第3話


 さすがに知り合って早々家には上げることが出来ないと、秋月は上手く出てこない言葉にもどかしい思いをしながらも銀一に伝えた。

 イタリアンレストランにて付き合うこととなった秋月と銀一は、飼い主と自ら言っていた男――地影院というのは苗字で、実はあの店の噂のオーナーだった。振られた元彼氏の言葉は苦笑しか漏れなかったと笑っていた――に祝福されて、そのまま会計もご馳走してもらう形で別れたのだった。

――まさかあんな見た目怖そうな人がオーナーさんやなんて。絶対人殺してそうな見た目やのに……あんなオシャレな店やれるんや……

 失礼な物言いは心の中だけに。そしてその怖そうなオーナーである地影院は、別れ際に銀一に秋月を家まで送るようにと告げたのだ。確かに夜も遅い時間だが、一応市内で一人暮らしをしているので歩いて普通に帰れると断ろうとしていたら、それよりも先に銀一が口を挟んだ。

「大丈夫ですか? 車まわしてくるだけでも俺が――」

「――おっさんの俺よりお嬢さん優先せえや。夜は女の子一人で歩かせるもんちゃうって、お前かてわかっとるやろ?」

「……はい。ありがとうございます」

「あ、あの……ご馳走様でした。本当にありがとうございます」

 話を遮る形にはなりたくなかったので、ここぞとばかりに秋月もそこで地影院に向かって頭を下げる。下げてから『ご馳走様』は少しおかしかったかな? とかいろいろ考えてしまって自己嫌悪が増した。

 しかしそんな秋月を笑い飛ばすように、地影院は大声で笑って言った。

「エエってエエって。お嬢さんの言葉はほんまに聞いてて気持ちがエエな。気持ちを伝える言葉なんて、シンプルなんが一番や」

 笑い声まで太くて大きい。地に響くような声には、どこか底知れない凄みのようなものが感じられた。

「じゃ、あとは若いもんらで、な。気を付けて帰りや」

 ひらひらと片手を振って夜の祇園へ消えていく男の背を見えなくなるまで見送って――銀一がそれまで下げた頭を上げなかったからだ――から、二人で秋月の家へと向かうことになったのだ。

 家に向かう間に、最低限お互いについて知っておくべきことについて話した。ほとんど情報交換に近い。

 銀一はあだ名とかそういうものではなく、本名とのことだった。今時珍しい古風な名前だと秋月が言うと、「お互い様やろ」と微かに笑われた。これは嫌味でないことは、何故か今日初めて会ったばかりの秋月にもわかったのだから不思議だ。

 年は秋月のみっつ上で二十五歳。そんなに年は離れていないが、彼のようなタイプの男性とはこれまで満足に話したこともないので、秋月は年齢を聞いたが故に更に言葉選びに困ってしまい、それを銀一に「気にすんな」とまた笑われてしまった。

 どうやらお互いに、あまり会話が得意なタイプではないらしく、二人の間には何度も沈黙が降りた。しかし、そんな時間が苦にならないのだ。こんな感覚は初めてだった。

 緊張はしているし、自然体と言うにはまだ、互いのことを知り合ってはいない。言葉を交わす度にわかっていく相手のことに、秋月は初めて見た時から感じていた不安が、少しだけ大きくなっていることに気付かないふりをしていた。

 その不安は……銀一の仕事のこと。

「明日は、仕事? 休み?」

 何気ない問い、といった風の銀一に、秋月は顔が引きつらないように意識しながら答える。

「土日は休みで……やから帰ったらさっさと“あいつ”の荷物片づけよかなって思ってて……」

 今日は週末の金曜日。あいつというのは振られた元彼氏のことだ。最後まで迷惑を掛けるのが当然とばかりに、荷物を纏めて送っておいてくれと言っていたことをしっかり覚えてしまっている。

「……どうせたくさん私物があるんやろ? 俺が纏めといたるから、お前は風呂なり入ってはよ休めるようにしとけ」

 隣を歩いてわかったことだが、銀一は元彼よりも背が高いようで、すっとその手が秋月の頭に乗せられる。ぽんぽんとややぎこちなく動かされるその手に秋月が首を傾げると、銀一は「さっき地影院サンにされて嬉しそうやった。違った?」と少しバツが悪そうに言った。

「い、いえ! ちょっと……恥ずかしいだけで……嫌、じゃないです……」

 つっかえながら秋月がそう返しても、銀一は嫌な顔もせずにゆっくりと全部言い終わるまで待ってくれて、そして「それなら、エエねん」と微笑んでくれた。言葉は確かに、お互い少ないかもしれない。でも、この空間には確かに、『愛』になりつつある『何か』があると思えた。

 心の中がぽかぽかとするような、そんな幸せを噛みしめる。そして――

――待って! 風呂なり入ってはよ休めって……っ!?

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