風霞の痛み③
「潰れそうって……。どういうことだよ?」
突然の話に、頭が追いついていかない。
親の仕事のことなんて、全く関心がなかったから、青天の霹靂どころの騒ぎじゃない。
「ちょっと前にね、聞いちゃったんだ。お父さんとお母さんが夜中に話してるところ……」
そこから風霞は、詳細について話し始めた。
先日、父さんたちの会社に税務調査が入ったようだ。
そこで、経理担当が隠していた裏帳簿のようなものが発見され、所得隠しを指摘されてしまう。
何でも役員から、密かに指示をされていたらしい。
その額は億単位にも及び、事態を重く見た税務署はすぐに刑事告発に動いた。
恐らく近い内にマスコミにもリークされ、不正に関わった役員と経理は逮捕される可能性が高いと言う。
そして、問題なのはココからだ。
脱税にはもちろんペナルティがあって、本来の税額にプラスして重加算税など追徴課税分として支払わなければならない。
父さん曰く、今の会社の財務状況ではそれが厳しいらしい。
そうでなくとも客商売である以上、信用第一だ。
追徴分を払えたとて、それで済まされるものではないことくらい、高校生の僕でも何となくは分かる。
「そうか。そんなことが……」
「うん。もし、お父さんたちの次の仕事が決まらなかったら、って思ったら私も何かしなくちゃなって。でも、私中学生でバイトも出来ないじゃん? だからって思ってさ……。お兄ちゃんには、これ以上迷惑掛けられないし……」
ここまでの風霞の話を聞いて、一つのキーワードが頭を過った。
これが、きっと。
世間が言うところの、怒りなんだと思う。
でも、何に対して?
不正をした会社?
中学生の分際で勝手なことをした風霞?
散々、僕たちを放置した挙げ句、風霞がこの決断に至るまでに追い詰めた両親?
いや……。
それを言うなら、彼女を一番追い詰めたのは他でもない、僕なのだろう。
分からない。何も知らなかった。
僕は風霞にどんな言葉を掛けてやればいいのだろうか。
「フーカちゃん? 一応聞くけどさ。これが犯罪だってことは分かってる?」
応えに窮する僕を尻目に、ホタカ先生は風霞に問いかける。
「はい。法律のコトよく知らないけど、そのくらいは……」
「それなら良し! 大丈夫! この場合、法律上フーカちゃんは被害者だから、キミ自身が何か刑事責任に問われることはないよ! でも、考えてみて。フーカちゃん、今年受験でしょ? もしこれが表沙汰になったら、きっと推薦とかにも響いてくるよ。もし、フーカちゃんが思うように進学出来なかったら、悲しむのは誰かな?」
ホタカ先生の言葉を聞いた風霞は、僕に視線を向けた後、すぐに俯いた。
「フーカちゃんの気持ちは良く分かったよ。お兄ちゃんが何でも自分で背負おうとするから、心配だったんだよね?」
風霞は俯いたまま、コクリと首を縦に振る。
「それで……、お父さんもお母さんも何だかんだトーキくんに任せっぱなしで、不安だったんだよね? 何だか、自分が除け者にされてるような感覚がして」
ホタカ先生がそう聞くと、風霞は顔を上げて強く頷く。
そんな風霞を見たホタカ先生は、僕の方に顔を向けてくる。
僕は思わず、視線を逸してしまう。
するとホタカ先生は、風霞の同級生たちに向き直る。
「それとキミたち! その先輩が何を言ってきたのかは知らないけどさ。今は法律が変わって、児童ポルノは持ってるだけでもアウトなの。ましてや今回はお金が絡んでるんでしょ? 完全にアウトだよ! フーカちゃんのためだって思ったのかもしれないけどさ。友達にそんな危ない橋渡らせちゃ駄目でしょ?」
「ご、ごめんなさい……」
彼らは意気消沈し、ホタカ先生に謝罪する。
「まぁ分かれば良し! 言うてキミたちも被害者みたいなもんだし。今回は未遂だから、大事にはならないと思うよ。一応、その先輩の名前だけ教えてくれるかな?」
ホタカ先生の要求に、彼らは互いに目配せをし、言葉を詰まらせる。
「安心して! キミたちにはなるべく危害が及ばないように上手くやるから。何ならお姉さんの力で揉み消せるかもしれない……、なんつって!」
彼らの様子を見て何かを察しのか、ホタカ先生はすぐに補足した。
さり気なくとんでもないことを言って退けた彼女に、一同たじろぐ。
一体、彼女にはどんな力があるというのか。
無駄に底知れない分、説得力があり、質が悪い。
無敵であるが故のハッタリなのだろうが。
そんな中、男子生徒の一人が恐る恐る彼女の質問に応える。
「え、えっと……、
「麻浦っ!?」
「へっ!?」
僕は思わず声が出てしまった。
不意な割り込みに、男子生徒は間の抜けた声をあげる。
「いや、ごめん。何でもない……」
麻浦 蓮哉。
一月前、風霞の件で一悶着あった2年生の先輩だ。
あの時は、僕が一方的に泥を被るカタチで終わったと思っていた。
しかし、またこうして彼の名前を聞くことになるとは……。
こうして露骨な反応をしてしまったからには、ソレを見逃してくれるホタカ先生ではない。
「トーキくん? ひょっとして、キミの知り合い?」
「はい、まぁ……」
「ふーん」
そう呟くと、ホタカ先生は何か考え込むような仕草を見せた後、値踏みするかのようなじっとりとした視線を浴びせてくる。
「あの……、どうかされましたか?」
「ううん! べっつにぃー」
そう言うと、彼女は意味深に笑う。
「よし分かった! じゃあココは私たち二人に任せて、大船に乗った気でいなさい! キミたち迷える子羊たちを、必ずや正しい方向へ導いてあげましょう!」
果たして、ホタカ先生は何をするつもりなのだろうか。
まぁ……、近い内に分かるはずだ。
彼女の口ぶりからして、僕がこの一連の面倒ごとに巻き込まれることは確定しているのだから。
いや。この件は風霞も絡んでいるわけだ。
むしろ、ホタカ先生を巻き込んでしまっているのは、僕の方かもしれない。
そう考えれば、僕は彼女に感謝こそすれ、恨み言を溢す筋合いなどないのだろう。
しかし、風霞には呆れてしまう。
あんなことがあったというのに、舌の根も乾かぬ内に麻浦先輩と接触するとは……。
事情の深刻さに故に、なりふり構って居られなかったのかもしれないが。
「あのさ。お兄ちゃん」
風霞が改まった様子で、僕に近づいてくる。
「あの時さ。お兄ちゃんが悪者みたいになっちゃたじゃん? 私、それが凄く辛かったんだ。お兄ちゃんはいつも大したことないみたいに振る舞うけどさ……」
風霞は今にも泣き出しそうな表情で、胸の内を吐露し始めた。
「お兄ちゃんが受けてる嫌がらせだって、私からすれば辛いんだよ? 仕打ち自体もそうだけど、そもそもお兄ちゃんはそんなことする人じゃないってよく知ってるし」
よく知ってる、か。
ここまでの風霞の話を聞いて、僕はさっき湧いて出てきた感情がどこに向いていたのかが、分かってしまった。
でも、それを周りに……、特に風霞に知られるわけにはいかない。
そして、恐らくホタカ先生はそれに気づいているはず、だ。
特段、根拠があるわけではないけど、感覚的に察してしまった。
案の定、彼女は全てお見通しとばかり、満足そうに目を細めて僕を見ている。
僕にはそれが酷く不気味に感じた。
「トーキくん。フーカちゃんの気持ち、分かった?」
「……そうですね。というより、大方予想していたものが確信に変わった、と言った方がいいかもしれませんね」
僕がそう言うと、ホタカ先生は更に顔を綻ばせる。
全く。結局、全てはこの人の思惑通りだった、というところか。
それにしても蓋を開けてみれば、何だかんだで彼女も一端の大人だったということか。
紛いなりにも、それらしい正論めいたもので彼らをやり込めて、間違った道へ進むことを防いだわけだから。
「あのさ……、風霞の兄貴。聞いていい?」
灯理、だったか?
風霞の同級生の女子生徒が、気まずそうに話しかけてくる。
「……なんだよ?」
「あの噂って、本当なの?」
「嘘だって言ったら、信じるのかよ?」
僕がそう言うと、灯理は少し考え込む。
すると、次の瞬間には深々と頭を下げてきた。
「……分かった。ごめんなさい。決めつけて、好き勝手言っちゃって」
「っ!? ご、ごめんなさい……」
灯理に呼応するように、男子たちも謝罪をしてくる。
やっぱり。
僕なんかよりも数倍素直で、物分りがいい。
だからこそ、醜悪な僕自身への当てつけか何かだとも思えてしまう。
「いいよ別に……。気にしなくて」
僕がそう言うと、彼らは更に表情を沈ませる。
そんな彼らを見ると、何故か僕まで謎の罪悪感が込み上げてくる。
僕はその居心地の悪さから逃れるために、風霞に話を振った。
「風霞。ごめんな。お兄ちゃん、風霞の気持ちとか全く考えてなかった」
「へっ!? お兄ちゃんが謝らないでよっ! 結局、なんにも出来ない私が悪いんだよ……」
「いや……」
否定の言葉が喉元まで出かかったが、その直前で気付く。
どうせ水掛け論になる。
僕がココでお決まりの気休めを言ったところで、風霞の心が楽になるわけじゃない。
僕としても言いたいことは山ほどあるけれど、それを今風霞に問いただしたところで、根本的な解決に繋がることはないだろう。
何より、今日はもう疲れた。
特段、何か解決したわけじゃない。
むしろ何もかもが、暗礁に乗り上げていると言ってもいい。
でもこの場にいる人間の多くは、何故か憑き物が落ちたような表情だった。
これから、一つ一つ。
事実を洗い出していくしかないのだろう。
「さ、トーキくん! フーカちゃんとの初顔合わせが済んだところだし、これから彼女の歓迎会だよ! お店はキミに任せるから予約しといてくれるかな?」
「まだ何か食べるつもりですか……。ていうか何についての歓迎会なんですかね? でもまぁ……、分かりましたよ。風霞。何か食べたいものは?」
「えぇっ!? 急に言われても……」
「大丈夫大丈夫。全額、ホタカ先生の奢りだから。上限も一切ナシ!」
「ちょっと! トーキくん!? 先生、そんなことまでは言ってないよね?」
「分かった! じゃあ黒毛和牛の極上カルビが食べたい!」
「おっけー。焼き肉な」
「フーカちゃんもここぞとばかりに遠慮がない!?」
「あ、そうだ! 灯理たちもおいでよ!」
「えっ!? あたしたちも!?」
「フーカさん、私が悪うございました……。もう勘弁して下さい……」
いつになく困惑の表情を浮かべるホタカ先生を見ると、安堵感のようなものが湧き出てくる。
傍若無人に見える彼女も、本当の意味で無敵になり切れていないのかもしれない。
そんなことを思いながら、僕はグルメサイトの徘徊を始めた。
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