第32話:天国さんのお店でバイト

 次の日曜日の昼過ぎ。バイトをするため、仁志名と二人で天国あまくにさんが働くコスプレ用品店『コスする』にやって来た。


 店は大都会のど真ん中、オタク街にある。

 このオタク街は、何度来てもホーム感があって楽しい。

 帰ってきたぞって感じがする。


 前の道路から直接ビルの二階に昇る狭い階段を上がり、『コスする』の入り口をくぐった。


「あ、ゆずゆず、arataアラタ君! いらっしゃーい。ちょうど今、お客さんいないから、先に装飾のアドバイスするよ」


 店の中を見渡した。

 確かにお客さんはいない。


 そう言えば前に来た時も、ほとんど客はいなかった。

 この店大丈夫なのかな?


 天国さんはレジカウンターの横にある大きなテーブルの所で、俺と仁志名を手招きして呼んだ。


 テーブルの上には、衣装の装飾用のリボンやフリルがいくつも並んでいた。

 そしてその横には影峰かげみね喰衣くらいのアニメ絵の特大ポスターが並んで置かれている。


「ゆずゆず、コス出してみせて」

「あ、はーい」


 仁志名はバッグからコスを取り出してテーブルの上に置く。

 天国あまくにさんはちょうど見比べられるように、喰衣ポスターの横に並べて衣装を置いた。


「より精緻に再現したいのは、ここの部分とか、この部分だよね?」

「あ、うん。そーだよ」

「ここのフリルは結構複雑な形状をしてるから、このリボンを使って手作りしよう。それとここの部分も同じように──」


 天国さんが丁寧に説明をしてくれている。


 正直、俺は裁縫のことはよくわからない。

 でも仁志名のこわばった表情を見るに、相当難易度の高い作業のようだ。


「これが手順だけど、わかったかな」

「ん……手順はわかった」

「そっか。じゃあ……」


 天国さんが針や糸など、裁縫道具を取り出した。


「今からここで、実際にやってみよう」

「うっわ、あたしにできるかな……」

「まあ正直言って簡単ではないよ。だけど丁寧に作業をしたらきっとできる」

「うぐぐ……」


 仁志名はこわばった顔のまま唸ってる。

 あまり自信がないのが伝わってくる。


 その時突然仁志名が、ポケットからスマホを取り出した。

 そしてスマホケースに付いた蝶のアクセサリを真剣な眼差しでじっと見つめる。


「よしっ、がんばっ!」


 気合を入れ直して、メンタルが復活したようだ。

 仁志名は俄然やる気に満ちた顔になった。


 そう言えば仁志名って、なにか困難なことに面した時に、あの蝶のアクセサリを見つめて自分のやる気を引き出している。


「なあ仁志名。そのスマホのアクセサリって、お守りみたいなものなのか?」

「うん、そだよ。あたしね、これを見るとがんばろって気になるんだ。これはあたしにとって、とぉーっても大切なモノなんだ」


 珍しくとても真剣な口調だ。

 よっぽど大事なものなんだろうって伝わってくる。


 そしてきりっとした顔つきで、仁志名は装飾の制作に取りかかった。


 テーブルに向かって真剣な作業をしている、細くて華奢な背中。

 仁志名ってこんなに細くて、抱きしめたら壊れそうな感じなのに、どこからあの元気さとパワーが出てくるんだろう。不思議だ。


「じゃあarata君。ゆずゆずが装飾制作の練習をしてる間に、倉庫整理の仕事をしてもらおうかな」

「あ、はい」

「今日は新しい商品が大量に届いたからね。売り場のコスを新しい在庫と入れ替えする作業をしてもらうよ」


 天国さんについて、売り場の奥の倉庫に行った。

 大量に積み上げられた段ボール箱の一つを開けると、中には厚手のビニール袋に梱包されたコスが満杯に入っていた。


「そのビニールから丁寧にコスを出して、陳列ハンガーパイプに掛けていってよ。今ある商品は売れ行きの悪いものを私がチョイスするから、それは逆に倉庫の段ボール箱にしまっていってほしい」

「わかりました」


 と言いつつ、ビニール袋からコスを一つ取り出してみた。

 赤い布製の衣装。割と小さめだ。

 これはなんの衣装だろうか。


 目の前で、両手でその布を左右に広げてみる。


「うわっ、こ、これは……」


 影峰喰衣の超レア衣装。

 超絶セクシービキニスタイルの衣装ぉぉっ!


 その胸当て部分だ。

 あまりにセクシーなその水着みたいな衣装が、今俺の手の中にある。


 衝撃すぎて身体が固まった。

 これが女子のバストを覆う、禁断の衣服か。

 そう考えるとドキドキする。


 その時倉庫の入り口の向こうから、バタバタと足音が聞こえた。

 売り場の方から誰かが近づいて来る。

 そして聞き慣れた声が耳に届いた。


「てんごくさーん、お客さん来たよ……」


 倉庫の入り口からひょこっと顔を覗かせた、茶髪でスレンダーな人物と目が合った。

 前に伸ばした俺の両手には真っ赤なビキニのトップス。


「うわぁぁぁぁっ、日賀っぴぃぃぃ! へ、変態ぃぃっっっ!?」


 人の目って、こんなに大きく見開くものなのか。

 そんなことが頭に浮かぶくらい、目を丸くした仁志名の叫び声が倉庫中に響いた。


***


「変態扱いしてごめんて」


 頭を抱えて落ち込む俺の背中を叩いて、仁志名が慰めてくれている。

 天国さんは接客のために売り場の方に行ってしまって、倉庫の中には仁志名と俺の二人きり。


「いや、別に仁志名は悪くない」

「だからと言って、日賀っぴが悪いわけでもないっしょ。商品を確認してただけなんだから」


 確かに天国さんが、仁志名にそう説明してくれた。

 それで俺の変態疑惑は晴れた。


 だけどビキニを手にして凝視していた姿を仁志名に見られたのは、想像以上に俺のメンタルにダメージを与えている。

 実際に頭の中がスケベな妄想で満たされていたのは事実なのだから。


「まあ、日賀っぴ。健康な男子ならああいうのに興味があるのもわかるし。気にしなくていいって」


 ──バレてる。恥ずかしい……。


「あ、だからと言って、あたしはあんなセクシーなビキニは着ないからねっ!」

「いや、別にそんなこと言ってないし考えてない」

「あたしの水着は普通のビキニだかんね。ちなみにピンク」

「は……?」

「え……?」


 予想もしていなかった答え。

 なんでわざわざそれを言う?


 俺も仁志名も変な声を出して、思わず見つめあった。


「うわわ、あたしなに言ってんだか! 別に見て欲しいとか、夏になったら一緒にプール行こうとか、そんなことはぜーんぜん考えていないからっ!」

「わわわ、わかってるって! 俺だって別にやましい想像してたとか、夏になったら一緒にプール行きたいとか、そんなことは1ミリすらも考えていないっ!」


 お互いになぜかめちゃくちゃ動揺して、わけのわからない状態になってしまった。

 正直、なにを言ったのか全然覚えていない。


 だけど仁志名のビキニ姿をつい想像してしまった。


 たわわに自己主張が激しい双丘。

 そして白くて長い脚の付け根にはセクシーなビキニボトム。


 ダメだ。鼻血が出る……。


「おーい、arataアラタ君とゆずゆずぅ~ そろそろ仕事してもらえるかなぁ?」


 倉庫の入り口から声が聞こえて目を向けたら、天国あまくにさんが腕組みをして立っていた。

 うわっ、ヤバっ!


「「す、すみません!」」


 思わず二人声を揃えて頭を下げた。


 そして慌てて商品を抱えて、お店の方に向かう。

 天国さんには思いっきり叱られるのを覚悟した。


 だけど倉庫から出る時にすれ違いざま、天国さんはニヤリと笑って呟いた。


「うーん、若いっていいねぇ。羨ましい。私も彼氏欲しいなぁ……」


 だから何言ってんすか。

 俺は彼氏じゃないですから。


 そう言いたかったけど。

 でも余計なことを言ったら怒られそうだったので、俺は何も言わずに天国さんの横をすり抜けて売り場に戻った。

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