第7話 ジュピターは妻の為なら骨身を削る(後編)

 


 町外れ、静かな森の中にある白い外観の可愛らしい我が家。


 帰宅中、俺は家に近づくにつれ決意をしっかりと固めていた。

 ――絶対に……この怪我の事はバレてはならない。


 ただでさえ寂しい想いをさせているマリーちゃんに、悲痛な顔はさせたくないのだ。俺はマリーちゃんの笑顔を守る為に生きると決めた。

 正直、普段怪我しない分めちゃくちゃ痛い。何でアイツあんなに頑丈で鋭利な骨してんのメア……助けるんじゃなかった。


「おかえりなさい! あなたーー!!」


 家の前では既に帰還の知らせを受けていたのかマリーちゃんが待っていた。遠くからでもぶんぶんと手を振って喜んでいるのが見える。ああ……そんなに俺の事を待っていたのかマリーちゃん。好き……


 マリーちゃんはこちらに向かって走ってきた。俺が家に着くのがもう待ちきれないのだろう。わかる、2人の距離が惜しいよね、だってもうそこまで見えているんだもん。

 俺は可愛らしく走ってくるマリーちゃんを受け止めるべく両手を広げた。あー、マリーちゃんが走っている姿、可愛いんだよな……かわ……ん?


 なんだろう、今日のマリーちゃんはやけに速い。いや、家をスタートする時の姿勢も、走っているフォームも何か洗練されている。

 俺達の距離はぐんぐん縮まってくる。速い、高速!! すっごい速い、どうしたのマリーちゃんそのフォーム!!!

 マリーちゃんは俺との距離を見計らい、飛び込んだ。勢い良く俺の胴にダイレクトアタック!! タックル!!! スマザータックル!!


「ぐっ!!! ぶっ――」


 俺は血を吐き出しそうになるのを息を止めて堪えた。


「ま゛っ、マリーちゃん? い、いつの間にそんなに見事な体当たりを覚えたんだい……?」


「うふふ、ビックリした? 私ね、あなたが帰ってきた時に誰よりも早く、私の愛をあなたに届けようと修行していたの。あなたなら受け止めてくれると思った……あなたっ、好き……」


 妻が謎の努力をしてくれていたお陰で傷口が開く。いつもならね、全然良いんだけどマリーちゃん、どうしてこのダイレクトにお腹を怪我したタイミングなの……?

 だがしかし……それも全て俺への愛故にマリーちゃんが頑張った証なのだ……ああ、マリーちゃん、好き。


 マリーちゃんをギュッと抱きしめ、俺は家へと入った。ニコニコと笑うマリーちゃんがいつものように聞いてくる。


「あなた……ごはんにする? それともお風呂? ……それとも、わたし?」


「マリーちゃん……もちろん、マリーちゃんが一番さ……」


 俺はそっとマリーちゃんにキスをしようとするが、マリーちゃんは真っ赤になって照れたようにポコポコと俺を叩いた。ダイレクトに、俺の腹を。


「やだっ、もうー! あなたったらー! いつもそうなんだからー!! 私は後ーー! 先にお風呂でしょー!」


 何故俺の腹を叩くのかって、まぁ、マリーちゃんは小さくて可愛いからね……丁度叩きやすい位置だったのだろう。ちょ、そこね、怪我して痛い所。

 久々に会えて俺もテンションが上がってしまい、マリーちゃんへの愛を惜しみなく出してしまったのだが、それが余計に恥ずかしかったのだろう……マリーちゃんの照れ隠しダイレクト腹小突きは止まらなかった。そこ……痛い所……


「さ、あなた。服を脱いで」


「ん?」


 風呂……そう、風呂に入るという事は傷を見せてしまうとお思いだろう……

 だが、そこは俺もちゃんと対策は練っている。何故ならお風呂だけじゃなく、この後も……こほん、何でもない。


「やーん、相変わらず逞しくて……目のやり場に困っちゃうわ、あなた」


 上着を脱いで露になる俺の上半身。だが、マリーちゃんの目には無傷の、逞しい夫の身体にしか見えてないだろう……

 何故かって? ここはファンタジー世界。便利な魔法や魔術具だってある。

 有能な皇室魔法士にお願いをし、変装に使う魔術具を貸して貰ったのだ。

 ただしこれは、見た目を魔法で誤魔化しているだけで実際に変わっている訳では無い。見た目はまっさらだが、実際には深い傷が入っているし、なんならさっきので傷が開いてどくどくと血が出ている。

 まぁ、そこは我慢すれば良いだけの話なのだ。


「あなた、長旅で疲れていると思って疲労回復と冷えた身体を温めるように今日は特別製のお風呂にしたのよ」


「そうなのかい? 楽しみだよ」


 そうマリーちゃんが嬉しそうに案内する風呂場の浴槽……は、ほんのり赤く染まり、ツンと匂いがキツかった。えっ……何、コレ?


「唐辛子湯よ、あなた。何でも、冷え性や足のむくみを良くするだけじゃなく、ヒートプロテクションっていうのが作られて、疲労回復を助けたり免疫細胞の活性化がなされるそうよ?」


「ほ、ほう。博識だねマリーちゃん」


 今日に限って妻がこの世界の知識とは思えない博識をかまして来る。だが、マリーちゃんが俺の為を思って用意してくれたのだ……わざととかじゃ絶対に無い。


 ――ポチャン


 俺は意を決して脚からゆっくり入ってみた。


「ん゛……」


「どう? あなた、温まるでしょう?」


「うん、温まりすぎて熱い位だよ……」


 熱いっていうか痛い。というか傷だけじゃなくて違う所も痛い。毛穴中から唐辛子にダイレクトアタックされている。体中が辛さを感じて、湯船に入ってない箇所も汗が尋常じゃないくらいに吹き出ている。


「あら? 気のせいか色が濃くなったような……」


 活性化。新陳代謝が活性化しすぎて傷口の血がね、元気いっぱいなのよマリーちゃん。お湯が赤いのは幸か不幸か助かっている。いや、助かってない、痛い。


「あっ、そうだ、塩も良いらしいんですって。高い浸透率と発汗作用があるって」


 そう言ってマリーちゃんは塩を赤い湯船にどばどばと入れ始めた。うーん、傷口に塩ォ!!!

 流石にわざとやってるんじゃないかと疑うレベルだが、俺をニコニコと見つめるマリーちゃんの目に一点の曇りもなかった。



 地獄の風呂から上がり、身体が温まり過ぎた俺はマリーちゃんの食事にやっとありつける。


「あなたの事を想って作ったのよ……」


 ああ。可愛いマリーちゃん。

 遠征中の食事はピンきりで、夜営食などはもう酷い。たまに美味しい地方の名産に出会える事や、そんな酷い食事も旅の醍醐味であるが……マリーちゃんの愛の味を知ってしまった俺にとってはどんなに美味しい料理も霞んで見えるのだ。


 マリーちゃんが照れながら食卓に出した食事は、すっぽん料理にうなぎ……にんにく……カキ……


「マリーちゃん……?」


「わたし、あなたに元気になって貰おうと思って……」


 うーんマリーちゃん? 帰って来てから元気になるってソレ、君ね……?

 だが、そんな妻の天然っぷりもいつもなら嬉しいし可愛い……が――


 俺は妻の出した料理を一口、口に入れる。身体が熱くなってちょっとだいぶ漲って来る。


 ――ブシュッ


 唐辛子湯……滋養強壮……妻の気遣いで傷口がどんどん開いていく……何これ。

 こういう場面、漲りすぎて溢れかえった血は鼻から出てくるものだろう……だが、俺の血は出やすい出口……そう、腹からだくだくと流れているのだ。傷完全に開いちゃってるゥ!


「あなた……? 美味しくない?」


「いや? 君の手料理が美味しくない訳無いだろう……」


「でも、どんどん顔色が悪くなっていくような……もしかして、滋養強壮が足りてない?」


「いや、十分だよ、足りているよマリーちゃん、これ以上俺の血を元気付けないであげて……」


 血の巡りが良すぎて身体がおかしくなりそうだった。俺はふらりと倒れこんだ――


「じゃあ後は疲れたあなたにマッサージやストレッチを……えっ?! あなた??? あなたー!」


 どさりと床に落ちる俺を、マリーちゃんが驚き抱き起こす。


「マリーちゃん、大丈夫だよ……ちょ、ちょっと疲れただけだから」


「あ、あなた……そんなに疲れていたなんて分からなくて、ごめんなさい……すぐにお休みに――」


「待って、マリーちゃん。俺はマリーちゃんに会えなくてずっと寂しかったんだよ?」


 泣きそうなマリーちゃんの頬に手を当て、流れそうになった涙指で拭う。


「俺は……どんなに疲れていようと身体がボロボロになろうと君の元へちゃんと帰ってくるし、君が俺の為に準備してくれた物は全部受け取るよ。だから……いつでも、どんな俺でも笑顔で待っていて迎えて……くれる?」


「あなた……もちろん。あなたの帰ってくる所は、絶対に私の所しかないんだから」


「じゃあ俺も……今度は絶対に元気に返って来られるようにする」


 そうして俺は、マリーちゃんを抱きしめ……怪我を誤魔化すように気丈を装った。何をどう気丈に誤魔化したのかは、まぁ……コホン。



 ★★★



「いや、何でこんなに傷開いてんの……?」


 翌日、陛下に呼び出された俺はバカ高いポーションをぶっ掛けられていた。


 陛下や俺達のように頑丈でレベルやHPの高い者達は普段怪我をしない分、回復魔法やポーションもより高度なものじゃないと効かない。それほどメアの骨の攻撃力はめちゃくちゃ高かったのだよ……


 流石に怪我をして帰る俺を気の毒に思ったのか、陛下が魔塔から取り寄せてくれたらしい。……が、昨日より何か傷口が開くどころか酷くなっている俺の様子に陛下が眉を寄せた。


「いやぁ……その、まぁ、夫婦の愛を確かめる為といいますか。コホン」


「いや君、どんな激しい事したらそうなるの……?」


 第二部隊の騎士達も俺を見てヒソヒソし始めた。


「……何か勘違いしてませんか……? これは唐辛子のせいで……」


「いやどんな愛を確かめたら唐辛子が出てくるの」


 暫く、俺のマゾ疑惑が騎士団内で噂されるようになったが、そんな噂程度……マリーちゃんのタックルに比べたら痛くも痒くもないのだ。

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