第126話 辻斬り
深夜過ぎの王都。ここミルアドの首都――ネルベイラに人気はない。
当然だ。ここは魔族によって蹂躙された都市なのだ。魔族は人種を根絶させようとしている。魔族は奴隷以外の人間はすべて虐殺する。
人間との戦争が終わればきっと奴隷も処分することだろう。
だから街に生きた人間などまずいない。いるとすればここより遠く、王宮広場にいる人類軍の兵士くらいだ。
いるのは兵士だけ。住民はいない。
だから僕がここで、
「ちょ、待って!だ、誰かいませんか!」
と叫んだところで救助の手が来ることはまずない。
「―ッ!」
「うお!あっぶな!」
「チッ…惜しい」
ローゼンシアの剣による突きの一撃を紙一重のタイミングで躱す僕。危うく喉元に鋭い剣先が刺さるところだった。
そんな僕の回避の動きに、苛立たし気に舌打ちをするローゼンシア。
え、ガチかな?違うよね?ローゼンシアはそんな怖いことするタイプの女の子じゃないよね?
しかし大剣を持っていなくてよかった。あんなデカい剣ではローゼンシアの高速の剣戟はとても躱せない。ジャンヌからもらった宝剣は確かに長いが、大剣と比べれば細く小回りが効く。
何より軽いので、加護の力がなくても扱える。
「ところでその剣、どうしたんですか?」
「え?ああこれ?実は新しい剣をもらったんだ」
「へぇ……てっきり大剣を探してたと思ったのですが、どうやら別の剣に浮気したみたいですね?」
あ、しまった。墓穴掘った。
「待て待て、誤解だローゼンシア。違うから……この剣は本当にたまたま手に入ったわけで、大剣を捨てたわけでは…うおっと!」
「言い訳無用!見苦しいです、よッ!」
ローゼンシアが高速で前へと踏み込む。そのまま剣を下から上へと振り上げる。
高速で迫る刃。明らかに僕の首を狙っている。
確かに早いが、見えないことはない。僕はなんとか後ろへと下がって刃を躱す。
「ちょ、落ち着いて、一旦話し合ぐほッ!」
「ッ!……いいですよ、話してみてください」
ローゼンシアの下からの剣戟を躱す、そこまでは良かった。しかし彼女は剣を上へと振り上げるとその勢いを利用して回転蹴りを僕の腹に入れてきた。
細く、しなやかな美少女の美脚から繰り出されるその蹴りの一撃は見た目の良さに反して強烈だった。
その衝撃が強く、背中から地面に倒れる。
そこへローゼンシアの剣の先が僕の鼻先へと突きつけられる。
地面に転ぶ僕に対して、目の前で剣を突き立て、眼下を見下ろすローゼンシア。彼女の視線は冷たく、返答次第ではいつでも殺すといわんばかりの気迫がある。
それにしても剣で攻撃しつつ、同時に蹴りをしてくるとは。
僕もシルフィアとは幼少の頃より剣の稽古をしてたわけなのだが、ローゼンシアの技量はそれ以上だ。明らかに実践を意識した戦い方をしてくる。
彼女は殺そうとしている。だが、まだ本気を出しているようではなかった。
「――リューク…私、待ってたんですよ?」
「そうか、待たせてごめんな?」
「もしかしたら何か事故に巻き込まれたかもしれないって不安にもなりました」
「本当に申し訳ない。心から謝るよ」
「で、何してたんですか?」
「……」
「なに黙ってるんですか?」
「!」
チャキと剣を構える音がする。
何か上手い言い訳をしようと数秒ほど考えていると、目の前にあった剣先が動き、僕の首の皮に刃が触れそうになる。
これ、ちょっとでも動かしたら首の血管が斬れるね。下手したら死んじゃうね。
もしこの状態で、ジャンヌとエッチしてましたなんて正直に告白しようものなら確実に殺される。それは間違いない。
ローゼンシアは、僕が魔王すら斃せる力の持ち主であることなど関係なしに殺すだろう。
だって彼女、生きる希望を持っていないのだから。
確かに最近はエロいことの楽しさに目覚めこそしているが、それだけだ。それ以上の希望をまだ与えられていない。
「ローゼンシア、君のことを愛してる」
「ええ、私も愛してますよ――で?」
「う、うん。まずそれを伝えたくて」
「そうですか。で、何があったのか教えてくれますか?」
くっ、まずい。とりあえず僕の愛を伝えることで彼女の気持ちを解して絆そうと思ったのだが、今のローゼンシアには通じなかった。もっと別の言葉を考えないと!
「と、とりあえず剣は仕舞って欲しいな?ほら、この状態で喋ると喉を斬りそうだから」
「……ならまずリュークが剣を地面に置いてください」
「うん、わかった!…はい置いたよ!これでいいかな?」
「……」
ローゼンシアの言葉に従って僕は宝剣を地面に置く。すると、ローゼンシアがなんだか複雑そうな表情を浮かべた。どういう感情なのだろう?
数十秒ほど沈黙が続いた後、やがてローゼンシアが溜息をついて鞘に剣を仕舞う。
「立ってください。その剣は拾っちゃダメですよ?」
「ああ、わかった。ありがとうローゼンシア」
「……もう」
宝剣を地面に置いたまま立ち上がる。ローゼンシアはなんだか不満そうだ。一体なぜ?
「丸腰ですね」
「え?あ、ああ、そうだね」
「もし今誰かに襲われたら、どうするつもりですか?」
「その時は…ローゼンシアに守ってもらうか」
ははっと笑いかけると、彼女はますます不貞腐れる。やがて、「もういいです」とこの会話を打ち切る。
「…どうして来てくれなかったんです?」
「本当にごめんな。許して欲しい」
「……私、嬉しかったんですよ?」
ローゼンシアから殺意が消え始めている。代わりになんだか悲しそうな目をされてしまった。
……まいったな。こんな顔をさせるつもりはないのだが。
「リュークと一緒に生きるのも悪くないかなって……過去を全部忘れて新しく生きるのも良いかなって思っていました。復讐より未来に生きるのも良いかなって……嘘をついたんですか?」
「それはない。僕もローゼンシアと一緒に生きたいと思っている。君の幸せは僕の幸せだ。それは信じて欲しい」
「……わからないんです。どうしたらいいのか」
ローゼンシアはぽつりと零す。その目は潤い、なんだか泣いているような気がした。
「リュークの加護のことを考えれば、別に他の女と仲良くしても良いとは思います。私以外の女と色々しても、それは仕方ないのこと。魔族が支配する世の中です。人が生きるには、リュークの力が必要です。だからこれは仕方のないこと……それは頭ではわかっています」
――でも、感情がついていきません、と彼女は云う。
「リュークが他の女と仲良くしてると、どうしても心がざわざわして、妬ましくて、どうにかしたくなる。リュークにはもっと私を、私だけを見て欲しい……なのにどうして私を見てくれないのか、考えるとイライラする。本当はダメだって頭では理解してるんですよ?でもですね…」
ローゼンシアは僕を正面から見据える。
「私、リュークが他の女と一緒にいると、感情的になるあまりうっかり殺してしまうかもしれません」
「そ、そうか」
そっか。うっかりか。うっかりならしゃーないか。
そんな目に遭わないように僕も精進しないとな。
「変ですよね?リューク以外の男とエッチして、気持ち良いって感じて、もっと他の男ともエッチしてみたいって思ってる女ですよ?」
ローゼンシアはそんな不埒なことを明るく言う。なんだか無理してるみたいだ。
「なのに、リュークが今、他の女と仲良くしてるかもしれないって思った途端、凄く嫌な感情になりました。もう世界なんてどうでもいい。死んでも良いって思ってるのに――リュークが他の女と仲良くすることが許せない」
――ワガママだって思います?とローゼンシアに聞かれる。僕は、
「そんなことないよ」
と否定しておいた。
「ローゼンシアにそこまで想われてて幸せだなって思う、それだけだよ」
「本当ですか?嫉妬するあまりリュークを殺そうなんて思う女ですよ?」
「ああ。本当だとも。ローゼンシア、君のことは全力で愛そう」
「でも私だけを愛すわけではないんですよね?」
「ああ。でもどんな男よりも深く愛するよ」
「はぁ……好きだって言っておいて、堂々と他の女にも手を出すんですね?…ホント好色で変態なんですね」
「ああ、嫌いになったか?」
「……昔の私だったら反吐が出るほど嫌ってると思います。でもリュークは特別です」
「僕にとってもローゼンシアは特別な女だ。好きだよ」
「ん💓…もう」
ローゼンシアにそっと近寄ると、彼女を抱きしめ、そのまま唇を奪った。彼女は一瞬驚いた素振りを見せつつも、受け入れてくれる。
「私、さっきまで殺そうとしてたんですよ?」
「ああ、知ってる。殺されかけたからな」
「……なのにどうして許すんです?」
「大好きだからだ。ローゼンシア、君が何をしようとどんな過去を持ってようと関係ない。好きだから許すし、受け入れる。それだけだよ」
「優しすぎませんか?」
「ああ、好きな女の子限定だ。愛してるぞ」
「あ💓…もう……私もですよ」
もう一度彼女にキスをする。軽く触れるようなキスだが、腕の中で抱きしめるローゼンシアの体温がやや上昇した気がした。
ふぅ。どうやら殺意はおさまったようだ。助かった。
「うん?これ、何ですか?」
「え?」
あれ、なんか持ってたっけ?
ローゼンシアは僕のポケットに何か見つけたのか、勝手にポケットに手を突っ込んで取り出す。
…あ、それは!
「何ですかこれ?……え?指輪?え、え、あの、えっと、リューク、これってつまり、そういうことですか?」
ま、マズイ!それはジャンヌから奪った婚約指輪!こんなもの見せたら今度こそ殺され…
「リューク、本当に私と結婚する気だったんですか?」
……あれ?
先ほどまで殺意に満ちてたローゼンシア。そんな彼女の瞳が大きく見開かれ、顔も赤い。驚いた表情を浮かべているが、なんだか嬉しそうでもある。
「だってリュークには、その、シルフィアがいるし…私なんか…」
突然の事態にローゼンシアはんだかパニックに陥っている。僕もパニックだ。一体何が……いや、これはチャンスなのか?
「ローゼンシア」
「は、はいッ?」
「僕は――スケベな男だ。好きな女も多い」
「は、はい。それは知ってます」
「でも君への愛情は本物だ。決して軽い気持ちではない」
「そ、そうなんですか?」
「君のことを一生大事にする覚悟は既にできている。必ず幸せにする。君は、僕にとって大事な女性だ。好きだよ」
「え、ええ、あの、うぅ…はい。私も好きです」
顔が真っ赤だ。ローゼンシアは今にも逃げ出しそうなぐらい、白い肌を真っ赤に染めている。
それでも逃げず、あわあわしながら目を見開いて僕を瞠目する。
「わ、私、リュークのこと殺そうとする女なのに、良いんですか?」
「良いに決まってるだろ」
「う…あの、もしかして今夜来なかったのって、その…」
チラチラとローゼンシアは指輪を見る。
ローゼンシアの頭の中で巻き起こっている思考がなんとなく読めた気がした。
ふむ。よし、この勢いに乗るか!
「本当に遅れてごめん。その指輪、早く渡したかったんだが。手に入れるのに時間がかかってしまった」
「も、もう!バカバカ!わ、私、勘違いして危うくリュークを殺しちゃうところだったんですよ!」
勘違いではないのだが…うん、そうしておこう。
「いいんだよ、勘違いさせるような事をした僕が悪いんだ。ローゼンシアは悪くない」
「よく、ないよぉ…リュークが死んだら私、う、うぅ…」
感極まってしまったのか、腕の中のローゼンシアから涙が零れる。
そんな彼女の紫色の髪を優しく撫でる。しばらく僕の腕の中で泣くと、やがて落ち着きを取り戻したのか、彼女は顔を上げて僕を見る。
「あの、リューク…あのね」
「うん?なんだい?」
「リュークのこと、その、大好きになっちゃった」
「そっか。僕もだよ」
そのまま彼女の頭を優しく撫でる。するとなんだかローゼンシアの足がもじもじ動き始めた。
「まだ、夜は明けてないですよ?」
頬をピンクに染め、目を潤わせながらローゼンシアがそう言う。
「いいのか?」
「……わかりません」
ローゼンシアの柔らかな体が僕に密着する。とくんとくんと心音が激しくなり、彼女の興奮が伝わってきた。
「本当にどうしたら良いのかわからない。私、まだまだやりたいことたくさんあるし、リュークと結婚なんてまだ早いって思うし。魔族だっているし、戦争も続いてるし、こんな状態でとても平和に暮らすなんてまだできないです」
――でも、とローゼンシアは続ける。
「リュークといると幸せすぎちゃって、今すぐ子供作りたいって思ってる。どうしたら良いと思います?」
はぁはぁと彼女は呼吸を荒くし、甘い吐息を漏らす。
「どうしたら、か。もちろん抱くよ。僕はローゼンシアが大好きだからね」
「で、でも私、まだ結婚なんて早いです」
「一刻も早く君が欲しい。今すぐベッドに連れていきたい。良いよな?」
「よ、良くないです。だって私、今夜はまだ避妊魔法かけてない…ん💓」
うだうだ言うローゼンシアにキスをして唇を塞ぐ。やがて口を離すと彼女はうっとりとした表情で僕を見上げる。
「りゅ、リューク……私、結婚はまだダメですよ」
「なら逃げた方いいぞ?でないと僕がローゼンシアを奪ってしまう」
「……わ、わかりました」
ローゼンシアは口をぎゅっと閉じ、何か決断するような顔をしてからやがて開く。
「私、今夜は…半々なんです」
「うん?」
何の話だろう。
「危険日でもないし安全日でもない。ちょうと五分五分くらいの確率です」
ローゼンシアの顔がどんどん赤くなる。どうやらそういう意味で言ってるらしい。
「今夜…その、もしできたら、私、過去はすべて諦めてあなたのモノになります。でもできなかったら、結婚はまだ保留にしてください」
「――わかったよ」
「ん💓」
どうやらローゼンシアは僕と結婚するかどうか、天命に任せることにしたらしい。
彼女にキスをし、僕は彼女と致すことにした。
僕はローゼンシアと一緒に近くの民家に押し入った。そのついでに宝剣も拾って回収する。今度は失くさないようにしないとな。
服を脱ぎ、彼女の服も脱がす。抱き合い、愛し合う。
それはとても濃厚で、お互いの愛情を感じるような甘い時間になった。
生を実感するようなひと時で、ローゼンシアはようやく生きる希望を見出してくれたようだった。
「リューク」
「うん?どうした?」
「好き💓」
「僕も好きだよ」
彼女のことをとても愛おしく感じる。加護の結びつきがますます強くなったような気がした。
できることなら、この晩に授かって欲しいものだ。そうしてくれればローゼンシアはもう僕の加護には付き合わず、すべてを諦めて僕の女になってくれる。
しかし、そうでなかったら?
彼女をまた間男に抱かせる機会なんて訪れたら――その時の僕は平静を保てるのだろうか?
正直、不安は尽きなかった。
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