いた。しかしぎょっとした翠明より早く、白狼がその手を払う。ぱしんと乾いた音がして茶葉が宙を舞った。


「何をする」

「それはこっちの台詞だよ馬鹿野郎」


 世が世なら、この一言で白狼は首が飛ぶ。実際すぐさま白狼の後頭部に翠明の拳骨が振り下ろされた。着替えの前の一撃より強烈な拳に目を白黒させながらも、白狼は紙の上に広げた甘茶をかき集めた。


「不用心に食うなってんだ。甘茶は毒にもなるんだから」

「なんだと?」

「どんくらい強い毒かは知らねえけど、子どもたちがぶっ倒れたことがあったんだ」


 そう。茶を飲んだ子どもたちが次々と不調を訴えたのは嘘ではない。


 以前の祭りの際、寺院の施しで飲んだ甘茶は白狼の好みではなかった。しかし日頃甘いものをそれほど口にしない街のガキどもにとっては、この甘味は大層なごちそうに感じたらしい。施しの列に群がる子どもの数を見た白狼が何か思いつくのは必然だろう。

 施しの手伝いをすると見せかけ、茶の支度をしている僧侶たちの後ろに近づき茶葉の袋を「拝借した」のだ。


 しかし煎じてみようとは思ったものの肝心の方法を見るのを忘れ、適当でいいかと煮立った湯に茶葉を投入してみれば濃厚な風味の甘茶ができた。これがまずかったのだろう。小銭を片手に茶を買いに来た子どもたちが、一刻もしないうちに腹痛や嘔吐などの症状を訴え始め親が怒鳴り込んできたのだった。


「……ってわけでさ。まあちょっと休めば治まる程度だったけど」

「それは茶ではなくお前が悪いのでは……?」

「まあそう言われりゃそうなんだけどさ」

「僧侶の施しでそういった事例がないのであれば、単に茶の濃さの問題か?」


 ふうん、と銀月はまた茶葉に目を落とした。毒と聞いて目の色を変えた侍女たちの本音ではさっさと紙に包み屑籠に捨ててしまいたいようだったが、主がまじまじと観察しているのでそうもいかずに顔を見合わせている。


「単なる見舞いか、それとも……」


 思案顔をしながら銀月が再び葉をつまみ上げると、翠明の眉がきゅっと吊り上がった。主思いの侍女頭の険しい表情を横目に、白狼は卓の上に広がる葉を覗き込む。


「なあ、皇后って、この国の皇帝の女房なんだろ?」

「そうだ。私の嫡母ちゃくぼでもある」

「嫡母って育ての母ってやつ? そいつから送られてきたものに、なんでそんなに警戒してんだよ」


 今朝からの騒動を思い起こして疑問に思えば、周囲の視線が一斉に白狼へと注がれた。


「へ?」


 痛いほどに突き刺さる視線に戸惑った白狼は、訳も分からず辺りを見回した。その場にいる全員がやや呆れたような顔をしている中、銀月だけが得心した様子で口を開いた。


「そういえばお前には言ってなかったな。五年前、私の母を死に追いやったのは今の皇后だ」

「え?」

「しかも皇后はその時に殺し損ねた私について、今もその機会を窺っている」

「って、お前の育ての親じゃねえのかよ!」

「四方見渡しても私には敵が多いが、皇后が後宮においてもっとも明確な敵だろうな。しかも私の性別を今もなお疑っている。次に貴妃、そのまた次に……そうだな、礼部尚書の亥氏あたりが私を邪魔に思っているのではないかな」


 ふっと銀月が苦笑いを浮かべた。その表情はあの夜――白狼が銀月の秘密を知った夜に見たものと同じだった。半月ほど前、河西の離宮で生きるために女の姿をしているといったあの時に己と同じように性別を偽っているこの姫君に湧いた親近感が蘇る。


「だからこそ今日、侍医の診察の際に皇后の使いが来ると聞いて身代わりをしてもらった。相手は女官だが、皇后の命令だと言えば室内に入って服を脱ぐところを見られる可能性がないわけではない」

「なるほど……」


 だったら先にそう言っとけよという思いは飲み込み、白狼は茶葉をつまんで屑籠ごみばこに放り込んだ。残りの茶葉も、他の筒もまとめて籠に押し込める。それを担いで銀月の腕を引いた。


「じゃあこれごと皇帝のとこ持って行ってやろうぜ。皇后に毒差し入れられましたってな。敵が分かってりゃ上等じゃねえか、逆に潰してやれよ」

「それが出来たら苦労せぬ。こんなもの、ただの甘茶と言われたらそれまでだろう」

「なんでだよ」

「皇后の実家は先帝の外戚にあたるこの国有数の高位の貴族だ。父上は頭が上がらないし、今の私にもまだ力が足りない。皇后や有力な貴族たちを力技で裁くことができないのだ」


 政治向きの話が全く分からない白狼は、その話に納得などできるはずもなかった。皇帝とその息子が真正面から喧嘩を仕掛ければ向こうの分が悪いのは確かなのではないか。それを勝負しないまま我慢するのは負けと同義なのではないか。そんな思いが頭の中を駆け巡る。


 しかし同時にわずかに唇を歪めた銀月の表情に胸が痛んだのも事実で、その痛みに白狼は手に持った屑籠の持って行き場所を失ってしまったのだった。

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