第2話

(子供……?)


 その子供──五歳くらいの少女は、壁に背を預けながら虚ろな目で夜空を仰いでいる。

 こんな時間に妙だな。そう思いつつ、アルフレッドは少女の前を通り過ぎた。

 ……が、何を血迷ったか踵を返した。そして、その少女に話しかけたのだ。


「どうしたんだい? 迷子かい?」


「……ううん」


 少女は首を横に振った。


「それじゃあ、なぜ家に帰らないんだい?」


「……家にいると、パパに殴られるから。ママも、お酒ばかり飲んで全然構ってくれないの」


「なんだって……?」


 話を聞く限り、どう考えても虐待だ。

 だが、貧富の差が激しいこの国ではよくあることだった。貧しければそれだけで心の余裕がなくなるし、親から子への虐待も横行する。

 この少女の家庭も、恐らく例外ではないのだろう。


(だが、自分には関係のないことだ。少女には悪いが、このまま立ち去ろう)


 そう考えたのだが……アルフレッドは、自分でも信じられない行動に出る。


「それは大変だったね。こんなところにずっといて、寒かっただろう? とりあえず、僕の家においで。温かいスープとパンをご馳走してあげるよ。これからのことは、その後考えよう」


 気づけば、アルフレッドは少女にそう声をかけていた。

 自分でも、なぜこんな行動を取ってしまったのかわからない。

 父性に目覚めたのか、それとも少女に対する同情か。自分の食い扶持を稼ぐだけで精一杯なのに、一体何をやっているのか。


「ほ、本当? 家に行ってもいいの?」


「ああ、もちろんだよ。君、名前は?」


「マリエル」


「マリエルか。いい名前だね。僕はアルフレッド。この近くに住んでいるんだ」


 まだ完全に警戒心を解いていないマリエルに対して、にっこり微笑んでみせる。

 アルフレッドは、彼女を保護することに決めた。



 アルフレッドは酒場に行くのを急遽中断し、マリエルを連れてアパートに戻ってきた。

 そして約束通り、マリエルにスープとパンを振る舞う。

 パンといっても、当然ながら硬いパンだ。けれど、マリエルはそのパンを嬉しそうに食べていた。

 そんな彼女を見て、アルフレッドは自然と顔が綻ぶ。


(さて、これからどうしよう……)


 保護したのはいいものの、先のことは考えていなかった。


(……当面の間、匿うしかないか)


 アルフレッドはそう決心すると、椅子に腰掛けて今後について考え始めた。



 翌朝。

 アルフレッドは、マリエルのために朝食を作った。

 まさか、元王子である自分が他人のために──それも、拾った子供のために料理をする日が来るなんて思わなかった。

 マリエルに「仕事に行ってくるから大人しく待っているんだよ」と伝えると、アルフレッドは仕事場へと向かった。

 鉱山に到着し、使い古したツルハシを手に取った瞬間、突然背後から誰かに話しかけられる。


「どうしたんだ? 今日は随分と機嫌がいいじゃないか」


 そう声をかけてきたのは、同僚のマティスだった。

 アルフレッドは、嫌々鉱夫として働いていた。それが顔にも出ていたのか、常に不機嫌そうに見えていたらしい。


「そうかな?」


 アルフレッドは、ほとんどの同僚からは愛想がなく近寄り難い存在だと思われていた。

 それにもかかわらず、マティスはいつも話しかけてきていた。

 普段なら、面倒くさいと思いつつ適当にあしらうのだが……何故か今日は話に付き合っている。


「表情が柔らかくなった気がするよ。絶対、何かあっただろ?」


「いや、特に何もないよ」


 何もないというのは嘘だ。でも、両親から虐待を受けて家から逃げ出してきた子供を保護しているなんて言えるはずがない。

 下手をすれば、誘拐犯扱いだ。


「ふーん……?」


 マティスは何やら怪訝そうにアルフレッドの顔を覗き込むと、「じゃあ、先に行ってるわ」と声をかけて鉱山へと入っていった。

 全く、おかしな奴だ。アルフレッドは、そんなことを思いながら首を傾げた。



 そして、アルフレッドとマリエルの奇妙な同居生活が始まった。

 一緒に生活をするようになって一ヶ月ほど経った頃には、みすぼらしく痩せ細っていたマリエルは見違えるように美しい少女に変身を遂げていた。

 濡羽色の髪、血色の良い赤い唇、陶器のような白い肌──元々、顔の造りは整っているとは思っていたが、まさかここまで変わるとは。

 他人の子供とはいえ、アルフレッドは何故か誇らしい気持ちになった。


「……まだ、家に帰る気にはならないかい?」


「うん。あの家には、もう帰りたくない」


 健康状態が良くなっても、マリエルは相変わらず家に帰りたがらなかった。

 そんな彼女を見たアルフレッドは、思い切って尋ねてみる。


「いっそのこと、僕の養子になるか?」


 問いかけると、マリエルは驚いたように目を見開いた。

 少し、戸惑っているようにも見える。もしかしたら、嫌だったのだろうか。

 だが──


「アルフレッドさんが許してくれるなら、私、この家の子供になりたい!」


 少し考えた後、マリエルはそう言った。どうやら、心配は杞憂に終わったようだ。

 マリエルと一緒に暮らすうちに、アルフレッドはあることに気づいた。


(マリエルと一緒に暮らし始めたお陰で、僕は孤独ではなくなったんだよな)


 そう、アルフレッドは寂しかったのだ。

 同僚にも近所の住民にも心を開かなかったせいかずっと孤独だった。

 というのも、「元王子である自分が平民と仲良くするなんてプライドが許さない」と意固地になっていたからだ。

 だが、不思議とマリエルに対してはそうは思わなかった。

 レティシアとユーグが子宝に恵まれ幸せに暮らしていると聞いた瞬間、アルフレッドは嫉妬に駆られた。


 祖国を追放され、必ず添い遂げようと約束をしていたソフィーにもあっさり裏切られ。思い描いていた未来とは真逆になってしまった。

 こんな生活が一生続くなら、いっそのこと過労で死んでも構わないとすら思っていた。

 そんなアルフレッドの荒んだ心を癒してくれたのが、マリエルだったのだ。


(マリエルは、きっと僕を哀れに思った神様からの贈り物なんだ。今まで、散々苦労してきたんだし……今後は幸せになったとしても誰も文句は言わないだろう)


 そう考えたアルフレッドは、マリエルと二人で幸せになると心に決めたのだった。

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